分水嶺5






 





「いいかシャン、可能な限り身を守る装備をして私に付いてこい」
股がるよりも先に愛馬の手綱を引き寄せ、駆け出す一歩に合わせて身を引き上げて跨った。二頭の馬が夕暮れの街並みを駆け、廃教会へと向かっていく。





いりこ様のお話『superbloodmoon』http://nanos.jp/irk8/novel2/33 の続き








 昼の月がやけに大きい。
中秋の名月のその日だと、ベルホルトは気づくことが出来なかった。そして、それ以上に不運が重なっていることすらも、この時は知ることができなかった。

 悪魔の姿を晒したまま戻ることができないというガロットを置いて、廃教会を後にした。濁流の様に次から次へと想定外のことが連鎖した夜、奪われる様な激しさの後に迎えた蜜月は、夜明けを待って漸くほのかな甘さを齎したが、立ち上がるだけで全身が痛むほどに尾を引いた。喉は掠れて、とにかく水が飲みたかったものの、騎士団宿舎に向かうまで我慢を強いられる。
 昨晩、路地裏でガロットを見つけたそもそものきっかけは、騎士団の都合で深夜の見回り番が回ってきたからだ。本来ならば直帰は許されず、帰る前に記帳をしてから上がるのが筋だが、そんなことはキレイに忘れていた。故に朝一番でやらなければならないのは、騎士団宿舎に向かい、事情を説明することだった。とてもじゃないが話せる内容ではないので、ベルホルトは取り繕うのに苦労した。
 従来、午前から勤務しているベルホルトにとっては初めての深夜勤務、――――超過勤務だった。その為に翌日である今日は休みを貰えており、急ぎの仕事はない。ただし、当番になっていた日誌の記入だけは終えなければならなかったので、それならこの機にと、湯を借りることにした。宵の名残を流し、冷えた身体を温めているうちに眠りそうになる。眠みを堪えて脱衣所に出た時には汚れた制服は当番によって回収されていた。窓から外を覗くと、庭先の物干し竿に自分の制服が干されており、昼の秋風に揺れている。着替え用に常備していた自分の洋服が、代わりに運ばれていた。
タオルを手に取り肩に掛けた後、ふと鏡に映る自分の裸体に眼をやる。
そこには昨晩の跡が、至るところに散っており、赤い名残が咲いていた。
その一つ一つにガロットの口元がちらつき、俯いたまま一人で紅潮する。細くしなやかに鍛えられた腹から下を眺めていると、いらぬ記憶まで蘇ってきて、ますます居ても立ってもいられなくなり、鏡に背を預けてしゃがみ込んだ。水気を拭う為のタオルで顔の赤みを拭いながら、口元をタオルで隠し丸まり始めると、今度は腰の奥が痛む。ツキリと刺す痛みを緩和しようとしゃがむ位置をずらすが、何をどうしても腰の違和感が拭えず、そのうちに身体の芯が熱くなりかけていた。記憶がぶり返すと、恥ずかしくてたまらない。湯に浸かった分、火照った身体がさらに熱くなる。
(…………今日が仕事じゃなくて良かった…。これでは仕事にならない……)
しゃがみ込み自分の膝に凭れながら、ベルホルトはぼんやりと何処かを眺め、その場に居座る。
身体が彼を思い出している。真っ暗な闇の中では、視力以外に与えられるものだけが全てだった。見えて居ようと見えて居まいと、記憶とは虫が良く出来ていて、脚色も付けるしいらぬ妄想を呼び起こす。それが蹂躙であろうと蜜月であろうと結ばれたことには変わりがない。
(……ガロットに会いたい……)
意識を手放してしまったのか眠りについたのか、よく覚えていないが目が覚めた時、ガロットは自分を腕の中に留めてくれた。羽根と尾を出していても穏やかに話してくれた。本能とはいえ波が引けば、穏やかな時間を過ごせるのかもしれない。悪魔の力に飲まれている時でも、自分がしがみ付いていればいつか振り向いてくれる。強い意志を持って、ぶれることなく彼に対峙していれば、乗り越えられる。ベルホルトは今にも眠り付きそうな意識をなんとか持ちこたえ、重い身体を起こして着替え始めることにした。ここで眠りにつく訳にはいかない。
昼番で出勤してくるフィロメーナに引継ぎをして、自分はシャンの待つ別宅に帰らなければならない。






フィロメーナが来るまではまだ3時間ほどあり、さらに制服も乾かないということで、ベルホルトはシャツとズボンにカーデガンを肩から羽織るというラフな格好のまま、地下に常備されている資料室に籠ることにした。魔族関連の資料が多く揃っているのは、騎士団としては当然の品ぞろえである。
悪魔についての資料を何個か手に取り、肩ひじを付きながら文字を眺めた。時折目を擦って睡魔を追いやりながら、頁を捲る。
悪魔といえど多種多様で、特にハーフとなると文献が少ない。あれこれと活字を追いかけたものの、ガロットの言葉と合致した特性を探し出すのは一苦労だった。3時間格闘した収穫は、月の満ち欠けが影響するという言葉の裏が取れたこと。満月の晩には力が抑えられなくなり、力が暴走する。それは十数時間前に体感していることで、この資料が紛れもない事実を記している何よりの証拠だ。対応策が見当たらないことで、ベルホルトは肩を落としたものの、シャンに説明するには丁度いい根拠にもなるこの本を借りることにして、脇に抱え資料室を出て行った。
もう制服も乾いている頃合いだから、漸く別宅に帰ることができる。諸事情により馬に跨るのは躊躇し悩んだ結果、馬車を用意して別宅に帰宅した。


