Love&Luck.












 「キューレさん」




 月が起き出す夕暮れ時。橙の日差しが雪を照らす艶やかな宮廷の廊下の途中で、キューレは振り返った。自分の後をついてくる様にそこに立っていたのは、馴染みの雇用主の士官だった。
 「これは、…士官殿。私に何か御用ですかな?」
 キューレは帽子を取り胸元に添えながら、優雅に一礼をした。士官が数歩歩み寄る靴音を待ってから顔を上げ、再び向き合う。穏やかな笑みを携えた初老の士官は、「いや、いやお構いなく」と畏るキューレを制した後、隣に並ぶようにさらに2、3歩踏み寄った。
 「今日はもうお帰りでしょう?馬車までお送りしますよ、何、その間に世間話に付き合って欲しいと思いましてね。」
 「おや、…珍しいこともあるもので。」
 キューレは眉根を潜めた。一瞬にして何か企んでいるものだと察することができたからだ。とはいえ、相手は日頃から世話になっている人間で、敵ではない。故に初老の士官に付き合うことにした。歩幅が狭くまったり歩く士官に合わせ廊下を進む。舞踏会から大分時間が経過した、1月も末のことだった。








 「先日の舞台はお見事でした。いやぁ、城主様もお喜びでしたが、来客としていらしていたお方が大層喜ばれておりましてね、…それはもうお二人とも向日葵のように上機嫌で笑っておりました。」
 「冬に向日葵の喩えとは、…あまりお上手とは言えませんよ?」
 「ああでは、何と喩えましょうか?」
 「そうですなぁ…」
 キューレは”先日”の舞台の日を思い返した。それはつい昨日曜日、宮廷に上がり演劇を披露した時のことだ。題目は城主の客人からのオーダーであった他街の政治風刺を扱ったもので、準備に随分と時間を費やした渾身の一幕だった。客人の身分は明かされていなかったが、引き連れていた人間の数と扱われ方を見るにそれなりの身分だったのではなかったかとも思っていた。演目の最後には総立ちで拍手を貰い、その後の酒の席では彼の国の話を延々と聞かされた。その時の様子を思い返せば、この喩えにふさわしいものとは

 「蕗の薹とはどうです?早春を待ちわびて顔を出し、嬉しそうに葉を開きますよ。しかしながら、噛み締めて味わうとどうにもほろ苦い。甘いだけではなさそうなところとか、お客人によく似てらっしゃるかと。」
 「おや、まぁ、それは牽制ですか…。困りましたねぇ…、あざとくいお方を相手にすると、」
 口遊びの延長のつもりだったが、丁度よく頭と口が回ったが故に、”吹っかけた”。何かに付けてとっかかりでも引き上げられれば上々とは思ったが、食いついたのは初老の士官の方だった。キューレにとってみれば少しばかり意外な切り返しで、瞼を白黒させて露骨に動揺する表情を見せてしまった。それが士官の男には面白かったらしく、かすれた声で笑われた。
 「失礼しました、ははは、道化師様にはすぐに企みを見抜くお力があるようで。この皺くちゃな顔を持ってしても嘯けませんでしたか」
 「士官殿、私は別に表情から読み取るだけのモノではありませんよ」
 「ああ、つまりは色々なアンテナがあると…。そうでなくては務まりませんからな…」
 はは、とかすれた笑声と靴音が混じる。寒気によって何処までも響いていく靴音に比べて、直ぐに床に落ちていく士官の笑声は気味が悪く感じた。普段から隠し事などしない男だし、キューレをはめようと陥れようと得も損もないこの老人が、遠回しに自分に付け入るようなことをしている。話のきっかけを掴みたいのか、何なのか。あまり経験しない場面に対峙して、腹の奥に徐々にざわめきが溜まっていく。いっそ単刀直入に問いただしてしまおうかと焦れ始めたその時、出鼻を挫くように士官が切り出した。
 「遠回りに勘ぐってすみませんねぇ」
 キューレは喉奥まで出かかった言葉を飲み込んで、苦笑混じりに「いえ、」と取り繕った。士官は微笑みを崩さぬ侭、相変わらず長い廊下を共に歩む。数歩の間を紡いだ後、少しだけ顔を持ち上げて切り出した

 「あと3年、」

 ぴくりと、キューレの背筋に緊張が走った。右手に抱えていたコートの下で、心のざわめきを表すように指先が擦れる。
 「……あと3年で、城内の道化師としての雇用契約が切れますなぁ…。よく此処まで働いて下さいました。あと3年、任期を全うできますか?満足を得てらっしゃいますかねぇ?」
 動揺に拍車を掛ける唐突の質問に、キューレは即答出来なかった。あと3年…それは自分の中で大きな分岐点となる年だ。この道化師として城で勤めることがなくなる節目、それは自分で決めた分岐点であるからだ。ここで契約解除などと言われては溜まったものではない。故に取り繕うようにyes happyと答えるのが教科書通りの正解だろう。しかし、キューレは素直にその答えを口にすることを躊躇った。そもそも、この士官に上辺が通じないような気がする。道化師ならば嘘も方便と言いながら口を回すことができる筈だが、それはしてはならぬ選択であるような気がした。故に、しばらく考え込んだあと、答えた。
 「……任期を全うすることは、当然です。自分で決めたことですから、…。満足を得ているかと問われると、…何と答えたら良いものか。不満は何も、ありませんよ。エンターテイナーとしては素晴らしい舞台を用意して頂いていますし、…街中で戯けるのも幸せです。人々の笑顔を作り出せるこの職には誇りを持っています。…ですが、…。」
 「……行き止まりましたか?」
 「…」
 キューレは言葉もなく口元を引き上げ、何とも言えない苦笑を携えた。
 成りたいものがある。目指すべき目標がある。それが達成できれば自分の理想が叶うと思っていた。現実と理想の乖離を埋める為に段差を変えて揃えてきた目標の数々を遣り抜き、遂に頂上までやってきた。「仕事」という生きがいの中では、間違いなく今、最頂部に居ると思う。つまりは、これ以上、階段がないのだ。登りきった先には理想的な自分がいると思ったが、遥か頭上に兆しが見える。つまり行き詰まるとは、理想に届かぬ侭、足踏みをしている今のこと。
 「……完璧主義ではないと思っています。完璧主義だというと、現状に満足していないような気がするのです。そうではなくて、基準を高く持てる人間でありたい。今に満足しながらも、より良く精度を上げることや、求めることをしていきたいと思っています。」


