冬の残香ざんこうは幸福へと溶けゆく
芥川は部屋の中に一人座っていた。

空間は骨董品アンティークの家具で品良く装われており、彼が座っている椅子も優雅な彫刻と織物で出来ていた。

何度来てもこの部屋で一人待たされるのは落ち着かない。

壁に飾られている絵画は初めて来たときから苦手であったし、側に貼られている世界地図は古ぼけていて退屈凌ぎにもならない。ガラス戸の食器棚カップボードの中で飾られている派手な食器を眺めるのは2回目の訪問で飽きてしまった。手慰みに目の前の机の端に数冊重ねられている分厚い本を手に取っても学のない自分には何が書かれているのか判らなかった。

芥川は立ち上がって小さな両開きの窓を開け下方へ向けて声を荒げた。

はやくせぬか!」

この家の外は庭というよりも森に囲まれていた。彼は相手が目視出来なかったため随分遠くに居るのか、と延びそうな待ち時間にうんざりとしてきた。

「芥川くーん!扉!開けて!」

すると外からではなく背を向けていた扉の方から返答が聴こえて来たこと、しかも其れが存外近くからであったことに肩を揺らす。

芥川が声の通りに扉を開けると腕に籠を提げてトレーを両手で持った女性が立っており、へらりと笑っていた。

「有難う。お待たせしちゃったね」

「何処まで行っていたのだ。お前の直ぐという言葉は矢張り信用出来ぬ」

「直ぐ戻る心算つもりだったんだよ!迷わなければ」

「自分の敷地だろう」

呆れた、と溜息を吐いた彼は彼女の持っているトレーを何となしに受け取り先程まで腰掛けていた椅子の前の机に置いた。

彼女は彼の向かいの椅子に座ると華美なティーポットを傾けて2つのカップに紅茶を注いだ。そして彼の前にひとつ置いた。

「はい、どうぞ。今日は何だと思う?」

芥川はカップを持ち、すんと匂いを嗅いでから目を伏せて口をつけた。

「…9月ごろに飲んだものと同じであろうか」

Exactementそのとおり!君も段々紅茶の銘柄が分かるようになってきたね」

彼女は嬉しそうに笑う。
貧民街にいたときは真逆自分が紅茶の銘柄を一口飲んだだけで区別出来るようになるなど想像もしなかった、芥川は思った。
そして彼女は左手で籠の中から何かを取り出し、ナイフで皮を剥きはじめた。

「……やつがれは蜜柑は好んでいないのだが」

「そうは云わずに一口だけでも。この前成っているのを見つけてね。種類は知らないけれど甘くて美味しかったんだ」

籠の中には芥川がここを訪れてすぐに「そうだ!一寸ちょっと待ってて!直ぐ戻るよ」と彼を部屋に残して家の近くの自生している木から収穫してきた蜜柑が沢山入っていた。待たされた上に採ってきたのがよりにも寄って蜜柑なのだから呻き声を出してしまいそうになったが、彼女の好意を無碍にするのは気が引けるし、此処で子供のように駄々をこねるのも無様であるため、彼は悶々としながらも彼女の云う通りにする覚悟をした。

「今度からは前々に採っておくか僕も連れて行くかしろ。一人で待たされるのは御免被る。但し其れが蜜柑でなければな」

「そうだよ!芥川くんの黒い子で採って貰えば善いじゃん!」

やつがれの異能はその様なことのために使うものではない!そして羅生門のことをその巫山戯ふざけ呼び方をするなと何度も云っているだろう!」

彼女はけらけらと笑いながら皿に剥いた柑子こうじ色の実を並べていく。こう呼ぶと必ずムキになるのが可愛いからどうにもやめられそうにないな、と彼女は思った。

「紅茶と一緒に蜜柑の果実を食べることはあまりないけど偶にはこういうのも好いよね。茶葉の名前はニルギリだよ。覚えてる?」

そういえばそのような名前を彼女が口にしていたなと思い出し、芥川はフォークでひと切れを刺すと一口で恐る恐るそれを頬張った。
すると肉厚な実が瑞々しくはじけ、口の中に爽やかな甘味が広がった。
彼はとても驚愕した。今目の前にある果物が自分の忌み嫌うあの果物だとは到底思えなかったからだ。それ程まで今まで食べた蜜柑が酷いものであったのか、それとも彼女の採ってきた蜜柑には魔術がかかっているのかとさえも思えてきた。

