未だ陽は沈まない


「ああ〜遣る気でない〜…」

いつしかのように探偵社内のソファの上で芋虫のようになっている太宰を見て敦はぎょっと動きを止めた。

「国木田さん、太宰さん…どうされたんですか」

「知らん。また見知らぬ婦人に心中でも申し込んで振られたのだろう」

「国木田くん如何して解るんだい!?」

「俺のほうが今如何して適当なことを口走ってしまったのか知りたいくらいだ!」

勢いよく上半身を起こして叫んだ太宰の言葉に国木田は頭を抱えて半ばやけくそに返した。このような上司二人の言い合いにも見慣れてきた敦が未だに蹲っている方の上司に白い目を向けた。

「でも珍しいですね。太宰さんは手酷く断られてもあまり根に持たないように思っていました」

好く云えば、根に持たない。
悪く云えば、節操がない。

それが敦の太宰の女性関係に対する印象だった。一緒に街を歩いていてふと消えたと思ったら女性を口説いて心中に誘っていた、ということもあった。勿論平手打ちを食らって帰ってきたが。


「うぅ…それはね、敦君。彼女が私の運命のひとだからなのだよ!あの流れてくる変人を扶けてくれる清らかな心、あの微笑み…そして少し抜けているところも大変可愛らしい!そう!まさに彼女はこの酸化する世界に舞い降りた救世主メシアッ…!」

誰も聞いていないのにその彼女への愛を熱弁する太宰を見て中島は「ああ、なんだか今日はまた一段と荒れてるなしかも今自分のこと変人って認めたな」と妙に達観した気持ちになっていた。

組合ギルドとの激しい戦いが終わってから探偵社は時々事件は起これど、平和な日々が続いていた。有事の際には抜群の頭の切れを持つ太宰を尊敬している敦だが、時折、いや、大方このように乾された魚のようになっている姿は、何度見ても同一人物なのかと思うくらいだ。現場の指揮を執っているときの彼は何処にいってしまったのだろう。

「あ〜…私どうしてあのとき連れ出さなかったんだろう確かに色々あったけど後から考えれば何とか出来たかもしれないのにな〜だって私だよ〜?天才的な頭脳を持つ私だよ?ねえ敦君そうは思わないかい?」

「へっ!?そ、そうですね!」

急に名前を呼ばれた敦はほぼ条件反射のように返事をした。いつの間にか芋虫状態からソファの上に胡坐で座っていた太宰はその敦の賛同にうんうん、そうだよねというように何度も頷いていた。






太宰は後悔した。必ず、かの麗しき恋人をおぞましき楼閣の地下から救い出すのだと決意した。

腕を組みながら黙考する。彼女にとって見知らぬ人であるはずの自分を救出してくれた心。真っ赤になった掌。差し出しされた手巾ハンカチ。心配そうな顔。そして怪しい人物を見る蔑んだ目…「そんな趣味なかった筈なんだけどな私」

雨が降った次の日、善い具合の川じゃあないか、と思って飛び込んだ先には、何ということか、この三年間何度も逢いたいと願ってやまなかった彼女が居た。

マフィアを抜けて三年。あの日の判断は合っていたのか、何度も自答しては、これで好かったのだと自分を納得させた。今、こうして探偵社に無事に居れる状況であるから、後悔するという行為が許されているということは重々承知しているが、傍にいてくれたら、と焦がれては夢にまで出てくる始末だった。

だから、川に身を預けているとき頭に衝撃を受け、目を開けた世界になまえが居た瞬間、ついに三途の川を渡ってしまって理想郷を見ているのかと思ったのだ。
夢でも黄泉でも善すぎるくらいだった。だが、嬉しいことに、大変嬉しいことに、現実で間違いなかったらしい。

久しぶりに会った彼女は、当然だが顔つきも大人っぽくなっていて、美しくなっていた。だが彼女の心の底にある慈愛、私の惹かれた陽だまりは変わっておらず、安堵したのも正直な感想だ。


何故なら、人は変わるからだ。
彼女が変わってしまっていたら如何しようとずっと不安だった。


私は恐れていたのだ。
彼女が私を忘れてしまうことではない。彼女が私を再び必要としてくれる保証がないのだ。三年前の彼女は私の事を求めてくれた。

だが、それは今でもそのままなのか?そんな保証はどこにもない。いくら私が彼女を大切に思ったとしても、彼女の中で私が必要なくなってしまっていたならば、それはいくら失った記憶の分を埋めたとしても難しい話だ。


