【calp diem】











 夏が終わる。
 あれほど乾いていた青空も、照りつける強い日差しも、日を追うごとに衰えていく。青々と育っていたあの新緑の森は、秋の訪れを知らしめるように夜風に土の薫りを混ぜていた。鼻先を擽る夜風に撫でられると肌寒く、思わず薄手のシャツの袖を撫でた。これは立派な晩夏の証といえるだろう。
 キューレは町外れの宮殿にいた。軒を連ねる家屋よりも飛び抜けて高いところに建っているので、テラスに出ると星がよく見える。傍に抱えていたストールを肩に羽織りながら、遠くで光る一等星を眺めていた。
「もう、すっかり夏も過ぎましたなぁ。老体には寒さが堪えます。」
 テラスから通じる大広間では、士官が書類を広げて筆を進めていた。カーテンを揺らす夜風がパラリと書類の裾を持ち上げる。
「失礼、窓を締めましょう。あまりにも星が綺麗でしたので、見入ってしまいました。」
 キューレは苦笑を携え、テラスから広間へと戻った。大窓を引いてぱたりと閉じ、外気を遮断すると、視線はテーブルの端に用意されたティーセットへと向かう。温かな紅茶で互いに温まろうかと提案しかけたものの、士官はその意を察したのか、「私はいりませんので、」と断った。
「星ですか、今夜ならば、獅子座がよく見えるでしょうなぁ。あちらの国ならもっと、近くで見ることが叶うそうです。」
「……それは楽しみですね。」
 キューレは士官の言葉を心の中で反芻した後、ゆったりと間を置いてから微笑んだ。一人でティーセットに触れるつもりもなく、数歩歩いて士官と対面する形でソファに腰を下ろした。膝を開いて浅く座り、両指をゆるく組んで腹の上に落とす。背もたれの柔らかさに沈みながら、天井から釣り下がるランプを眺めていた。



 『……宮廷道化師に上がりませんか?キューレさん。』

 『貴方に、大義を授ける場所があります。』




 最後の最後まで迷っていたが、この話を請け、他国に渡ることにした。
 それはレターズフェスで自分よりも早く歩み始めたアンゼに触発されたこと、クレハと共にあることでロナンシェが変わりつつあること、ヴィンフリートが帰ってきたこと、ジュゼッペが夢を叶えたこと、…それは間接的にも、直接的にも、キューレの心を突き動かして行った。
 燻っている場合じゃない。道化師として生きて行くならば、安寧などを選ぶ余地はない。
 もしかしたら初めから、心の何処かで、そう願っていたのかもしれない。

「キューレさん、書類が整いましたので、ご調印をお願いします。」
 士官は筆を置き、キューレに向けて差し出した。入国許可書、招待状、その他様々な書類がそこには並んでいる。サインを書く欄が一つずつ設けられており、そこに自分の名前を記していく。出国届けと入国届けには割印を押し、インクが乾いたところできちんと畳んで封筒に収めた。封蝋が圧され、それはあの国に渡るまでは決して開かれない。
「……確認しますが、宮廷道化師に上がるには、試験があります。あの国の情勢も不安定ですので、危険は付き纏います。高い倍率を勝ち抜くことが求められますので、険しく厳しい道のりになるでしょう。万が一、試験に落ちた場合は、この国にお戻りになりますか?」
 士官は封蝋を片付けながら問う。それは神妙な面持ちだった。何が起こるかわからない。命の危険に晒されても、誰かが助けてくれる保証もない。それは、危険な旅になると暗示している。キューレはもちろん、それを承知している。故に、穏やかに笑った。
「落選したら戻ってくるしかないでしょうなぁ。友人の店でウェイターでもやりますよ。」
キューレは封筒をジャケットのうちポケットに仕舞い、立ち上がった。今日の用事はこれで済んだとばかりに、士官に一礼をする。

「……お戻りになるおつもりには、見えませんがねぇ。」
 士官は皺くちゃな顔を持ち上げてキューレを眺める。キューレが進めている”旅支度”がどんなものであるかを、この士官は見抜いていた。それ故の問いである。万が一にもこの街に戻ってこれる状態にはなっていない。真意を問う眼差しを受け止めながら、キューレは下げていた頭を持ち上げた。






「保険があってはねぇ、燃えないんですよ。勝負には0か1かしかないじゃぁありませんか。

 それ以前にねぇ、小生とも有ろう者が!落ちるとお思いですかな?」




 根拠無く言い放つ高慢、燃え上がる野心は紫炎の如く。
 シアンカラーに塗った唇を大きく釣り上げて、道化師は声高々に嗤った。

 








冒険者や勇者などという言葉にはあまりに釣り合いが取れないだろうね
俺は道化風情だから。

けれど阿呆には阿呆なりの 生き方ってものがある。








出国まで、あと数日。



一日の一話 笑劇を
生きた証を、残しましょう。





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