彼女は彼の顔を見てまなじりを下げると、自らも蜜柑を口に運んだ。

そして彼女は籠の中のひとつを手に取り、まるで宝石を眺めるかのように窓から差し込む太陽の光にかざした。

「陽だまりの色。冬の間にお日様をたくさん浴びたから、優しい味がする」

芥川も彼女の手元へ目線を寄越す。
其の果実は光に照らされ、黄金色を纏って見えた。その色は芥川には少し眩しくて、逃げるようにティーカップを傾けた。口から離す際に透き通った琥珀に自分の真黒な瞳が写り、彼は其れを見つめながら言葉を零した。

「優しい味、か。やつがれには判らない」

「春のはじめに出来る果物はみんな優しい味がするよ」

向かい合って座っている彼女は意味ありげに彼に微笑んだが当の本人は何も解っていないようである。

屹度きっとじきに芥川くんも判るようになるよ」

芥川は曖昧に返答をするとトレーの上の皿にのせてあった焼き菓子を手に取った。ふた切れめの蜜柑は魔術が解けているかもしれないと真剣に考えたためであった。

「芥川くんは何が好きなの?そういえば聞いたことなかったね」

「好きなものなど特に無いな」

彼は焼き菓子の咀嚼を終えるとあ、という風に動きを止めた。それを見逃さないのが彼女であり過ごしてきた日々の長さを表していた。

「何?私の作るものなら何でも好きって?」

「否!…無花果なら好物に入るか」

「無花果かぁ。確かに美味しいよね」

彼女は頷きながら剥いてしまったからには食べない訳にはいかないと蜜柑に手を伸ばす。ぱくりと食べてから、椅子から立ち上がり芥川に手招きをしながら歩き出した。彼は素直に立ち上がり、彼女の側へ向かう。
壁には先程退屈凌ぎにもならないと思った世界地図がある。字は掠れていて国名は読み取れず、文字らしきものがそこに書かれているということしかわからない古いものだった。彼女は一点を指差しながら彼に話し始めた。

「無花果は此処、土耳古トルコが有名だね。南西のエーゲ海の沿岸に在る第三の都市は、特有の潮風と日照率の高さのおかげで生産に最も適しているんだ。綺麗なところらしい。芥川くんは行ったことある?」

「外つ国に行ったことは無い」

「私も土耳古トルコには行ったことがなくてね」

彼女は多くの国を訪れてはアンダーグラウンドな組織だけではなく公の機関にも潜り込み、そして良い情報があるとポートマフィアを始め多方面に持ちかけることで生計を立てている。やつがれが任務としてこの森の奥にある家に訪れたのは一体いつが初めてであっただろうか。

「そうだ、芥川くんが“優しい味“が判るようになったら一緒に行こうか」

彼女が唐突に云い出したことに芥川は目を見開いた。外つ国に行ったことも無いのにこの人は一寸外食にでも行こうかと云うかのように投げかけてくるのだ。

「そんなことは出来ない。第一僕にはマフィアとしての任務がある」

「私が森さんに上手く云うよ!それより君は“優しい味“のことだけ考えな」

良いこと思いついちゃったと上機嫌になる彼女はにこにこと彼に微笑みかけている。
芥川はその笑顔を前にすると何も言い返せなくなってしまい唾を呑み込んだ。

「………善処する」

彼女はその返答に満足したようでひとつ頷くと窓側へ行き、豪快に両開きの戸を開けたと思うと窓枠に両肘をついて外を眺めはじめた。
なにやら外つ国の言葉の歌を歌っているようで、歌詞の意味はわからないが緩やかな旋律だと芥川は思った。

彼女の髪が部屋に吹き込む風で靡いている。
その後ろ姿を見ていると咳き込むときとは違う、苦しさに似た何かが肺のあたりを締め付けてきた。試しに数回小さく咳をしてみたが其れは取れる気配がしなかった。

「三月になったとはいえ未だ風は冷たいぞ」

彼はそう云って自分の着ていた黒い外套を彼女の肩に掛けた。肺の締め付けが幾分か和らいだ気がした。


彼女は祈りのうたを歌っていた。彼が優しさを感受できるようになることを祈っていた。


彼が優しさと締め付けの正体を知るときは案外、遠い日ではないのかもしれない。



(2019 0301 Happy Birthday!)
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