顔を見にいこうと思えば、それも出来たのだろう。探偵社に入ってからも何の因縁かポートマフィアと鉢合わせることも多々あった。
だがそうはしなかった。マフィアが関係してくる時、それは大体厄介なことが起きているときであったから、タイミングが悪いというのもある。が、それはちっぽけな自己防衛のようなものであったようにも思う。

自分の居ないマフィアで過ごしている彼女を確かめるのが怖かったのだ。


もうあれからしばらく経ったが、敦がポートマフィアから狙われたとき、鏡花に攫われ、結果三年ぶりにマフィアに訪れることになった。そして中也から売られた喧嘩を買い、大儲けをすることが出来たが、あの瞬間シーンは一生忘れないだろう。

あのあと二階の通信保管所に寄ったあと、地下一階の資料課に訪れることだって出来たのだ。



『ねえ、中也』

『んだよまだ何かあンのか!』

内股歩きから怒りを露わにどすどすと階段を上っている途中だった中也を呼び止めた。
唾を一度飲み込んで私は一回唇を舐めた。


『なまえは…如何してる』

中也はすっと目を細めて、私を睨みつけた。

『…漸く口を開きやがったか。ずっと土竜モグラみてぇに番人やってるよ。そうだな、爺さんたちに機械の使い方について説教できるくらいにはなってるぜ』

『そう。元気そうで良かった。…彼女は、まだ綺麗なままかい?』 

喉奥から絞り出したような声だったと思う。中也の前だから取り繕いたかったが、果たして自分は出来ていたのだろうか。中也はハン、と鼻を鳴らして帽子に手を掛けた。

『白々しい。なまえを俺に押し付けたのは手前だろうが』

『なまえ、ね…』

『直接任務に駆り出されるなんてことは勿論されて無え。だがな、首領は大分彼奴を重用してるって噂だ。変わってるのは自分だけだなんて下手な驕りは捨てろ…可能性なんて幾らでもあるんだぞ』





「あ〜もう考えただけで腹立ってきたなあ!なんなのさなまえとか呼んじゃって!」

「うわ吃驚した!…急に大声出さないでください太宰さん!」

「嗚呼、御免ね谷崎君」

暫く黙っていたのに突然叫んだ太宰に驚いた谷崎が手元を誤ってしまったようで慌てていた。敦は「矢ッ張り今日の太宰さんは変だ」と小首を傾げた。

「そんなに素敵な方だったんですか?その女性」

思わず疑問を投げた敦に社内の凡ゆる方向から驚きと感心が混ざったような、所謂「聞いたなお前」というような視線が向けられた、が勿論敦は気付いていない。

「聴いてくれるかい敦君!彼女は私の救世主、あれこれさっきも云った…では灯火ッ…この言葉も使ったか…?兎に角!運命の人なのだよ!」

「はあ…成る程…その女性とは会ったのが初めてなんですよね?一目でそんなに人を好きになれるなんて、なんだか羨ましいです」

敦は少し目線を下にして頬を人差し指で掻いた。自分は、人の愛というものを未だ知らないから、運命だと云い切れる太宰が眩しかった。

しかし太宰を再び見ると、彼は打って変わって曇った顔をしていた。

「太宰さん?」

「…実は、初めてではないのだよ」

「えっ、それじゃあ何処かで見かけた、ということですか?」

「いや、そういうことではなく…以前会ったことがあるのだが彼女はそのことを覚えていないようなんだよ」

今まで見たどんなときより暗い顔をした太宰に敦は意外に思うと同時に、彼の話した事実に胸を痛めた。
一度何処かでばったり会ったことがあるのだろうか、そのくらいならば忘れてしまっても仕様がないかと思いもするが、人に覚えられていないというのは、恐らくとても悲しいことだ。

「でも、太宰さんなら何とか出来ちゃいそうです」

「え?」

「太宰さんっていつでも困ったときに打開策を見つけ出してくれるじゃないですか。だから、その方と仲良くなる方法も直ぐ見つかるんじゃないかなって思います」

「敦くん…」


敦は見覚えのあるような、穏やかな笑顔を浮かべた。


「諦めずに想いを伝えれば、きっと届きますよ」
『この程度で諦めるのか?太宰』

はっと太宰は前を捉え直した。
目の前に居るのは自分が探偵社に引き入れた少年で間違いなかった。

「…その通りだ」

太宰は勢いよくソファから立ち上がり、外套の皺を伸ばし始めた。

「私としたことがつい弱気になってしまっていた。有難う敦君。そうだ、約束したじゃあないか、彼女にも、」


彼にも。


と誰にも聞こえない小さな声で呟いた太宰は、外套のポケットから何かを取り出した。

「そろそろ私も迎えに行って良い頃合だろう?」

太宰は、手のひらにある淡い水色のハンカチをぎゅっと握り、ふっと笑った。

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