【お題:はじめまして】






 





「主様、ご起床下さい。」 

 耳に届く畏まった声により意識が浮上した。その次には瞼越しに明るさを感じ、そっと目を開くと、朝陽が飛び込んでくる。ベルホルトは再び瞼を閉じ、手甲で擦りながら寝返りを打った。

 「大変失礼致しました。」

 言い終わるが早いか遅いか、カーテンレール鳴らして朝陽を遮断すると、ベルホルトを苛んだ眩しさはなくなった。とはいえ、すぐに目が覚める訳もなく、ベルホルトは至極迷惑そうな表情のまま、体を起こし始める。片膝を立てて肘を掛け、それを支えにして再び目を擦る。ナイトガウンはシーツの中に置き去りにして、上体を晒していた。

 「………中々、巧い起こし方をするな?ガロット」

 ガロット、と呼ばれた執事は、窓とベットの間に規則正しく規律し、佇んでいた。浅く礼をして、再び体を起こしながら眼鏡を持ち上げる。

 「申し訳ございません。昨晩の主様に、何がなんでもこの時間に起こす様に申し遣いましたので、仰せの侭に致しました。」
 「………はぁ。」

 ガロットの言葉を何度か反芻させた後、ベルホルトは気怠さを隠しもせずにため息を付いた。

 「……そうだったな。鍵まで預けていたことを思い出した。」
 「……支度は全て整っております。あとは、主様のお召し物と、お食事を待つばかりですが…」

 主の顔色を伺うように、ガロットはのぞき込んでくる。
 今日の予定というものが、ベルホルトにとっては億劫でしかない事をガロットも知っている。故に、これは最後の確認だ。”行く”のか”行かない”のか。
 ベルホルトは指先で瞼を拭った後、髪を無造作に掻き上げる。ぼさりと乱れた髪の流れを気にすることもなく、暫く考え込んだ後、ガロットに微笑みを向けた。

 「……君たちの努力を無駄には出来まいよ。」
 

 時間に余裕を持って起こされたとはいえ、秒針の進みは早いもの。ベルホルトはガロットの手を借りながら支度を始めた。









 クリオール家―――――
 子爵位の貴族で、先祖に聖グリフォンを持つ。その血は代々受け継がれてきた。
 『鷲の様に聡明で、獅子の様に勇猛。』 ペンを持とうと剣を持とうとどちらの才にも恵まれた血統は、羨望の的である。
 しかし、それも一昔も前のこと――――――

 やがて血は薄れ、今では常人よりも”少しだけ優れている”という程度の特質しか持たないと言われている。街に出れば幾らでも歩いている人外とさほど変わらず、その価値は薄れた。
 それどころか、鳥目、鉤爪、…戦闘種としては不要なもの、文官としては致命的なものが遺伝することも多くなった。 
 その原因は”何処かの代に魔性が混ざったから”と誠しやかに囁かれている。謂れのない噂だが、クリオール家が派閥に分かれたという事実もあり、尾ひれが付いて出回る都市伝説の様になっていた。
 昔ながらの一神教を貫き、同性愛の認可にさえ理解を示さない。どこの時代にもいる堅物貴族、それがクリオール家の体質である。つまり、誇り高き血脈を失ったことは一族の失墜を意味する。一刻も早く、聖なる力を取り戻さなければならない、―――――そう、誰もが思っていた。
 そこに、起死回生となる一手が、舞い込んできた。




 「ファルルはどうした?」


 クリオール家本邸の本堂の椅子に腰を掛け乍ら、クリオール家当主、(ベルホルトの父に当たる)ジョバンニは、ベルホルトに問うた。
 長い長い机の両端には、長男のベルホルト、従妹、…派閥も合わせ本家の人間が揃っている。そんな中、ベルホルトの隣の席は空いていた。妹のファルルが座るべき席である。

 「部屋から出たくないと申しておりましたので、私が欠席を許可しました。」
 
 ベルホルトは父親に向けて端的に答えた。
 
 「ここのところ、食事も部屋に運ばせている。礼拝を覗いて必要最低限のこと以外はとんと出て来なくなってしまったな…。」
 「仕方がないことかと…。」

 ため息交じりに嚆矢された集会は、一瞬の淀みを生む。

 「仕方がないとはどういうことです!?」

 娘に甘い父子に苛立ちを覚え、本堂に怒喝が放たれた。ベルホルトの従妹に当たる年上の男である。

 「ファルル様は唯一無二、グリフォンの血を濃厚に受け継がれた御身でしょう?ようやくこの醜聞を払拭できるというのに、彼女はその責任を解っておりますか?!」
 「ファルルとて1人の女性です。日に日に現れる身体の変化を受け入れることで精一杯なんですよ、もう少し待って下さいませんか。」
 従妹に向かってベルホルトは静かに返した。激昂する男がそんなお涙ちょうだいで収まるワケもない。真っ赤に染めた顔を怒り任せに皺くちゃにして立ち上がろうとした、寸でのところで、当主から「よせ」と命が下る。

