「こい、って、よく聞くけど、何だそれ?」 「一緒になりたい奴ができるっつーことだ」 恋慕なんて感情を抱くことは、もう久しく無い訳だが 「…………んでも、そもそも、番になる奴って、どうやって見つけんだ?」 「んなもん簡単でい。他の奴とは違う感情を抱いた奴が、好きになった奴だ。そいつと番になりゃ良い」 偉そうな事を言っておいて、わっちも大概“アレ”なんだよ 12月初旬…… 街は年の瀬に向かい忙しない。この時期は決まってパーティーやら何だと料理人の引っ張りごっこが始まるのだ。他国から監査人として来国している自分の身にもそれは同様で、チンチラの姿でいないと何処で誰が自分を見つけるか分からない。金を積まれても食材を積まれても、気が向かない内は料理を作りたくなかった。 「うおぃ!?そりゃぁソースだ!てめぇいつになったら横文字読めるようになんだよ!!」 居候させてもらっているヒメネスの家のキッチンダイニングから、怒鳴り声が響いた。さすがに寒気が強く、寝床にも暖が必要になってきたヘルバを連れて帰り、偶には暖かいスープでも食わせてやろうと思ったのだが、ヘルバとの食事は激が絶えない。 「ひぁ!?うええ、あんだよこれ、しょっぱ!」 暖豆腐にソースをべっしょりと垂らし、スプーンで口に運んだが最後、げほげほと噎せながらオレンジジュースを掻き込む様に飲み干し、口腔を洗っていた。味覚音痴だと思っていたが、舌に刺さる衝撃が強く感じたようだ。 ぺっぺと噎せながら味が濃く無い部分をつつき始めるヘルバを正面から眺めながら、モシナは毛むくじゃらの頭をかっくりと倒した。チンチラの姿をしているから、表情の変化なんて見えやしないだろう。耳と髭を垂らしてため息をつく。料理人として、作ったものに美味いといわれないのは中々維持を張ってしまうところだ。味覚が鈍いなら目で見せればいいし、匂いで「美味い」といわせることだって出来るはずだ。だがどれもこれもヘルバには通用しない。彼女から美味いといわせることに意地になっているのかもしれない。それに引き換え、自分の隣でパンをかじっている居候先の店主は、毎晩美味そうに飯を食ってくれる。 「モシナ、そうカリカリしなさんな……。誰だって間違えることはあるんだから……」 おどおどとしたり、控えめになってみたり、ヒメネスはいつも穏やかだ。シエロに拾われてこの家に預けられて以来、ずっと世話になっている。三食飯の支度をするのは無理やりモシナが引き受けた恩返しのようなもので、「いらない」と言われても健康に悪いと因縁つけてサラダでも軽食でも口に詰め込む始末である。それが迷惑だなんて考えがない訳でもないが、仕事に没頭すると際限がないヒメネスのストッパーにもなるだろうと踏んでいる。こういう輩は夢中になると何時間でも作業にかじりついてしまうから、引き止めるのは正義だ。 「100回言ってもきかねぇんだよコイツぁよぉ!」 諫めようとしてモシナの毛並みを撫でようとしたヒメネスの手のひらを思いっきり叩き落とす。てん!っと至極軽い音が鳴った。大して痛みなどないはずだが、皮膚よりも心の痛覚に響くのか、ヒメネスは悲しそうな声を漏らしたあとに「ごめんね」と誤った。 「そういえばさぁ、久しぶりに街に降りてきたら随分と明るくなってんだな!リーフとか灯りがたくさん付いててなんだか祭りみたいだったぞ?」 ヒメネスとモシナのやりとりなどまるで他人事の様にオレンジジュースのお代わりを注ぎ足しながら、ヘルバは窓の外を蹄で指して問う。赤や緑のオーナメントが飾られて、街は騒がしい。 「ああ、聖誕祭が近いからじゃないかな……。教会の関係者や、貴族たちは賑やかになる季節なんだよ」 「年の瀬も近ぇしなぁ……」 「へぇ?なんだかよくわかんねぇけど楽しそうだな!何する祭りなんだ?」 爛々と瞼を輝かせるヘルバの瞼を眺めながら、モシナとヒメネスは顔を見合わせた。何を、と言われると何をするやら、一言では難しい。先に口を開いたのはモシナだった。 「まぁ、美味いもん食って酒飲んで、プレゼントくらいは渡すんじゃねぇかぃ?」 どこの国も大体、本来の意味合いなんて忘れているものだが、都合の良い風習だけが蔓延するものだ。 「へぇ?プレゼントって贈り物のことだよな??もらえるのか!?誰から!?」 「あんでそこだけガメついんでぇ。友達でいんだよそんなの、あげるも貰うも身近なヤツさ。好きなヤツとかにわざわざ渡しに行くのもオツだねぇ…」 「あはは……」 チンチラ姿で椅子の肘置きに頬杖を突くモシナに、思うところがあるのか苦笑いをするヒメネス。恋愛関連の話になると、こうも身構えが違うのかと一目瞭然になるものの、ヘルバがそこに気づくかというと 「へー!じゃぁアタシもちょっくら用意すっかな!