宇宙のはじまりをあなたと
平日の未だ目起きの気怠さが残る武装探偵社。朝九時の朝礼が終わり、国木田は書類を物凄いスピードでさばいており、珍しく三十分の遅刻で出社してきた太宰が椅子に浅く座って虚空を眺めている。乱歩も同様一人掛けソファにぐだりともたれ顔を帽子で隠し微動だにしていない。谷崎はパソコンと向き合いナオミはその隣で書類をホチキス留めしている。その他の社員もみな各々のなすべきことをしている。穏やかな朝だった。
「太宰、調査に行ってこい」
国木田が手元な紙に目線を落としたまま太宰に向かってそう云った。
太宰はぴくりとも動かず、国木田に発せられた音を感知してないように見えた。実際には無視を決め込んでいるだけである。
「おい太宰」
ぴきりと国木田のこめかみに血管が浮かんだ。
「じゃあこの超高層タワー周辺地域の実地調査は他の奴に回すか」
「ン任せてくれ給え!」
太宰が飛び起きぴょんぴょんと擬音が付くように国木田の席へ向かい彼の手から資料を抜き取った。
「どれどれ…これって態々行かなきゃいけないことなの?」
「…ちなみに今日の予定では何か事件が起きない限り社内の仕事に余裕はある。…二人くらい社員が居なかろうと問題ない」
国木田は誤魔化すように眼鏡を光らせてブリッジを上げた。歯切れの悪く珍しい国木田の様子になんだなんだと周りは手を止め、乱歩でさえ帽子の隙間から彼等の動向を見守っている。
「詰まり…」
太宰の言葉の後に今度は皆が顔をぐるりと回転させ一人の女性に視線が集まった。
「え、私ですか?」
そうぽかんとした顔で女性が云うと太宰は「名前ー!デートだよー!」と彼女の元へと駆けて行き、その場がわっと沸き立った。
「国木田ァ、アンタ粋なことするじゃないかィ」
と与謝野ががばりと国木田の肩に腕を回しながらにやにやと顔を覗き込む。国木田はまたも顔を隠すように眼鏡のブリッジを上げた。
「こ、これは社長からの指示であって」
「なんだい誤魔化さなくたっていいんだよ。いいじゃないか。誕生日くらい恋人同士で遊びに行かせてやっても許されるってモンだよ」
「遊びに行かせるわけではない!これはれっきとした調査であり仕事だ!太宰!苗字もだ!勘違いするなよ!」
隠すように大声で云われても信じる者などいやしない。社内が誰もが笑みを浮かべながら国木田や、嬉しそうに両手を掴みあってぶんぶんと上下に振っている太宰と名前を見ていた。
なんとも平和ボケしている、と乱歩は思い、また帽子を顔の上に乗せ寝ているのかいないのかわからない体制に戻った。然し、まあこんな日も悪くない、そう喧騒の中では誰にも聞こえぬ声で云った彼の口元は穏やかな弧を描いていた。
こうして六月十九日、今年の太宰治の誕生日ははじまったのだ。
***
「おお!あれが世界で一番高い電波塔!飛び出てますねー」
「飛び出てるって…。あそこから飛び降りたら確実だなァ」
「まーた物騒なこと云ってる此の人」
国木田に追い出されるように社を出て電車に揺られて数十分。駅から地上へ出てきた二人は高く聳える超高層タワーを見上げていた。天気は晴天。風が少し強く、雲も流れたのか見当たらず真っ青だった。ここはタワーの最寄りからほんの少し離れた街で、今から先ず任された仕事を取り掛かるのだ。
「国木田さんから任された仕事ってなんでしたっけ?」
「一か月前に此処の近くで起きた異能力事件の被害者の現状確認だってさ。先ずはね、この道をまっすぐ行ったところの佐藤トメさん」
「トメさん」
「駄菓子屋さんだってさ。行こう」
しばらく歩くと、長年愛され続けているであろう年季の入った店に着いた。トタンの看板の塗装は剥げて色褪せ、“だがし”という文字がかろうじて識別できるのみだ。名前は店の入り口から奥の居住スペースにいるであろう店の主を呼んだ。
「こんにちはー。トメさんはいらっしゃいますかー」
すると奥から物音が聞こえ、とんとんとゆっくりとした足音のあと、背中が丸まったおばあさんが出てきた。
「はあい。いらっしゃい」