 「ファルルの件は、私から話をしておこう。ベルホルト、お前も勝手な許可を与えないように。」
 「……大変申し訳ございませんでした。」
 父親に対して形だけの謝罪をした。当主はそれを横目に一度深呼吸を挟んだ後、再び本家の者たちに向き合う。

 「………では、これより会議を行う。
  議題はファルルをいつ、世に知らせるかだ。クリオール家はかつての栄光を取り戻さねばならない。取り戻すばかりではなく、繁栄せねばならない。この国に貢献する貴族として、彼の人格を取り戻さねばならないのだ。 」



 重々しく広がる父親の声を聴いていた。



 (なぜ、グリフォンの血にこうも拘る…)


 人の本質とは、遺伝なのだろうか
 その血は、人の価値すら決めてしまうものなのか
 
 ベルホルトは腕を組んだ侭、自分の目の前に置かれた紅茶の水面を眺めていた。
 ガロットが締めてくれたスカーフを巻いた、自分が映っている。



 それが首輪に見えて仕方がなかった。













 貴族というだけで持て囃される。
 『鷲の様に聡明で、獅子の様に勇猛』
 その言葉通りになりたくて、ベルホルトは小さい頃から努力を怠らなかった。

 生まれた時、既にグリフォンの血脈が薄れていると揶揄されていたクリオール家は、男児の誕生に歓喜する。
 先天的な髪の色、―――――それは血の濃淡を測る上では欠かせない。
 紫暗の髪と金色の瞼を持ったベルホルトは、注目の的だった。

 後天的に力が発症することもある。
 ベルホルトは小さい頃から賢く、あらゆる学問に才を見せた。人に教えることを好み、まるで教師の様に弱いものの為に尽くしながら育つ。
 騎士団に入団後、剣術を学び、力強く敵を薙ぎ払う姿は獅子の様だといわれ、グリフォンの末裔らしい栄誉を得ようとしていた。
 21歳にして、所属騎士団の時期副官のポストを約束されるまでになる。
 これは血の力ではなく、自分の努力の賜物だと思っていた。期待に応えようとして人の見えないところでどれだけの汗を掻いたろうか?一昔前のことのようで、しかし昨日の事の様に鮮明に思い出す。血が滲む様な毎日だった。
 
 高貴、高潔、――― グリフォンの末裔。時期当主としてクリオールの将来を担う者としての道。
 クリオール家の再来まで、―――――あと少し。
 
 その日
 沸き立つ本家の庭先に出て、夕陽を眺めていた。
 ぽっかりと浮かんだ橙の太陽が、山の合間に吸い込まれていく。
 引き連れられた夜半の暗さに、ベルホルトは恐怖を覚えた。

 「………今夜は、暗すぎないか。星もお前も見えぬ。」

 




 (暗がりの中では視力が効かない。烏やコンドルみたいに、夜目が効かない?)
 (せめて獅子の様に、宵に紛れる術を持っていれば、良かったのに。)

 箸が転んでも承認された今までとは違い、すべてが否定される。
 この家は、血の濃淡でしか人を評さない。
 どうして、本質を見てくれないのだろう?過程を見てくれないのだろう?
 息をするにも苦しい、――――
 一転して窮屈な生活を強いられることとなり暫くして、助け舟にも似た形で騎士団の指令を受け、家を出た。
 別宅に単身。



 ―――――――但し、荷物は付いてくる。









 「お帰りなさいませ、主様。」

 本邸から別宅まで帰ってくると、門の前にガロットの姿があった。手際よく開けられた馬車の戸を潜り、半日ぶりに庭先を踏む。玄関までの距離を進む合間にガロットは荷物を受け取り、変わりにベルホルトの肩にストールを掛けた。春先とはいえ陽が傾くと寒くなる。