落ち葉も溜まってきたしよ!」 全く気づかないらしい。そもそも恋愛話に流れるような性格でもないのか、おそらく本人の脳内には友人連中が浮かんでいるんだろう。モシナは頬杖を付いて毛並みが持ち上がったぶさいくな面のまま、こっそりと緑色の瞼を開いて、ヘルバを眺めた。 仮想舞踏会の日、少しだけ“こい”の話をした。 それがわからないという彼女に思うところを話した訳だが、あの日以降、ヘルバの口から同じ話題が出ることはない。 仮想舞踏会といえば、確かに恋のから騒ぎもあった様だが、自分にはその風は吹かなかった。料理人というだけで挨拶周りばかりで、その暇もなかったと言うのが正しい。 そういえばこの国に来てから、男漁りがぴたりと止まっていた。海辺のパーティーでは淑やかな女子を引っ掛けようとしてみたが、じりじりと逃げられた。居候先に連れ込めばヒメネスが騒ぎ立てるし、他人の家に上がり込もうとしてもホームじゃないところで興じるのはあまり好かない。それ以前に、最近は大体、シエロが傍にいるのも気にかかるところだった。 30年も男女問わず食い散らかして気ままに生きていれば、自分に向けられた好意にくらい勘づく。 無邪気に文字通り尾を振ってすり寄ってくるひとまわりも違う弟子を可愛いと思うが、到底、恋愛発展するとは思えなかった。聞きはしないがそれなりに訳ありにも見える彼の過去の扉をこちらから開くつもりはないし、向こうから何か話されたからとてこちらの態度が変わる訳でもない。彼は「弟子」であって、彼の保護者であるペルレ夫人から預かっている立場だ。それなりの教育を施して返さないと師匠という肩書きには不釣り合いになる。責任感ばかりが先行するが、料理で始まる付き合いに妥協はしないのが信条だ。 なのに、世間は急かすように聖誕祭だの年の瀬だのと騒ぎ立て、カップル達の季節とでも言いたげに軒先にはハートやピンクの装飾が並ぶのだ。モシナは再びため息を付いた。 「あんだよモシナ、さっきから元気ねぇぞ!」 ほうれん草のおひたしを頬張りながらヘルバが丸い目を向けてくる。モシナは頬杖を止め、小さな手を伸ばしてピクルスを取った。口に頬張って奥歯で噛みしめると、じんわりと滲み出るしょっぱさが美味い。 「あんでもねぇや。とっとと食っちまえ!夜になっちまうでぃ」 「んげ!」 すでに橙色の空が紺色に変わり始めている。食い残しがないように箸を急ぐ姿を眺めながら、モシナはちらりとヒメネスに一瞥をくれた。 食事を終えたヘルバを森の入り口まで送り届け、ヒメネスの店に帰宅する。看板をクローズ表記に変えてやり、玄関を潜って鍵を締めると、食器を片付けているヒメネスの姿があった。 「ああモシナ、おかえり。食器は洗っておくからな?先にお風呂に入るかい?」 振り向きざまにやんわりと笑うヒメネスの足元まで近づき、「いや」と首を横に振る。自分は砂浴びで十分だ。人の姿で水を浴びることもあるが、今日は砂でいい。風呂の支度をしなくて済んだヒメネスは、さっきから忙しなく動かしている食器洗いの仕事に戻った。 ヒメネスの けつ。 80cmのチンチラが見上げる、居候主の ケツ。 下から眺めるにはいい角度だ。 気が弱いくせに体格だけは立派なヒメネスに報酬だとか適当な理由をつけて跨ってみようかと考えたのは一度や二度じゃない。横で寝ていれば多分、2秒くらいで決着をつけられる気がする。 カチャカチャと皿を洗っている音がする。その度に小刻みにケツが揺れる。そのうち美味そうに見えてくる。チンチラはさっきからケツをガン見している。 行くか やるか 今日こそ行くか 淡い光がにじむ。 ヒメネスの背後で徐々に大きくなる影は次第に人の姿に変わり、細身金髪の人へとモシナは変身した。つり上がった瞼をさらに細め、小動物と同じ様な等比の小さい口元を赤い舌でぺろりとなぞる。彼はまだ気付かない。ズボンの股座の合わせの縫い目、少し凹んだそこを指先で逆撫でてやったら、さぞや驚くだろうか? そっと、そっと、指先が向かう 白く細い陶器の様な指が、硬い布越しに窄まりを狙う 「ん? どうしたモシナ? 砂浴びは止めたのかい? そんなところで寝転がったら風邪を引くぞ」 皿を洗い終えて振り向いたヒメネスの視界に入ったのは、ソファでふて寝しているモシナだった。 「うるせぇなぁ、わっちの勝手じゃ」 勝手になれるはずだった。 勝手に食って遊んで捨てたって、今までそうしてきたんだからそれでいい筈だ けれど頭の中でチラつく奴がいるから面倒くさい。 こういう大人の機微に子供を巻き込むのはヨロシクない。 ばれなきゃいいという理屈が通じない気がした。 これが所謂、“アレ”なんだ ああもう、面倒くさい モシナは再びため息をつく fin. [mokuji] [しおりを挟む] |