スリジアの恋人 前編






 














「あ!」
「え?」

 立夏の午後、祭りの喧騒も引いたスリジアの下で、件の葉を拾おうとしたベルホルトは、思わぬ横やりに手を止めた。声に釣られて見上げると、スリジアと同じ桃色の髪をした女の子が立っている。今にも噛み付きそうな剣幕で奥歯を噛み、激昂する理性の手綱を掴む様に両手を胸の前で震わせながら、ベルホルトを睨んでいた。
「それ、アタシが先に見つけたの!拾わないで!」
 細い喉から押し出した声はあまりに煩く、祭り会場に響いた。喧騒を沈める程の甲高い余韻も止む頃、ベルホルトは手を引き、スリジアの葉を彼女に譲ってやった。




 毎年の事ながら、スリジア祭りは盛況だ。今年はドリム家がパーティーを併設している事もあって、貴族連中はそちらに往き、階級が低い市民たちは祭りに繰り出す。すみ分けがきちんと出来た分、局地で活気が溢れていた。今年は仮装大会がないだけに、金の周りが酒と飯に注がれて、何処も豪勢である。
 そんな中、貴族と一目で解る出で立ちでスリジアの樹の下にいるベルホルトは、悪目立ちしていた。春仕様に生地を薄くした事もあり、もともとの稜線の細さを際立たせる所為で騎士には見難い。いかにもインテリ王子といった風貌のベルホルトに絡む酔っ払いも少なくないが、それらを払い退ける執事の姿はない。ベルホルトはドリム家の会場を抜け出し、一人で此処にいる。

「君も、スリジアの葉を探しに来たのかな?」
 スリジアの葉を拾うべく跪いていた身を立たせ、桃色の少女を見下ろした。少女の身の丈は、ベルホルトの胸下程度しか無く、齢は10に差し掛かった辺りと推察する。初等教育を終えた辺りかその間際か。それにしても枝の様に手足は細く、髪も汚い。誰の目から見ても、貧困地区から紛れ込んできたと解る風貌だった。
「そうだ!スリジアの、ハートの形をした葉を見つければ、出会いがあるっていうから」
 少女は譲られたスリジアの枝を握りしめ、胸の高さに置き、穴が開くほど眺めている。その瞼は宝石の様に眩く煌めいていた。桃色の葉に絶大なる期待を込めているのが解る。まるで人生の門出にでも立っているかのような少女の喜び様に、ベルホルトは穏やかに笑った。
「その話は誰に聞いた?」
 こんな只のマジナイでしかない余興を少女に刷り込んだのはどんな大人だろう。これでは神のお告げでも受けたみたいだ。
ベルホルトの顔を見上げ、少女は丸い目をこれでもかと見開いて答えた。
「天使様のお告げだ!夢の中で、天使様がアタシにそう教えたんだ!だから急いで探しに来たの!」
 勢いに気圧され、ベルホルトは瞠目した。夢の中、と言われると信憑性が高まる気がする。が、教会に通っていればもう少し奇麗な姿をしていそうなこの少女が、欠かすことなく祈りを捧げていたとも思えない。ベルホルトは何とも言い難い心持ちになったが、夢を挫く真似も出来ずに頷いた。
「そうか、天使様のお告げがあったなら、神は君にチャンスをお与え下すったのだな。そして君は其れを手にしたのだから、良い出会いがこれから巡ってくる。おめでとうお嬢さん」
 ベルホルトの人の善い笑みを見つけ、少女も満面の笑みで頷いた。勢いづいて弾む髪が元の位置に戻る。



“スリジアの葉の中には、ハートの形をしたものがある。それを見つけると、素敵な出会いが訪れるかもしれない”



 五月初旬、立夏の頃、夏を歓待する外気は一入熱く、さわりと囁く桃色の傘が揺れる。木洩れ日から差す陽光が後光の様に美しい。妖精でも踊りそうな煌めきは神秘的で、とって付けた様なキャッチフレーズも、信憑性が増してくる。愛の国の者たちは、毎年、この時期に出会いを求めて集う。

