紛れたるや花の中







「キューレ、お主の誕生日はいつなんじゃ?」

 鏡の前でネクタイを締め直しているキューレの背後から、モルテが問うた。
 何分、ネクタイを巻きつけるので忙しい。視線をずらして鏡越しにモルテを見ると、椅子に凭れながらペンで手遊びを始めていた。一仕事終えて暇ができたようだ。

 「誕生日…ですか?もう忘れてしまいましたね…。この年にもなると、あまり祝って欲しいとも思いませんで…。」

 今年で32歳になる。祝ってもらう行為や気持ち自体は嬉しいが、自分の出生は思い出したくないものでもある。故に、誰かに誕生日を教えたこともないし、祝ってもらったこともない。しつこく聞かれても「忘れてしまった」ということだけで理由にはなるのだ。
 若干の素っ気なさを含んだ返答をしてしまったものの、モルテはさして気にした様子もなく、短く「そうか」と返した。その後に何か話題を続けるでもなく、キューレに渡す薬を纏め、紙袋に詰め始める。

 「…………先生のお誕生日ですか?今日は。」

 不自然に途切れていく話題に違和感を持ち、キューレはネクタイの長さを整えながら振り返った。

 「…………いや?」

 紙袋を机に軽く打ち付け、中身を整える合間を挟んだ後、モルテは首を振った。そして再びペンを取り、紙袋に薬の名前や必要事項を書き込んでいく。

 「ワシをいくつだと思っておるのじゃ?お主同様、いちいち覚えてもおらんし、祝ってくれと言うつもりもない。そんなものは、過ぎ行く一日の一つじゃよ。」

 必要事項の記入を終えた紙袋をキューレに向かって放る。ネクタイから手を離して受け取ると、自分の鞄の中にそれを落とした。こちらに顔を向けたモルテは常と変わらぬ物知り顔で笑みを浮かべ、「お大事に」と告げた。










 着替えを終えて診療所を出てからも、何となくしっくりこない。
 自分のことをあまり言わない…、というよりも、そういう関係ではない。医者と患者、それだけだ。掛かり付けの医師とはいえ、仕事の話以外はしてこなかった。激務に追われる身のメンテナンスに訪れる以上、必要以上のことを愚痴るのはいい大人として避けるべきだ。他愛ない世間話はするが、そこからいかなるきっかけが舞い込んでこようとも彼女の進退に関わることには触れなかった。
 マレーネに対してもそうだが、500年以上も生きている彼女らと同じ目線で話すことは難しい。自分の価値観で彼女を忖度することはできないし、雲を掴むような話の中で終えてしまいたくはない。自分の性分とも取れるだろうが、納得し得ないことはずっと引きずるので、自制していた。彼女もそうだと思っていたので、こんな形で誕生日の話題が振られるのは何だか落ち着かない。
 診療所からの帰り道、まっすぐに街道を進み商店街を進んだ。あれこれと並ぶ店先には雑貨類も多い。思考が散漫で、どうにも落ち着かず、キューレは雑貨屋に入ることにした。テラスで小休憩もできる雑貨屋で、以前も使ったことがあった。
 テラスの席に付いてアイスコーヒーを頼む。初夏の陽気が燦々と降り注ぐ快晴の午後は、考え事をするにはもってこいだ。負の思考も晴れやかに浄化しそうで、楽しいことを考えるには丁度いい。
 店員に頼んだオーダーを待つ間、荷物を椅子に置いて店の中の商品棚を物色することにした。キラキラと光る可愛いアクセサリーが並んでおり、何だか気後れする。そもそも、プレゼントをするかどうかすら、決めあぐねている。
 
 モルテがどのような理由で誕生日という話題を振っのか、考える。
 500年という長い長い月日を過ごしてきた彼女にとって、誕生日は取るに足らないたわいない話題なのだろうか?世間的に考えると、大切なイベントとして認知されていることだろうが、その常識が当てはまらない可能性は高い。だからこそ、誕生日かと問うても明確な答えが返ってこなかったのだろうか。なんとなく思い出して、口を付いて、それだけなのかもしれない。

 「仮定、そうだとして、……どうしたものかよ。」

 求められていないが、日頃の恩がある以上、素通りするのも忍びない。むしろ、世話になっている礼をするいい機会だと捉えるべきだろう。深い意味は込めなくとも、感謝の気持ちを前面に押し出して、渡せばいいのだ。

 「さて、何を仕込みましょうかねぇ。」

 キューレは暫く商品棚の前を物色しながら過ごす。
 支払いを済ませてテラスに戻ってきた時には、アイスコーヒーの氷は溶けて小さな島を浮かべていた。








 「忘れ物ぉ?そんなものは無いぞ、全て持って帰ったであろう?」

 キューレが診療所の扉を再び叩いたのは、夕刻の事だった。沈みかけた橙の日差しが、呆れ顔をしたモルテを照らしている。

 「いやいや、確かに忘れ物をしました。お気づきになりませんでしたか?先生」

 首を傾げ、態とらしい手振りを添えて問い返した。まるで営業中の道化師の様な素振りをしたことで、モルテの怪訝な眼差しは徐々に細まり鋭利なものになっていく。とはいえ、患者もいなかったので、この下らない口実に隠れた企みを察せども、付き合ってくれるようだった。

 「一体なんじゃ…。そろそろ夕飯の時間でな、手短に済むんじゃろうな?」
 「勿論ですとも。」

 やれやれと肩を落とし、モルテはそっと扉の脇に寄った。キューレが中に入れるように道を開けたつもりだったが、キューレは玄関の敷居を跨ぐことはしない。代わりに先ほどからずっと後ろに回していた左手をモルテに差し出したのである。
 その手には桃色のレースとリボンで包装された小ぶりな花束が握られていた。
 かすみ草、スイートピー、ホワイトレーフラワー、淡い色が並んでいる。

 「…………なんだこれは。」
 「忘れ物です。」

 モルテは開いた口が塞がらない。花束を掴んでいいのかも分からずに呆然としていたが、キューレが彼女の手元にそれを押し付けると、おずおずと受け取る形になった。花束越しに背の高いキューレを見上げると、にこやかに笑っていた。

 「………お主な、忘れ物になっておらんだろうに…」
 「はて、何のことでしょう?」
 「わしが誕生日の話を振ったのを覚えておいて、わざわざ渡しに来たんじゃろう?今日がそうだなどと言ってはおらぬぞ」
 「…………いいえ?」

 予想に反したキューレの答えに、モルテは瞬いた。キューレは胸元に手を当てて少し屈み、彼女と視線を合わせる。

 「今日は初めから、貴女に感謝の意を伝えるつもりでおりましたので。いつもありがとうございますドクター。あともう少し、お世話になりに来ますので、宜しくお願い致します。」

 ニンマリと笑い、律儀に礼を添える。モルテは終始ポカンとしたが、最期には小さく笑い、くすりと勝気に笑った。




 
 宵に紛れる様に、藍色のスーツが街並みに溶けていく。モルテは診療所の窓辺でその姿を見送りつつ、花瓶に移すべく花束の包装を開いた。3種の花たちの茎をの長さを揃えようと、茎の端に目を留めると、瞠目して手元が止まる。

 三種の茎を束ねる様に、麻紐が巻かれている。その紐の繊維の中には小さなクオーツが隠れていた。


 「…………道化師めがよくもまぁ。」

 






fin.
HAPPY BIRTHDAY Dr MORTE!
――――――――――――



ホワイトレースフラワー:感謝/かすみ草:思いやり/スイートピー:優しい思い出/
4月の誕生石:クオーツ





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