 「久しぶりの本家の会合、お疲れ様です。いかがでしたか?」
 「最悪だ」

 間髪入れずに低い声を返した。ガロットはきょとりと目を見開き、返す言葉を探している。
 
 「……最悪、とは?」

 
 控えめに、静かに、―――――聞こえていないと、言い訳が立つ様な、そんな問い方をする。気が立っている主の琴線に触れないように配慮した、巧妙な問い方だ。無論、ベルホルトもその意を介しているが、背を向けて先を歩いたまま、沈黙を保ち答えを迷った。

 「……済まない。嫌な思いをさせてしまったな、…君のお蔭で遅刻せずに済んだ。まず礼を言わねばならなかったな、ありがとう。」
 
 肩越しに振り返ると、ガロットの何とも言いにくそうな、悲しそうな、表情を見つけた。時折、こういう表情を見つける。本家から与えられた執事であり、別宅での生活が始まるまではその存在すら既知していなかった男だ。自分などストイックに扱えばいいだろうに、そのような素振りは見せない。今見せる表情も、犬猫の尾でもあれば、垂れ下がっていそうだ。
 無論、鉄面皮の裏に隠れていて、慣れていなければ見過ごす程度の変化だろうけれど。

 「……主様、何か辛いことなどございましたら、私にもお話し下さい。主様の執事として、尽力致します。」
 「……―――――ガロット、」
 
 まっすぐに見つめられる赤い瞼に抗えない。柳眉を垂らした情けない顔で少しだけ俯いた後、ベルホルトは顔を上げた。そして息を吸い込んで発そうした声は、何処からともなく聞こえてくるドップラー効果により打ち消されていった。


 「ぬっしさまあああああああああああ!!!!!」

 ベルホルトが振り向いた時には既に遅く、視界は真っ白に染まっていた。それが何かを考える暇もなく、受け止めきれない衝撃に吹き飛ばされて廊下に倒れこむ。自分の上に圧し掛かる”何か”は雄雄しい声で「ぎゃーーー!」と叫んだ。


 「わ、!うわぁすみません!あれ?主様がいたような…??」
 「―――――――シャン。貴方という人は…」
 ガロットは目の前で起きたことが未だ信じられず、わなわなと震えている。
 
 「ひ!!先輩!!すみません!洗濯物、今、取り込み終わりました!今、主様の部屋に運ぼうと…思ってます!すみません!」
 「……シャン?私は今日は廊下で寝るのか?」
 「へ??」

 ベルホルトは自分の背中の上に被さっているのがシーツだと解った。シーツを払いのけて肩越しに見上げると、自分の上に跨っているのがシャンだと気づく。―――――というよりも、こんな事態を引き起こすのは、彼以外あり得ない。猪のように突っ込んできたのも、シーツを畳まずに持ち歩いていたせいで前が見えなかったのも、容易く想像できた。加えて自分が帰ってきたことに気づき、色々と慌てたのだろう。当の本人よりも早く、事の次第を理解する。いまだに慌てふためいているシャンは、そっと視線を持ち上げた。怒りで蒼白した頬をひくつかせたガロットが、ナイフを構えている。
  
 「…………早く退きなさい…。折角のシーツが真っ赤に染まってしまうでしょうが。」
 「ひい!だ、ダメです先輩!!今日1日干したから、ぽかぽかなんですよこのシーツ!もったいないじゃないですか!」
 「何処がぽかぽかですか、さっきまで庭に出してあったでしょう、もう時化て冷たくなってますよ!」
 「あ、そっか…大丈夫!春だし!冷たい方が主様も気持ちいいですよ!ね!!」

 真夏の太陽の様な眩しいどや顔で問われたが、ベルホルトの肩にはさきほどガロットに架けられたストールが垂れている。つまり寒がりだった。

 「いいから早く退きなさい!!!!」


 

 血管が切れそうなほどに一喝したガロットの声は、向こう三軒両隣まで響いたという。











 呆れそうな程に騒がしい。
 けれど、それを愉快だと思ってしまうのだから、仕方がない。

 
 粛清が始まった両執事の怒涛のやり取りを廊下に座り込みながら眺め、ベルホルトは参った様にはにかんだ。







 あの息苦しさは、此処にはないのだ。

 羽安めの止まり木でいい。
 生きている限り、私はまた、あの家と戦わねばなるまい。






「丘で、貴方の馬を見て、走りを見て、何より声を聞いて。本能的に使えるべき人だと思ったんです。」






 居場所は此処にもあるのだ。





fin.






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