その虹彩が写すのは


後ろから走ってくる車のライトで自身の影が伸び、通り過ぎるとそれは元の長さに戻っていった。車の通りも未だそこそこある街の中心部からは少し離れた道に自身の靴の音が響いている。だがその足音はどこか明るく、いつものように威圧感を有するものでは無かった。

今から向かう先で、彼女はどんな顔をして待っているのだろう。らしくもなく胸が踊っている。





「太宰さんって、好きなものありますか?」

「え、急に如何したの」

私が会いに来て開口一番、彼女は妙な真剣な顔をして聞いてきた。急に何事だと思い何かあったのかと勘繰ると彼女の机の上のカレンダーが目に入り、直ぐに合点がいった。全くこの子は隠すのが下手で、とことんこの組織には向いてないと思う。

「ははーん、判った。誰かから私の誕生日のことを聞いたね?」

そう云うと彼女は驚いた顔をしてからしゅんと項垂れた。

「驚かせたかったのに…」

「私は誕生日を祝うものだと思ってないから、別に佳いのだよ」

と自然に伸びた手で頭を撫でながら云っても落ち込んだ顔は晴れない。然し私が誕生日のことをそう思っているのは事実であるから如何したものか…。考えを巡らせていると、ぴんと閃いた。此れならば自分も欲しいと云えることである。

「そうだな、なまえが一緒にいてくれるだけで十分だよ」

へ、となまえは気の抜けた顔をして、「そんなことで佳いんですか?」と問うてくる。そんなことで佳いんだよ、と首肯すると照れくさそうに笑った。

「じゃあ私、お料理作りますね。あんまり凝ったものは作れませんけど。太宰さんもお忙しいでしょうから、来れる時間で構いません」

そうあっけらかんと云う彼女に今度は私が気の抜けた顔をする番であった。





思えば、彼女のことは自分が追いかけるばかりであったと思う。彼女から何処かに行こうと誘ってきたことはほぼ無かった。それが今日は彼女の方から家に呼んでくれた。以前異能力を調べようとしたときは断固拒否されたものが、こうして許されるように成ったことが嬉しくて、また一段と足どりが軽くなった。彼女は覚えていないだろうが。

だから出来るだけ早く今日の任務を終わらせようと思っていたのに、よりにもよって課されたものは中也との共同部隊で乗り込むものであった。こちとらさっさと帰りたいというのに自分の指揮だけで現場が動かないのがもどかしい上に「オラ、誕生日贈物プレゼントだ、受け取りやがれェ!」と発見された爆弾を投げつけて来たのだから更に手間が増えたのだ。お返しとして後始末やら報告書作りやら全部押し付けてやった。

ヨコハマは夜の九時。
硝煙臭い服から着替えて、事前に教えられた住所へ向かっていった。着いたそこは目立ちはしないがセキュリティはしっかりしており、そういえばここもマフィアのフロント企業が運営してた所だっけな、と思った。
エントランスで部屋番号を打ち込み、インターホンを押す。二回なった呼び鈴の後に彼女の声が聞こえた。

『お疲れ様です、太宰さん』

『有難う。思ったより早く来れて良かったよ』

『今開けますね。部屋は昇降機エレベーターを降りて右です』

自動ドアが開いたためカメラにひらりを手を振って中に入っていった。人の家にこうして遊びに来るのは今までに無いことだった。インターホン越しにする会話は敵への脅しくらいしか無かったような気がする。


昇降機を降りて右に曲がると、一箇所だけ外玄関の明かりが点いている部屋があった。呼び鈴を鳴らすと中からぱたぱたと小走りの音が聴こえて、扉が開いた。

「お待ちしてました…!」

「やあなまえ、お邪魔するね」

どうぞ、と前を行くなまえはエプロンを着けていて、暖かい部屋の雰囲気も相まってなんだか胸がむずむずとした。
部屋はモノは多くはないが生活感があり、ちらほらと付箋が貼ってあって、確かに彼女はここで生活している、と実感が湧いて来た。洗面所で手を洗い、渡してくれたハンガーに外套を掛けた。

「良いタイミングです!丁度お料理出来ました」

「本当かい?それは良かった。さて何かなー?」

「蟹とトマトクリームのパスタですよ」

「おおー!嬉しいねぇ」

皿にパスタを盛り付けるのをじっと見つめていると、「そんなに見ないでください」と笑われた。仕方なくカウンターに置いてあったサラダとカトラリーをランチョンマットの敷かれたテーブルに並べると、簡素なテーブルが一気に華やかになる。
盛り付けされたパスタも並べてもう無いかな、と椅子に座ると彼女もエプロンを外してグラスを二つ持って私の向かいに座った。

「お洒落なグラスも無いし葡萄ジュースですけど、それっぽくなりましたね」

「とても美味しそうだ。しかも蟹だなんて」

なまえが微笑んで赤紫で綺麗になったグラスを渡した。彼女がグラスを持ちこちらに差し出してくる。それに微笑んで私もグラスを構えた。

「太宰さん、お誕生日おめでとうございます」

「嗚呼、有難うなまえ」

カチン、とグラスがぶつかり高い音が響いた。

***

「シャワー有難う。でも本当に泊まっていって善いのかい?」

濡れた髪の毛をタオルで拭きながら居間に戻る。なまえは鏡台の前で床に座って髪の毛を梳かしていた。自分の軽い着替えは荷物に入っていたから有り難くシャワーを借りたが、「今日泊まっていきますか?」と夕食を食べた後になんとなしに聞いてきたなまえにもう一度確認を取る。

「大丈夫ですよ?あ、太宰さんが嫌なら…」

「そうじゃなくて、いや、そうなんだけど。なまえって真逆こういうことよくするの?」

こういうこと?と首を傾げる彼女は特にこの状況を深く考えていないようで、前回は自分の家という候補を先ず却下していたのにな、と思った。素直に距離が近くなって信頼の置ける人だと思われているのだと喜んで善いのだろうか。

「ドライヤー使い終わってますよ」

「ねえなまえちゃん髪の毛乾かして欲しいな。私はコレ、巻かなきゃいけないし」

そう云って鞄の中から替えの包帯を取り出して見せた。一瞬なまえの顔が憐れむように歪んだが困ったように笑って座っていたところを指した。

「佳いですよ。ここ座ってください」

鏡台の前に座ると後ろになまえが膝立ちになるのが鏡に映った。タオルで軽く髪の毛を拭かれて、ドライヤーのスイッチが入れられた。頭が手ぐしで柔く触れられて温まっていくのが心地好い。自分の腕の傷を隠すように包帯を巻いていく。彼女は、自分のこの身体を見てどう思っているのだろう。生憎鏡に顔は映っておらず後ろを振り返ることも出来ないためそれは叶わなかった。

「太宰さんの髪の毛はふわふわですね。それと同じシャンプーのはずなのに良い匂いがします」

「そう?確かに癖のある毛ではあるかな。何でだろう、なんだか眠くなってきた…」

「ふふ、人に乾かして貰うと眠くなりますよね。わかります」

そういうものなのか、今日は初めて知ることが多いな、と思った。両腕を巻き終えると後は頭だけなので目を閉じて髪を梳く手に意識を向ける。とても温かい気分だ。

「はい、乾きました」

「有難う。いつもよりさらさらしてる」

軽く伸びをして、鏡を見ずとも出来る慣れた手つきで右目に包帯を巻きつけていく。それを見てなまえが口を開いた。

「如何していつも包帯巻かれてるんですか?もしかして病気とか…?」

「気になるかい?いいよ、教えてあげよう」

巻き終わり彼女に向き合って右手を目に当てた。

「実は私の右目は邪悪なる呪詛によって…」

「あ、もう判りました」

呆れた顔をして彼女はため息をついた。そう、優しい彼女はきっと気付いている。此れが私の逃げるための誤魔化しであるということに。彼女も呆れる振りをして、自分の質問を無かったことにしてくれたのだ。きっと罪悪感を感じさせてしまっているのだろう、と思う。

「太宰さん、今日も任務大変だったんですよね?もう寝ますか?」

「うん…勿体ないような気がするけど一寸、眠いかも」

「誕生日は今日だけですけどまたいつだってこうして過ごせますよ」

なまえの言葉に頷き、彼女に続いて立ち上がった。彼女がベッドサイドランプを点け、部屋の明かりを消した。

二人で潜り込むとベッドは少し小さかったが、使えなくは無いだろう。

「今日の分書かないと…良かった今日が十九日で…」

備忘録のことであろう。彼女が枕元のそばに置いてあった手帳を手に取って、うつ伏せになったまま書き始めた。自分もうつ伏せになって横から覗こうとしたら隠すようにされてしまった。

「恥ずかしいから見ないでください」

「え〜私のことなんて書かれてるのか気になるのにぃ」

「……背の高い美男子イケメン

「え?」

「冗談です」

記憶を辿り、いつだったかそんな会話をしたことを思い出した。もしかして彼女はそのことを忘れまいとずっと備忘録に書き続けていたのだろうか。自然と口角が上がってしまった。

彼女は書き終えたようでぱたんと閉じると元の位置に戻すと、私の方を向いて寝転がりにこりと微笑む。

「どうでしたか、今日は。喜んでもらえましたか?」

「嗚呼、とっても。本当に感謝してるよ」

安心したように目の前の彼女は眦を下げた。私は身体を回転させ天井を見上げて、片腕を虚空へ伸ばす。

「今迄、誕生日は一年で一番忌み嫌う日だった。生きていることに苛まれる日だった。また一つ歳を取ってしまった、と救いを求めていたんだ」

何かを掴むようにして腕を引っ込めて、また身体を回転させなまえに向き合う。彼女の頬に手のひらを当てて呟いた。

「こんなに倖せな誕生日は初めてだ」

なまえは眉を寄せて泣きそうな顔で笑った。そして頬に添えた私の手を両手で掴んで意を決したように口を開く。

「太宰さんは、未だ死を望みますか?」

「其れは、」

「なら、私のために生きてくれませんか」

口籠った私に被せるようにして云った言葉に目を見開いた。

「記憶が無くなると、暗闇に一人残されたような気分になるんです。何も無い、真っ暗な空間に。でも太宰さんに出逢ってから変わりました。その世界を太宰さんが灯りを持って助けに来てくれたんです」

「なまえ……」

「その光は、私の一縷の望みになりました。私の世界には太宰さんが必要なんです。何回忘れたって思い出します。記憶を無くしても、一緒に過ごした日々は消えませんから」

だから、どうか…となまえは両手で私の手を握りしめた。
なんだ、そうだったのか。私は彼女の言葉を聞いて、気付く。軽く掴まれている手を引っぱり私の方へ寄せると掴まれて居ない方の手も添えてふっと笑った。

「私はね、君がどんな世界を見ているのかが知りたかったのだよ。覚えていないだろうけど、酷い質問をしたこともある。その答えが漸く今判った」

目を閉じてゆっくりと言葉を紡ぐ。

「なまえと居ると、この酸化していく世界が、無意味に朽ちていくものではなく、意味を求めて変化していく様に見えるんだ。きっとこれが、君の見ている世界なんだろうね」

「……難しいこと云いますね…」

この世界は眩しすぎる。思わず目を閉じてしまうくらいに。目を開けて彼女の姿を目に映す。暗闇から明るい場所を急に視線を移すと瞳孔がきゅっと痛む、あの感覚がした。

「一緒に居ると世界が幾分かましに見えるってことだよ。なまえも私の世界を支えてくれていたんだ」

枕元の明かりに照らされてキラキラと輝く瞳と目を合わせた。

「好きだよ、なまえ。私は君のために存在しよう」

堪え切れなくなった涙が一筋彼女の顔を伝った。それはとても綺麗だった。

「私もです。私も、貴方のために生きます」

彼女の肩をそっと包みこみ、顔を近づけ優しく彼女のそれに唇を重ねた。花弁に口付けるようにやわらかなものだった。

其の儘彼女を抱きしめて、ベッドサイドランプの紐を引っ張り、明かりを消した。するとクスクスという密かな笑い声が聞こえて、身体を話して彼女の顔を覗き込んだ。

「どうしたの?」

「いや、以前一緒に寝たときとは全然違うんだろうなって思ったらちょっと不思議で可笑しくて」

「はは、そうだねぇ。あの時はこんなに暖かくなかったかな」

「それに次の朝何にも覚えてなくて私太宰さんのこと蹴り飛ばしたんでしたっけ」

「そうそう。あれ鳩尾で結構痛かったのだよ?」

「うそ、ごめんなさい…!」

「過ぎたことだよ。それより明日の朝もそんなことになったらどうする?」

「ふふ、そうですねえ。今日は十九日ですし十日経ちましたから忘れちゃってるかもしれませんね」

「私は悲しいけど、その割には楽しそうだね」

「ええ、だって目の前に太宰さんが居たなら素敵な時間だったってきっと判りますか、」

言葉を切ったのは私だった。なまえを抱き寄せると、腕を背中に回されて暫くぽんぽんと叩かれた。

どのくらいの間そうしていただろうか。徐になまえが背中から手を離して口を開いた。

「却説、もう寝ましょう。太宰さん。おやすみなさい。あすも善い日でありますよう…」

「うん、そうだね。おやすみ、なまえ」

君には幸福を貰ってばかりだ。それは変わらぬ事実だが、私がそばにいることで君の世界が照らされるのだとしたら、せめて、私は君のそばにいよう。
私はゆっくりと目を閉じた。君が闇に溺れてしまわないようにと祈って。
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