 だけど、


 「……今、とても安定している。居心地が良くて、…それが物足りないと思う時はあります。道化師の道を目指した時のあの強い決意を思い出す時、……初心に立ち返る時、などに稀に。とはいえ、……私はもう、それでも良いかとも、…思います。3年経てばこちらとの契約も切れて、酒場の歌い手だけになります。資金繰りも目処が立ち、広場で道化をやりながら、もう少し自分の時間を保って、…嫁でも貰わないと。」


 離婚を決意する前夜
 常に大衆の真ん中で笑いを提供する道化師は、唯一の愛しい人間に満足のいく幸福を与えられていないと気づく。そして自分自身も、何かが満たされなかった。
このままでは行けないからと、見直した自分自身の在り方。変わりたいと思い、明日の自分を組み直し、思い悩む日々の、果てにきっとまた、誰かと過ごしたいと願うのだろう。
 その時に
 一瞬の感傷ではなくて、生涯健やかにいられる選択を、自分も、この先出会う恋人となる誰かにもさせなければならない。


 「……今の侭では、ご結婚は困難ですか?」
 「…………、仕事を言い訳には出来ませんよ。ですがまぁ、…若輩者の自分にとっては、もう少し余裕がないと、…満足に愛せないというか、…自分が許せないというか、…。妙な話です。理想的に愛するなんて詭弁は犬のアレ程にも価値がないとは解っているのですが、…腑に落ちないというか。一度目の離婚で学んだんですよ、自分は何処までも道化師らしく、阿呆なのだと。」
 「……離婚ですか…。最愛の人の為なら、貴方は何処までも尽くしそうだ。それを止めてしまったのだから、…余程自分が許せなかったんでしょうね。」

 キューレの中のいろいろな記憶や思いが湧き湯の様にぶり返す。次第に堪えきれなくなりそうな感情を押し留める為には、口を紡ぐしかなかった。反して、士官は嬉しそうに笑っていた。なぜかは分からない。ただ、こうして足掻く若者が好きなのかもしれない。老人の性質というやつだろう。かき乱されていくキューレと反して、老人は徐々に嬉しそうに機嫌がよくなっていた。
 「貴方の次のステップが、一人の人を幸せにすること、それが出来る男になること、…ですかねぇ。立派じゃぁないですか、仕事に大義があればこそ、家庭と天秤に掛けられないのが世の宿命です。貴方らしい課題でしょう。しかしね、……まだ、其処に行き着くのは早いと思いますよ?」
 「……?」
 士官は足を止めた。1歩分の歩みを踏み出したところでキューレも足を止めて振り返る。士官は朗らかに笑いながら、真っ直ぐにキューレを見ていた。



 「……宮廷道化師に上がりませんか?キューレさん。」



 耳を疑う言葉だった。どう、受け止めても良いかわからぬ侭、キューレは震える指先を握りしめた。それと同時に、自分の鼓動が早く、体温が上がってくるのを感じた。


 「貴方に、大義を授ける場所があります。」

 「………お言葉ですが、…士官、宮廷道化師など、この国の何処に需要がありますか…?身分制も階級社会もない此処で、…。私は、城主の前でだけ戯けるつもりは、…」
 そこまで言いかけて、キューレは口を閉ざした。じんわりと手汗が滲んだ手袋を付けた侭、口元を隠し、眉を寄せる。昨日曜日の、あの客人の話を思い出した。まさか、…。キューレの顔色が変わったのを受けて、士官は「察しが良くて助かります」と言葉を添えて笑った。

 「彼は、城主と懇意にしている他街の貴族です。彼が、貴方を宮廷に迎えたいと申しております。王の雇う宮廷道化師として。国内で唯一、批判をし、批難をし、人を嘲笑い、罵っても、罰せられない権力を持ちます。民衆の不満の念を吸い上げて、笑いに変えることは基より、政治に助言し、場所を選ばず自由に発言する。貴方が日頃、広場で見せている手品の類は、カーニバルの嫌がらせの儀式(シャリバリ)に活用され、そのよく回る頭と口は民衆と王朝の均等を保つ為の潤滑油になる。または天秤の滑車になるとも言える。本来、道化師が与える笑いとは、そのように、真の幸福を追求した先にある筈です。旧来、エンターテイナーとして貴族に飼われていただけの道化の身分はあの国にはありません。大義を持って宮廷に勤めることができます。それは、貴方が憧れ、目指した道化師の姿ではありませんでしたか?」


 橙色の空が紺色に染まっていく。山の向こうに吸い込まれた陽光が暗い影を落とす中、ひとさじの月の光が輝いていた。それは朧を脱ぎ捨てた理想の兆しの様に瞬く。




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