「こんにちは。私たちは横浜の武装探偵社の苗字と太宰です。一か月前の事件ではお世話になりました」
「新聞配達は結構ですよ」
「……私たちはぶ・そ・う・探偵社です!」
おばあさんは首をかしげて考えた間のあと、思い出したように笑った。
「ああ!あの大変だったときの探偵さんね。随分お綺麗になったじゃないの」
「…うん?」
今度は名前が首をかしげる番だった。すると今まで黙っていた太宰がそうか、とこぼした。
「この事件の担当は確か谷崎兄妹だったから名前のことをナオミちゃんと勘違いしているんじゃない?」
「成る程…って納得していいのかな」
おばあさんは店の奥に消えたかと思うと急須と二つの湯飲みをお盆にのせて戻ってきた。
「さあさ、こんなところですが掛けてくださいな」
「お気遣いありがとうございます」
名前と太宰は促された通りに店の中に置かれた木の長いすに腰かけた。お菓子を食べるための椅子だろう。渡されたお茶を受け取り、同じタイミングで一口飲んだ。
「あれから何か起きてませんか」
「お陰様で。野良猫のクロスケを見かけなくなったくらいだねえ」
「我々探偵社がお探ししましょうか?トメさん」
そう太宰が軽い口調で尋ねるとトメは首を横に数回振った。
「そんな無粋なことをするもんじゃないよ」
「そうですね」
そして遠い目をした太宰をちらりと横目で見た名前は湯飲みに口をつけてから、それを持ち上げたまま云った。
「安心してください。太宰さんが消えても絶対見つけて出社させます」
「名前怖ぁい」
そう茶化すように云った太宰の顔は緩く微笑んでいた。きっとクロスケは帰ってこない。そしてしばらくしてからまた違う猫がこの店を訪れるようになるのだろう。太宰はそう思った。
・
・
「それじゃあトメさん、お体に気を付けて」
「ええ、ええ。来てくれてありがとうね」
二人がトメに背を向け歩き出そうとした瞬間そうだ、と後ろから声がかかった。
「兄ちゃん、こんないい娘手放しちゃだめだよ!」
どちらも不意を突かれた顔をしてから同時に破顔した。太宰は振り返り、それは綺麗な顔で微笑んでこう云った。
「約束しますよトメさん」
トメは満足そうに頷いた。それを確認した名前が太宰の背中をばしりと叩いて二人はまた歩き出す。
「そうだ、誕生日おめでとうございます」
「ええー今云うのかい!?」
「はい。今年はいかにムードが無く云えるか競ってたんです」
「誰と?」
「私自身とですよ…常に人生は己との戦いです!」
「駄目だこの子あのツリーより電波系だ」
太宰は片手で額を押さえて青い空を仰いだ。
・
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「こんにちはー!田中さん!武装探偵社です」
「なんだぁ!?暴走族なんてお断りだぞ!」
「違いますよ!愛と平和のために奔走する武装探偵社です!」
「名前、それ逆に怪しいから」
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「こんにちはー鈴木さん!武装探偵社です!」
「お!あんときの探偵さんかぁ!今日は善いトマトが入ってるよ!」
「ほんとですか!?じゃあ一箱貰っちゃおうかなー!」
「親父さん、ひとつで佳いよ。ねえ名前どうやって持って帰るつもり?」
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「こんばんはー!高橋さん!武装探偵社で…」
「どうしたの?名前」
「わんちゃんだ!あらー可愛いねー!太宰さんも見てくださいよほらほらほら」
「近づけないでくれ給え!うわっ、やめっ、そんな目で見ても無駄だよ!」
***
「おおー!絶景ですね!」
「うん…そうだね…」
「あれ、なんだかお疲れですか?太宰さん」
「誰のせいだと思ってるのかな、ふふ」
手持ちのリストに全てチェックがついた後、「せっかくだから」という理由で太宰と名前はツリーの展望台に来ていた。エレベーターの扉が開いて眼前に広がった景色に名前は感嘆の声を漏らしたがそんな彼女を見て太宰はため息をついた後、しょうがないというように笑った。