「主様ああああああああ!!!!!」
 家の扉を開けた途端、シャンの胸板が目の前に広がった。あ、ともうんとも言う間もなく逞しい身体の体当たりを受け、玄関先で下敷きにされた。一日ぶりに顔を合わせた執事の熱烈な歓待ぶりを受け止めきれない。
「シャン……重い……」
「は!主様すみません!!またやっちまいました……って、そんなこと言ってる場合じゃねっすよ!昨日は何処で何をしてたんですか!!先輩も帰って来ないし!料理長が帰ってから、俺独りぼっちだったんですからね!!」
 漸く退いたと思った直後、次には肩を掴まれてがくがくと揺すられた。不眠×疲労というハンデを持っていると、この執事のアグレッシブさが少しばかり辛い。相当寂しかったのか、連絡が全くなかったことを怒っているのか、どれも正解だろうがとにかく玄関先から中に入れるように説得し、ダイニングまで向かった。
 ダイニングテーブルでは、料理長が新聞を読んでいた。大きな虫眼鏡を震える両手で支えながら、開いているかもわからない右目で必死に覗きこんでいる。虫眼鏡が震えているのでピントがずれている気がしないでもないが、いつもの事なので誰も構うことはしない。時折ほげほげと独り言をぼやくが、やはり誰も気に留めない。ベルホルトは料理長の向かいに腰を下ろし、資料室から持ち出していた本を自分の手元に置いた。やがてダージリンの香りが鼻先を擽り、三人分のティーセットが持ち運ばれる。ガロットがいない分、シャンはよく気づき働いてくれた。
「そういえば、先輩は一緒じゃなかったんスか?」

湯で温めてあったティーカップに赤いダージリンを注ぎながらシャンが問う。ベルホルトは少しばかり苦みを帯びて笑い、「そのことなんだが」、と切り出した。
資料を見せながら伝えることで、確かなこととしてシャンの中に落としていく。
ガロットが悪魔とのハーフであること
悪魔の力を抑えきれない夜があること
クリオール家の家訓に反しているが、事実を隠蔽しこれからも傍に置くこと
その責任は自分が持つこと


それから、

「…………」
「――――――?」

それから、愛し合ったこと。
この一言を言うには、まだまだ自分の口からは恥ずかしかった。その……、と言いかけて俯く。顔が熱くなっていることに気づき、口を噤んだ。ここまで話しているのだから言ってしまえばいい。言ったところで何も不都合はないし、3人で同じ屋根の下に暮らす以上、隠し通すことは出来ない。だが、シャンが何と切り返してくるかが問題だ。諸手を挙げて喜ばれても恥ずかしい。主従の一線を越えている事実については、ガロットの口から説明させようと心に決め、「なんでもない」と話を切った。
 だがシャンにしてみれば面白い事態ではなかったようで、「えええ」と眉を寄せて抗議の声を上げた。当然のことではあるが、ベルホルトは頑なにそれを拒み、カップに口を付けてダージリンで喉の渇きを潤す。身体の中を通ってく暖かさを感じると、昨日の昼から何も食べていないことに気づいた。陽光の下を歩いたことと、疲労に慣れてきたことで空腹を思い出し、きゅるる、と腹の虫も鳴く。その音が響かないようにそっと腹を撫でるベルホルトの正面でほげほげと新聞を読んでいた料理長の身体が、ぴたりと止まった。
「…………………………団子、…………ありますよ、坊ちゃん……」
 蚊の鳴くような小さな声で、料理長がぼやいた。
「…………団子?」
「…………………………お月見ですから………、」
「月見って何すか料理長?」
 料理長の小さな声を良くも拾いながら、二人そろって首を捻った。団子が何かは解るが、今日それを用意している理由が解らない。料理長は普段とはくらべものにならない程にぴたりと静止した姿で、細い目を主人に向けた。
「今宵はスーパーブラッドムーンですよ……中秋の名月と、それに重ねて……30年に一度の貴重な宵ですから……夜には月が赤く染まるんですよ」


 既に時刻は18時を回っていた。橙の夕暮れは藍色に浸食され、暗がりが迫っている。
ベルホルトは胸のざわめきを抑えることが出来なかった。月の力が強大に働くことは、誰もが予想できる。
ガロットが「姿が戻らない」と言っていたことも、起因するのかもしれない。あの廃教会に置いてきては、いけなかった。

「シャン!私の剣を用意しろ!」

言うが早いか、立つのが早いか、ベルホルトはダイニングを飛び出し、自室に向かった。
ロザリオも、ガロットがくれた手袋も、リヤンが拵えたものとは別の灯の聖具も、全て引っ張り出す。シャンが追い付くころには馬小屋で愛馬の手綱をつけてやるところだった。
「持ってきました主様!先輩のところに行くんすよね!?俺も行きます!」
駆け寄るシャンに否を唱える暇もない。忠実な執事に目配せ一つ据えたまま、剣を受け取り脇に差す。

「いいかシャン、可能な限り身を守る装備をして私に付いてこい」
股がるよりも先に愛馬の手綱を引き寄せ、駆け出す一歩に合わせて身を引き上げて跨った。二頭の馬が夕暮れの街並みを駆け、廃教会へと向かっていった。




自宅【分水嶺6】へ!






[ 15/52 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]


















人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -