目映き残像


三人分のグラスと氷のぶつかる音が、物憂げなジャズのメロディーに静かに溶けていく。
安吾が特務課の人間だということが判明した以上、一緒にいることは許されない。此処で今会っていることも誰にも知られてはならない。勿論、私が此処に部下を呼びつけないことも、裏切り者の粛清をしないことも、此処にいる人間以外には知られてはならないのだ。

「私の気が変わらないうちに消えるんだ」

私はグラスを見つめたまま云った。

「別に悲しんじゃいない。最初から判っていたことだ。安吾が特務課であろうとなかろうと、失いたくないと思うものは必ず失われる。だから今更何も感じないよ」

グラスを持ちあげるとカラン、と嫌味なほど澄んだ音がなった。

安吾は細く息を吐き、カウンターに向き直った。

「太宰君、織田作さん。いつか時代が変わって特務課もポートマフィアもない、我々がもっと自由な立場になったら__また此処で飲めますか」

「云うな、安吾。……それ以上云うな」


安吾の言葉を遮って織田作が云った。


少しの間が空いてから安吾がスツールから立ち上がる。彼は静かに荷物を纏めはじめ、何かに思い出したように手を止めた。

「太宰君。彼女に宜しく伝えてください。彼女の異能に甘えて資料の改ざんをそのままにしてきてしまいました。……彼女のことを話している貴方は倖せそうでしたよ」

ぽつりと自分の弱点を吐くようなそれに目を見開いた。

「待ってくれ、安吾。なまえは異能力者ではない」

「然し首領ボスは彼女は異能力を持っていると……」

どういうことだ、と柄にもなく動揺した。首領ボスはなまえから報告していた筈だから間違えて把握していたということもないだろう。
確かにこの二人になまえの異能の話をした覚えはない。構成員に対して隠そうとしようとしたにしても根回しがあまりにお粗末だ。中也はじめ私の周りや事務作業を任されてる者は知っている。そもそも私が云えば奴らは疑わない。


「安吾、その話はいつした」


「僕がマフィアを去る前に首領ボスに最後に会ったときですが、」


全身が冷や水を浴びせられたように固まり、流れていたジャズが聞こえなくなった。


そして両肘をついて手を組み、額を押し付けて下を向く。口角が上がり、喉奥から笑いが込み上げてくるのが抑えられなかった。



「あァ、成程。はは、上手く転がされてたって訳か」



安吾にもう佳いよ、と云うと靴音の後店の扉の開閉の音がした。
隣にいる織田作がどのような顔をしているかは知らないが、戸惑ったようにこちらを伺ってくる気配はした。

自分は一体どんな顔をしているのだろう。見当もつかなかった。


「なあ織田作。失いたくないと思うものは必ず失われると私は云ったね。……嗚呼、全く、その通りだ…」



***

「太宰君、首領ボスと云うのはねえ、組織の頂点であると同時に組織全体の奴隷だ。組織存続のためなら、どんな非道も喜んで行わなければはならない」

「その封筒は――」


織田作がミミックに単身で乗り込んでいった、その援助の許可を取りに私はボスの執務室に来ていた。そしてたった今、初めから終わりまで、全ての出来事の裏の目的が彼によって示されたのだ。

「そうか、そう云う事か」

そうなると、色々な事実の意味が変わってくる。くるりと踵を返し、彼に背を向けた。

「何処へ行くのかね?」

「織田作の許へ」

正面から護衛の黒服に銃を向けられたが、まばたきすらせず、それらを静かに見つめた。

「紅茶が未だだよ太宰君。あれはみょうじ君も美味しいと云っていたものなんだ」

彼の口から出てきた名前に目を伏せた。そのことも、話さなければならない。意を決して振り返り、彼の前にあるテーブルへ近づいていく。

「ずっと考えていました。ポートマフィアとミミックと黒の特殊部隊、いや、この場合は異能特務課と云うべきですね。この三組織を巡る対立は、だれが操っていたのか」

「その封筒にはそれだけの価値がある。異能者組織としての活動を許可するこの証書―異能開業許可証を」





「そして手土産として安吾にはとある情報を渡した。首領、安吾になまえは異能力者だと云ったそうですね」

「おや、失踪後に坂口君と会えたのか。まあ、佳い。それは間違いだったかね?」

「なまえに確認しましたが彼女は首領には偽りなく報告したと」

「それはみょうじ君の“記憶違い”ではないのかね?」

「そう。その言葉が如実に表しているんだ。私が異能力者ではないという証明しなければ“記憶違い”で納得させることが出来る」

白々しい演技はもう止してもらいたい。小さくため息をついてから首領を見据えた。

「そもそも初めから可笑しかったんだ。重幹部しか閲覧できない重要資料庫の電子処理デジタル化の作業を任せる人材を、あねさんがいたとはいえ私と中也がいないときに態々わざわざ決めたことが。そしてあの任務はもっと早く終わる予定だった。姐さんに聞いてみたんだ。いつ資料課の新人は入ってきたのかとね。そしたら到底私たちは間に合わないような日だった。私たちは有り体にいうとはぶかれたんだ」

「それがどうかしたかね?君は仲間外れにされて嫌だったのかい?」

きっかけは安吾の言葉だった。それから絡繰装置がカチカチと当て嵌まるように、この事実に辿り着いたのだ。私は気付かないほうが良かったのかもしれないと思った。

「時間がないので単刀直入に言いましょう。首領、あなたの目的はみょうじなまえの頭脳の研究だ。マフィアに入れる前から親密な関係の人のことは徐々に記憶するようになることをあなたは知っていた。そのため此処に引き入れてからどのように対象への記憶が変化していくかを、誰かを彼女に近づけることによって観察する算段だった。記憶が消えた次の日の朝に執務室に来るように命じていたのはこの為でもあるはずだ。そしてこの組織には“偶然にも”異能無効化の能力を持つ人間が居た。私と中也が不在の間に引き入れたのも恐らく“不在時に重要資料を閲覧できる存在が入ってきた”ことに興味や反感を持たせるためでしょう」

彼は何も云わない。目を閉じて肘を付いたまま椅子に座り、微笑んでいるかのようにも見えた。

私が四月の海外任務から戻ってきたときのあの目、あれは資料課に知らない人物がいたとき私がどう出るかを見澄ましているのかと思ったが恐らくもっとその先までだ。そして六月にマフィアに人がいないタイミングで膨大な情報処理を伴う任務を任せてきたのも、思惑の内だったのだろう。我ながら上手く動いてしまったものだ。

「その通り。私は彼女の記憶と並外れた能力の真価を知りたかった。それが解れば、彼女の記憶を保持させることも出来るかもしれない。彼女のためでもあるんだよ」

「そう、曲がりなりにもあなたは医者だ。手術刃メスで人を殺すようなね」

彼はこちらを見た。この世の全てを切り殺すような視線だった。

「なまえを研究していた真の目的は彼女を手駒にする為。観察と私が近づいたことで得た情報から判断し、もし記憶の蓄積と忘却が自在に操れることが出来るようになり情報処理の能力と組み合わせることが出来たならば、彼女はあなたの優秀な“懐刀”となる。あなたは最初からその心算つもりで彼女をポートマフィアに引き入れたんだ。そして安吾に土産として持たせた『みょうじなまえは異能力者である』という情報。これは彼が異能特務課の人間であったから意味を持つ。安吾が特務課に戻るとその情報は特務課のデータベースに書き加えられる」

「もう結構。素晴らしい推理だ。特務課を巻き込んだ今回の計画についても何も訂正するところはないよ。一点だけ聞きたいことがある。それらの何が悪い・・・・・・・・ ?こうして異能開業許可証は手に入り、厄介な乱暴者は織田君が命を賭して排除してくれている。大金星だよ。みょうじ君だってそうだ。さっきも云ったようにこれは彼女のためにもなる。何ら害は与えていないではないか。なのに君は何をそんなに怒っているのかね?」

心臓が握られるように痛み、同時に腹がぐらりと揺れた。確かに彼の云っていることは合理的に考えれば正しい。いつだって最適解を求める、そういう人だ。

孤児達の存在をミミックに密告したことを言及した後、もう用は無いため彼に背を向ける。

「太宰君、君は此処にいなさい。それとも、彼のところに行く合理的な理由でもあるのかね?」

「云いたいことが二つあります。首領。あなたは私を撃たない。部下に撃たせることもしない」

正面の銃口が全く恐ろしくないのは利益がないだけではなく、きっとこの部下も私を打つことなど出来やしないと判っていることもあるだろう。

「如何してどう思うね?」

「利益がないからです」

「君にも私の静止を振り切って彼の許へ行く利益などないと思うが?」

「それが二つ目です。確かに利益はありません。あなたから見たら非合理的でしょう。そして先程私に怒っていると聞いたあなたの質問への答えもこれと同じです」

常に合理性を求める首領は嫌いというわけでは無かった。恐らく彼等に出逢わなければ私もこんな行動を起こすようなことはしなかっただろう。この気持ちの理由を教えてくれた一人が窮地ならば、私は行かなければならない。彼女の為にも、最善策を選ぶと決めた。私は、もう二度とこの部屋には来ないのだろう。

「理由は一つ。彼が友達で、彼女が大切な人だからですよ」
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