「お兄さんも、誰かに出会いたいの?」
 
 天を覆う枝葉の傘を見上げていると、少女が問うた。
「誰かに会いたいから、この葉を探してたんでしょ?」
「………」

 当然の質問だった。その為の祭りなのだから。
 しかしベルホルトは口を噤んだ侭、還す言葉に迷う。誰かに出会いたい訳ではなかったからだ。


 暖かな午後の風が頬を撫でていき、昨年の記憶を呼び戻す。




 『執事二人もそうだし、ニグレドとも話す機会があった。環境を変えると出会う人間も違うようだ。今後も幾らでも出会うチャンスが巡ってくる。だから君に渡すよ』

昨年の今日、ベルホルトは執事を連れてこの祭りに参加した。別宅に引っ越しを済ませて暫くした頃の事だ。漸くガロットと打ち解け、押しかけてきたシャンを住まわせ、ニグレドと知り合った。あの時は、たくさんの出会いを貰ったばかりで、これからの一年に期待を寄せていた。だから拾ったスリジアの葉はフィロメーナに差し出した。
『機は神の采配に任せるよ。私はまだ揺蕩うのだ、風に運ばれたこちらの葉の様にな』


 一年間、揺蕩った。あの時足元に落ちたあの葉の様に。
 そして今日に至れば、只の執事でしかなかったガロットは恋人になり、押しかけていたシャンは恋人を作り家を買うだどうだと言い、ニグレドの傍にも仲睦まじい誰かがいる。

 新たな出会いよりも、共に過ごしてきた者たちとの過程の方が余程、尊いと思った。
『結局は、その出会いにどう意味を付けるかが、問題なのかもしれんな』
 昨年も、そう思い至り、そこからぶれる事無く、今がある


ならば 今日、執事の目を盗んで此処にいる理由は


「…………スリジアの葉は私にとって、願掛けの様なものなんだ」
「……がんかけ」

 ベルホルトから零れた答えがあまりに以外で、少女はぽかんと口を開け首を傾げた。

「昨年の私は、スリジアの葉を欲してこの祭りに参加した。結局、新たな出会いに恵まれることは無かったが、……それよりも見落としてはならない事があった。今、一番愛している人に初めて歩み寄ることが出来た場所が、……此処なんだ」

 陽光に照らされた白髪に初めて触れて、衣装を着せて初めて戯れ、その日から、バカバカしいと思うことだって憚らずにやって、少しずつ距離を詰めて歩いてきた。クリスマスには、指輪をこの樹の下で貰った。何かに付けた節目の時、スリジアは共にある。

「だから此処は原点回帰の場所なのだ、私にとっては。今年、もう一度スリジアの葉を見つけることが出来たら、勇気を貰える様な気がした。新たな一歩を踏み出せる気がしたんだ。だから私は、その葉を探しに来たんだよ」

 ベルホルトは涼しげな金色の瞼を三日月の様に細めて笑った。そこに迷いが吹っ切れた清々しさを感じて、頬を撫でる五月の風に清涼感すら覚え、――――桃色の少女は瞼を見開いた侭、立ち竦んだ。
少女が肩を弾ませ、ハっとした時、すでにベルホルトは懐中時計を開いて時刻を確認していた。今にも立ち去ろうする気配滲ませるベルホルトの姿に、少女は慌ててその腕にしがみ付いた。何事かと思い、ベルホルトも瞠目する。

「葉っぱ、葉っぱ、お前が持っていかなきゃ、駄目じゃないか!?」
「――――――?!」

 唐突にしがみ付かれたことは元より、少女の言葉を理解するのに一寸の間を要した。叱られている事に理解が追い付かないが、その言い方がぎこちないと思った。少女は気分が高揚すると言いたい事が上手く説明できないらしく、何かを訴える様にベルホルトの袖を何度も揺すり、奥歯を噛みながら眉根を寄せていた。

「この葉っぱがあったら、お前は元気になるって事だろ?!ということは、今、辛いことがあるんだな!?」
「……それは、」
 辛いこと、と言われるとピントがずれている気がした。だが、返す刀は彼女に説明が付かず、押し黙るほかはない。
「だったら!この葉っぱはお前が持っていかなきゃ駄目だ!」
 
