分水嶺6






 





 クリオール家の直血は鳥目である。その為、宵に出て討伐を命じられる場合は聖具を耳に付けることがある。聖性をことごとく消費するので夜勤程度では滅多に使用しないが、リヤンのブレスレットよりも精度は良く昼の様に明るい視界を広く長く提供する。廃教会の暗がりの中でも視力がよく働いた。
 壊れた蝶番を押しやり中に入ると、ぼんやりと月を見上げているガロットの姿があった。振り向きざまの表情は、昨晩初めて見た悪魔の笑みよりもさらに狂気的で、「危険である」と本能が警告する。身に着けていた聖具がいっそう熱く反応したことを感じながら、これはもう本人の意識が無いだと悟ってしまった。



 昨晩、ようやく難所を超えたと思ったのに、はやり相容れないのだろうか
 
 
 今日一日で盛り上がった分、急激に落ちて行く。悲しさは絶望になり果て、茫然と立ち尽くすしか出来なかった。
 
 背後でシャンの声が聞こえる。ずっと見ていた黒い陰影がこちらに向かってくるのを解ってはいたのに、自分ではない視点で眺めているような、不可解な虚無感に襲われながら瞼から一滴の悲しみが零れた。
 「主様しっかりしてください!!」
 躍動するガロットの爪先が、ベルホルトの頸を薙ごうとした刹那、背後から両刃剣を振りぬいたシャンによって阻まれた。傭兵が持つような種の大剣で、シャンは屈強な体で大きく踏み込みガロットの一撃を受け止める。刃の腹がみしりと音を立てていた。
 「シャン......」
 自分とガロットの間に割って入ったシャンに向けたか細い声と、一歩後退する土を踏む音。情けない程に弱弱しく、それだけでシャンには主の心中を察するところがあったようだ。少しでも力を抜けば均衡が崩れ、ガロットの腕力に薙ぎ払われ兼ねない。シャンは奥歯を強く噛みしめたまま、険しい表情を浮かべていた。
 ガロットは紅い瞼を細めて笑っていた。力を籠めてもシャンはそれを押し返す。必死の抵抗が興に乗ったのか、何処まで持つのか焦らす様に爪先に力を込め続けた後、思いも掛けぬ足蹴りを横腹に叩き込み、シャンを吹き飛ばした。「ぐぁ!?」と驚愕した声と共に身体が浮き、長椅子に突っ込むと、老朽していた木造の長椅子は脆く崩れていった。それがクッションの役割をしたのか、大事には至らなかったようだが、不安定な足場から立ち上がるのは一苦労そうだ。シャンがもたついている合間に、ガロットの紅い瞼はベルホルトに向く。ベルホルトは悲しみと苦虫を噛み潰した様な苦悶の表情で、そこに対峙していた。
「............私に気づいてくれないのか?ガロット......」
 さんざん自分の足に絡みついて甘えていた尾はゆらりと流れ、機を狙う様に瞼を細めて近づいてくる。再びガロットの手元が上がり、鋭い爪が鈍く光ると、構うことなくベルホルトの首に向かって伸ばされた。掴みあげようとでもするように伸びてくる指が触れる刹那、閃光の様に眩い聖の光が発せられた。その瞬間、ガロットは飛び退いて表情を歪める。至極迷惑そうな顔を向けたままこちらを睨んでいた。何処からともなく綿毛がふわりと舞い降り、互いの戦線に落ちる。ベルホルトは相変わらず苦渋の決断を下せずに立ち尽くしていた。
「先輩!!いい加減に目ェ覚ましてくださいよ!!」
 対峙し次の一手を打ちあぐねているガロットに向けて、体制を立て直したシャンが剣を振り被り切りかかった。攻めこそが守りの教訓の通りか、果敢に立ち向かっていく。ガロットは身を翻してその剣を交わし、裏手で払い退けんとしたが、紙一重でその手を掻い潜られる。シャンは好機とばかりに大剣の柄で九尾を思い切り打ちこんだものの、ガロットはぴくりともせずにシャンを睨みつけ、今度は爪先で薙ぎ払おうとする。再びの鍔競り合いに持ち込んだ。
「主様!!」
 シャンの絞り出す様な呼び声は不思議なことに咆哮にも似ていて、ベルホルトは思わず顔を上げた。水を被った様な衝撃だった。
「先輩が遊んでいるうちに判断してくれないと、本気で来られたらあんまりもたねッスよ!」
 それは戦況が悪いということなのか、戦績を積んでいる彼なりの判断をして、自分にゆだねてくれていることなのだろう。ベルホルトは眉間を寄せて険しい表情を浮かべた。
 
