西陽が傾いていく。空から橙色が吸い取られていく。桃色の傘を照らす光は失われ、ベルホルトの視界も暗転していった。 最後に見たガロットの表情といったら、 「生涯、を……共に、添い遂げたい」 その言葉を紡ぐ表情が、泣いているように見えた。 「ガロット?泣いているのか?」 聖グリフォンの一族が持つ鳥目という体質は厄介で、こんな時にも律儀に発症する。鳥の夜目が効かぬ通り、ベルホルトの瞼も準じているのだ。耳に慣れた喧騒だけが頼りで、夜半は視力を失ってしまう。街灯の灯では瞼に届かず、視力以外の感覚を頼らなければならない。 ベルホルトは目の前に居る筈のガロットに左手を伸ばした。左胸ポケットに挿したスリジアの枝がかさりと擦れる感触がする。持ち上げた手のひらは空を撫でるばかりだったが、一拍置いて柔らかな感触を得た。爪先を動かすと、それがガロットの頬だと解る。やがて手甲に手のひらを重ねる感触が加わり、わずかな息遣いからガロットが微笑んでいるのが解った。 「……申し訳、ございません……、私としたことが、つい……」 声が震えているのが解る。少しばかり湿っているように感じるのは、涙の跡だろうか。親指で瞼があろう場所を撫でてやると、雫を拭った気がした。 ベルホルトは瞼を細めた。気丈夫と言える程の気概ではないにしろ、大の大人である彼が涙を流している。様々な思いが、駆け巡っているのだろうか。どんな顔をしているのか、見ることが出来ない。それがこんなに悔しいことだとは思わなかった。 嬉しい 嬉しい、 抱きしめたい どうして私には見えない この指先に触れる感触だけが世界の全てだ さっきから耳に馴染んだ喧騒も、もう空気にも同じ。今さら鼓膜を震わすことはない。 ガロットの嗚咽と、込み上がる言葉しか届かないというのに 肝心の愛しい男の姿だけが、この眼に映すことが出来ないなんて 「……ベルホルト、私に釣られないでください」 ガロットの言葉があまりに唐突で、その意味を問うように瞼を持ち上げた。 「……? 何がだ」 「……悔やむ様な、表情をされています。私は悲しくて泣いている訳ではないので……どうかそんな表情は、しないで下さい」 「そんな表情」と言われて初めて気づいた。思った以上に辛気臭い顔をしているのかもしれない。左手を戻し、自分の頬に触れてみた。肉付き薄い頬を抓っても自分では表情の色は解らないが、すぐ傍で喉を震わす笑い声が聞こえる。顎を持ち上げて若干ピントがずれた視線を持ち上げると、ガロットが「いえ」と断った。 「……愛らしい顔です。ベルホルト、」 柔らかな声、空気、―――――それだけでガロットが微笑んでいるのだと思った。 瞼に映さなくても、見えるものがあるだろうか それはこうやって浮かんでくるのだろうか 愛しい人だから、浮かび上がるものだろうか? ベルホルトは僅かに俯き、口元を緩めてはにかんだ。ここにきて、漸くガロットが喜んでいるんだと解った。解った途端、どうにも照れくさい。俯いた髪先が胸元のスリジアを撫で、その存在を知らす。一刻前に出会った少女の姿が脳裏を過る。 (私は、私の幸せを手にすることが出来た。君はどうだろうか?) 「……フェアリー・ゴッド・マザーは、……暫くは私の前に現れない」 この葉と同じ髪色の、彼女の元に赴く筈だから。 魔法の一振りでこの瞼を元に戻してはくれない。そんな奇跡は起こらない。 ぽつりと呟いたベルホルトの言葉を拾うように、ガロットが相槌を打った。二人で細やかに微笑む。柔らかな時間に彼を閉じ込めるように、ベルホルトはガロットの手を引いた。 「……ガロット、キスをしようか」 ざあ、と夜風が過ぎる。ガロットの動揺を表すかの様に、スリジアの傘が鳴いた。 「……ベルホルト、それは」 言わずもがな、危険な行為だ。何処で誰が見ているかも解らない。クリオール家の者が見ているリスクも拭えないのに 「私と結婚するということは、そういう事だ」 幸せを掴んだ。添い遂げる男を射止めた。ならばこの先に待つのは、苦難の道だ。 共に毒を飲み、針山を渡るということ 「……スリジアに誓って、君を離さない。だから私の瞼に映る様に、近く――――、もっと近くに、来てくれ」 唇が触れる程、近くに 前髪が、触れる Fin. [mokuji] [しおりを挟む] |