「名前が阿保で疲れたからふらっと此処から落っこちちゃうかも私」
「強化ガラスを割るほどの立ち眩みとは。まあそのときは中原さんに電話してすぐに来てもらいます」
彼女は「重力操作!」と云って謎の中二病風のポーズを決めた。平日だから幸い周りに人は少なかった。
「いや中也が来るより私が落ちるほうが早…って待って名前、中也の番号なんて知ってるの?何で?いつ?え、如何して?はッ……まさか浮気!?」
「なわけないでしょう一人で暴走しないでください」
名前は太宰からの追求を無視しガラスの前の手すりをつかんで前のめりになってどこまでも建物が続く様子に目を輝かせた。今は太陽がほぼ沈み終わり、夜になる一歩手前といった時間で、建物の灯りが滲み始めていた。
「もうすぐ夏至ですね。そりゃ日も長いわけだ」
太宰は彼女の隣に並び背中の後ろで手を組んで目を閉じた。
「こんなに世の中が人工の灯りで明るくなっては『誰そ彼』なんて聞くこともなくなるねぇ」
「治安が良くていいじゃないですか」
「君のそういうところ好きだよ」
暫く二人とも何も喋らずに写真に撮ったような風景を見ていた。しかしそれは写真などではなく、車は動き、小さい小さい人影だがそれは確かに生きている。人間の生命によって成り立っている世界だ。
「あ、一番星」
名前が上空を指さして呟いた。太宰はその先を目線で追ってきらりと瞬く光を見つけた。
「何という星だろうね。私は星には詳しくないからなぁ」
「うーん、あ、賢治君なら判りそうですね。明日聞いてみましょう」
「名案だ」
一番星が光り始めたのを合図に地上も輝き始める。ぽつりぽつりとビルの灯りや街灯が付いていくのがこの高度からだとよく見えた。
「こうして灯りが広がっていくの、なんだか星空に似てませんか?」
そう静かに名前は云った。疑問符を付けてはいたが太宰からの返答を求めているようではなさそうで、太宰は続きを促すように名前に顔を向ける。彼女は上空に、地上に、光が散らばる様子を微笑みながら見つめていたままだった。決して見つめあうわけではない、然しお互いを思いあっている。今のようにそれを感じる時間が太宰は好きだった。
「そのどちらもが生命が輝いてる証です。きらきらしてて、綺麗」
すっかり夜になり、世界は青暗く、星たちは輝き、存在を主張している。眼下は小さな光が沢山集まり、さらに瞬きを増していった。
太宰は彼女の言葉を聞いて目を外に向けて、ぽつりと言葉を零した。
「まるで宇宙のはじまりだ」
ひとつの光に呼応するように光が急激に広がっていく、その様子は宇宙に生命の誕生の瞬間に似ている、と太宰は思った。
「珍しい。太宰さんがそんなこと云うなんて」
「浪漫主義な名前と一緒に居たから移ったのかもね」
「毎日夜になると宇宙がはじまるんですね」
名前はふふ、と笑うと太宰に今日一番の笑顔を向けた。
「そして毎日誰かが生まれてその人にとっての世界が始まるんですよ!ね!」
「……はぁ…そう来たか…」
太宰は豆鉄砲を食らったような顔をしてから顔を片手で隠して下を向いて溜め息交じりにそう云った。
覗き込もうとしてきた彼女の頭をもう片方の手で押さえつけて長い深呼吸をする。
「今の言葉が今まで一番…気に入ったよ。ムードを無くす自分との戦いはまた来年だね」
「えー今のの何処が善かったんですか!?」
太宰はわさわさと名前の頭を撫でつけ声を上げて笑い、ぎゃっと色気なく名前が叫んだ。
そんな彼らを照らしているのは無数の“星々”。何処までも遠く続く宇宙が二人を包んでいた。
きっと来年も名前は変なことをして、それを太宰が呆れながら付き合っていく、そんな誕生日になるのだろう。だが私達はそれで良いのだ。その日まで、爆弾騒ぎや抗争に巻き込まれつつ此の人と、探偵社と、変わらぬ日々を送って行けたら佳い。
そう太宰は柄にもなく星に願った。そして名前も同じことを思っていたことは、星のみが知っていることだ。
(2019 0619 Happy Birthday!)