 少女の言葉は説得に変わりつつある。ベルホルトは息を詰め、返す言葉を選んでいる間に、少女は畳みかけてくる。仕舞いには、漸く手に入れたスリジアの葉を勢いよくベルホルトに押し付け、手に取るまでじっと大きな瞼で訴えかけてきた。ベルホルトはどうにも出来ずに首を横に振って手に触れることを拒んだが、少女はついにベルホルトの胸ポケットに葉を突っ込んで離れ、自分の両手を腰後ろに回して隠してしまった。あまりにも強引極まりない行動だったが、彼女の瞼が震えている所を見るに、自分の欲求と精一杯戦っているのが解る。幼気な姿にとうとうその葉を抜き取り手にすると、ベルホルトは柔らかく微笑んだ。

「…………君の様な育ちの子にも、優しさは育つのだな」
「育ちなんて関係ない。正しいことは貧富に負けない。優しいかどうかは解らないけど、……人の邪魔をしないってことと、応援することは正しいから、……」
 ベルホルトは見下ろしていたスリジアの葉から視線を反らし、桃色の少女を見下ろした。言葉を噤んだ不自然な合間が気になったからだ。だが、相変わらず説明が出来ない少女は、もごもごと口を動かすだけで悩み耽っているようにも見える。ベルホルトは口元を笑わせ、少女が言いたい事を予想する。

「……正しい道の先に、神が居わす。故に、貴女の前に何が立ち塞がろうとも、正しい行いを曲げてはならない」

「あ!そ、!そう!なんか難しいけど、きっとそう!」


 少女がベルホルトの言葉をどこまで理解しているかは怪しい。勘の様なもので答えているのは見て解る。ベルホルトはくつくつと喉を鳴らして笑い、スリジアの葉を胸ポケットに入れ直した。

「ありがとう、お嬢さん。では此れは私が戴きます。貴女が私に施して下すったこの行為はとても尊い。神の御加護が、……必ずや貴女にも訪れる。私はそう信じています」
「ほ、本当か!?」
「本当だ。現に、スリジアの葉を始めに手に取ったのは貴女なのだから。神は正しく見定める事でしょう。だから安心して行くと良い」
 ベルホルトが少女を諭す姿は神父の様に誠実で凛とする。金色の瞼は鷹の如く真実を射抜き、ペンを執る獅子は弁が立つのだと、聖グリフォンは告げている。少女は益々嬉しそうに笑い、表情綻ばせて何度も頷いた。後ろに隠していた手を胸元で絡め、頬を染めてベルホルトにだけ、願いを吐露した。
「アタシが逢いたいのは、フェアリー・ゴット・マザーだよ、知ってるか?」
 有名な童話に出てくる救世主だ。可愛そうな廃被りの前に現れ、魔法を掛けてくれる魔女の事である。女の子なら一度は憧れるサクセスストーリーの立役者だ。
ベルホルトは少女のその言葉を掘り下げることはしなかった。あまりに有り触れていて、何処にでもある羨望だと思ったからだ。
「プリンセス・スリジア。フェアリー・ゴット・マザーは鈍足の癖に急ぎ足だよ。貴女の前に現れたその時に、然りと捕まえるようにね。貴女の幸せを祈ろう。」
「プ、ぷりんせすすりじあ!って、アタシの事か!」
 少女は頬までも桃色に染め、ベルホルトを見上げて声を張り上げた。
「アンタ、王子様みたいだ!じゃぁ、アンタはプリンスって呼ぶことにする!アタシがプリンセスになったら、アンタとダンスをする」
 今度はベルホルトが瞠目する番だ。しかし程なくして微笑みを携え、二人だけの秘密と約して小指を繋いだ。嬉しそうに微笑みながら帰っていく少女は、何度もベルホルトの方を振り返りながら、やがて雑踏の中に消えて行く。ベルホルトは桃色の髪が見えなくなるまで見送り、胸元のスリジアの葉を一撫でした。


「……さて、大分待たせてしまったな」


 ベルホルトは肩越しに背後に視線をやり、遅れて身体ごと振り返る。
 いつの間に辿り付いたのか、規則正しく起立するガロットが佇んでいた。







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