覚悟をしてきた筈なんだ。
こんなにことになるんじゃないかと思って、剣を握ってきた
なのに、いざ対面すると、現実を受け入れたくないという想いが邪魔をして、鞘を持つことが出来ない。
なんでこんなことにならなければならないのか。
早くいつもの彼に戻ってほしいと思う一方で、もうあのままもとに戻らないのではないかという不安。
不安に押し潰されそうになりながらも、目の前で戦うシャンを見捨てることは出来ないし、命の危険を顧みずに「傷をつけるな」などとは言えなかった。
討つしかないのだろうか?
けれど月が沈んだら、朝が来たら、この悪夢は思わるかもしれない。
紅い月が瞬いている内だけを切り抜ければ、もしかして

期待が拭えない。昨晩の方が甘い夢だったのだと思いたくはない。
乗り越えれば醒める夢は、昨日と今宵とどちらなんだろうか


「ぐ!!」
 結論が出せず俯いている最中、呻き声と共にシャンの大きな身体が傾くのが見えた。腹に強打を食らったらしく、咳き込むのをなんとか抑えながら剣を薙ぎ、今度はそれを掴み取られた。ガロットの瞼が妖しく笑う。遊びも飽きた頃合いとなり、終息が近づいていた。指を揃えて手刀を型したガロットの左手が、シャンの首めがけて振り抜かれる。
スローモーションの様な衝撃的なその一振りを目の当たりにした時、一陣の疾風が舞い上がる。止めに入ったベルホルトの手が伸びた刹那、意識は暗転した。









































 ベルホルトはやつれ切った顔で茫然とガロットの顔を眺めていた。
 傍で肩をしきりに擦っていたシャンも、拍子抜けしたような顔でガロットを眺めている。

「......?そういえば、月を見上げていた時分からの記憶が......、一体こはどういう状況ですか?」
 握り瞑れかけた尻尾を労わり乍ら、ガロットは頭を抑えた。訳が分からないと言いたげに記憶をさかのぼりながら、夜明けを待つ。朝日が昇るに連れて、ガロットの尾も角も消えて行った。久しく人間に戻ったガロットは、眼鏡がないと視力が悪い。その動作は眼鏡ケースを探すように移ろいでいき、普段と変わらぬ姿がそこにあった。緊張が一気に溶けて安堵する。動き始めるのは、シャンの方が早かった。
「先輩!!もおおおおおお人騒がせも大概ですよ!とりあえず元に戻って良かったっスね!!」
「はい??」
 がば!っと両腕を広げ、抱擁せんとばかりに迫っていくシャンの嬉しそうな表情に度肝を抜かれたのか、ガロットは大人しく捕まっていた。微笑ましい執事たちの様子を眺めながら壁にもたれているうちに、人知れず安堵の息を着く。一気に力が抜けて行くのが解った。
「良かった......」
 最愛の人が戻ってきてくれた。
その事実だけ確認できると、意識が離れていく。とさりと服が擦れる音と共に、廃れた床に転がり、ベルホルトは意識を手放した。

 そういえば、丸二日寝ていない。緊張、ストレス、プレッシャー、様々なものに押し潰されそうになっていた宵が漸く明ける。遠のく意識を繋ぎとめるように執事たちの声が聴こえたが、ついぞ瞼を開けることはなかった。






 明るかったあの家に帰りたい。

 いつもと変わらぬ毎日の中へ 
 眠りから覚めたら優しい微笑みで、覗きこんでくれるだろうか
 その時には「おはよう」って返して、忘れぬうちにネクタイピンを返さないと



 微睡みの中に堕ちて行く




(そのあとベルホルトが眼を醒ましたのは、丸一日睡眠を貪って翌日の昼だったという。)


Fin.




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