分水嶺3






 













父の言葉の意味を始めて理解できた気がする


廃れた教会に足を踏み入れ乍ら、まるで信者の様な事を言う
穏やかに語りながら、人を傷つけたと告発し、
それが生理的な欲求だと告げた後、私を組み敷いている


ベルホルトを見下ろすガロットの頭上にはステンドグラスが月光を差して輝いていた。真っ赤な角が怪しく光る。顔が近づいて、前髪が肌を撫でると、その瞼が欲望に濡れているのが解った。其処にはいつものガロットの穏やかな色はなく、忠誠が虚ろいで見えた。ベルホルトに対する認識が獲物にすり替わろうとしている。その姿に初めて畏怖を覚えた。身の毛がよだつとはまさに今を言うのだろう。

「主様。貴方は今、ご自身がなんと言ったのかご理解していらっしゃいますか?」

 この言葉が掛かるガロットのセリフを思い出して、漸くその意味に気づいた。



『満月の晩になると私は自分自身では抑えられないのです。戦闘を求める衝動、性的欲求……悪魔の性に抗えないのです』
『そういう生理的なものがあるなら、……私が相手をするから』


頭に血が上っていて気付かなかった。ガロットが催している欲求の類は一つではないのだと。初めに戦闘欲求と、自分が最も気に障っていた部分に得た解答が、ベルホルトにとってはあまりにも心苦しくて、それ以外の文言に意識を向けることが出来なかった。
 悪魔が人を傷つける……それが生理的なもので、種族特有のものである以上、責めようがない。しかしガロットの中に人である部分が残っているのなら、これから一緒に乗り越えていくことが出来るかもしれない。だからこそ今までの罪を償って新しくスタートが出来るように、その一環として自分が剣を振るうなら、願ったりだった。自分が知らないガロットがいる、それだけでも散々苦心したというのに、何気なく現れたあの銀髪のエルフは自分が知らない彼を知っていた。此処で自分が引いて、ガロットを野放しにしたら、まだあのエルフが付き纏ってくるようで嫉妬心がざわめき立つ。家柄の事情一つでいつ別離するかもわからない自分達とは違い、あのエルフは生涯友人だろうと戦闘仲間だろうと連れ添っていける。そう思うと自分の立場を棚上げして妬ましさに奥歯を鳴らした。そういえばネクタイピンも、まだ彼に返していない。
 こんなに揺らぐ必要もないのかもしれない。けれどこんなにも不安に駆られるのは、数時間前から次次に明るみになる真実に頭が追い付いていないからだろうか。整理が付けば感情の苛烈を抑えることができるだろうか? いつもの優しい執事の姿に戻ってくれれば、全て元通りになるのかもしれない。けれど今は、自分を欲望のはけ口にしようとしている。初めて触れるガロットの手のひら、手甲は、手袋越しでずっと感じていたものだ。長く、固く、節張っているが、爪が鋭く獣のようだった。
「そのような言葉、安易に悪魔に言ってはなりません」
ランプの明かりが照らすガロットの肌は赤く、触れぬように、しかし機を狙う獣の様な間合いを保って其処に居た。
「ガロット……っ」
 違う、と脈絡もなく口走りそうになった。鼻先が触れそうになる。顎の輪郭を彼の唇が僅かになぞり、身じろいで抵抗を見せた。それでも拒むというには足りなくて迷いを含んでいるのは目敏い彼なら気づくだろう。
自分はこのままこの男を受け入れるのだろうか? 拒めないのは彼が好きだからだ。反対側に首を倒して晒した首筋に彼の鼻先が触れ、額からそそり立つ角が耳に触れると、その固さを知って顔が熱くなった。今宵は月が満ちている。来月も、その後も、こうやって彼を受け入れて生きて行く。好きだからという理由一つで、拒むという選択肢は抹消された。真っ赤な角が紫色の髪を掻き分け、ベルホルトの耳の外郭にガロットの唇が押し当てられる。肌がひくりと震えた。固く目を閉じて身を捩りそうになるのを堪える。
「主様……、宜しいのですね?これは悪魔との約束になりますよ…?」
 低く甘い声が鼓膜に注がれる。次にはその唇で蹂躙が始まる。咄嗟に右手で自分の口元を抑えながら、湿り気を帯びた唇をやり過ごそうとした。服の上から首を、肩を、撫で始めるガロットの手つきに徐々に焦燥を感じ、息遣いの高まりにこちらまで焦りを覚える。焦った分だけ困惑して、急激に苦しくて泣きそうになる。悲しくて泣きたいのか嬉しくて泣きたいのかもよく解らなかった。
騎士礼服の固いコートの合間を手のひらが進む。襟を撫でてタイを掴まれた時、その下にある固さに互いに気づいた。ガロットがタイ越しにロザリオを掴んだのだ。
「………」
 その瞬間に正気に戻ってくれるかと淡い期待を抱いたが、盗み見たガロットの表情は目障りなものを睨みつけるばかりで、一呼吸の間を置いた後に思い切り握り込まれた。あと一歩で千切られるという刹那、ベルホルトはその手元を掴んで止めた。握力だけならば引けを取ることはない。思い切り握り込むとガロットの手元がそれ以上浮くことはなかった。
「……ガロット、もう良い、よく解った……」
 自分でも驚く程、情けない声で告げた。今の今までさんざん、首筋に舌を這わせていた動きを止めて、ガロットが少しだけ顔を上げる。赤い瞳に映る自分の顔は、声に比例して情けなく柳眉を下げて笑っていた。力を入れていないとすぐに引き千切られそうで、ガロットの手首を掴んだ手を離すことができなかったが、もう片方の手でシャツを寛げ、何とか自分の襟の中を探った。驚く程に自分の指先が震えているのが解るが何とか動かし、ロザリオを服の下から取り出す。目の前に取り出してやると余計に険しい表情を浮かべるガロットの警戒心を煽らない様に、慎重に動きながら祭壇に押し付けられていた身体を起こそうとした。膝が交差している為、すぐには逃れられない。ガロットの羽根が檻を作る様に揺らぐ中、上体を起こすことに成功すると、今度はガロットを見下ろすこととなる。背中に朽ちた石像を背負うように佇む。
「本当に、……その姿になると、自制できなくなるんだな……。君が私に手袋を送ってくれた理由が、解った気がするよ……」
 それはきっと、彼也の気遣いだったのだろう。忠誠を誓ってくれた彼のことだから、自制するための一つの手段だったのかもしれない。けれどもう、あの手袋を彼の前で着けられない。
「ガロット、君に言ったことを反故にするつもりはない……。だが、君と私とでは、身体を重ねる意味が違う。」
「……貴方の様な方が、私と同じ意味で受け入れて下さるとは思っていませんよ。」
 ガロットの瞼が細められる。大きな羽の向こうでゆらりと尾が動いていた。やがて脹脛にそわりと尾先が這い始める。じれったいのかもしれない。ガロットの熱い吐息とは裏腹に、震える息を飲み込んだ。


「私は、……君が好きなんだ。」
 俯きながら、ぽつりと漏らした。

「家の掟に背き、同性に恋したこともなかったが、もう自覚してからは加速するように君のことばかり考えている……。
だから、……私が君に体を開くのは、そういう意味であると認知してくれ……。その上で少しだけ、気遣ってくれたら、嬉しい……。ただの掃溜めにされては、この先苦しくて長続きできる自信がないんだ……。」
 酷い甘えだと思った。きっとこんなタイミングで言われても迷惑でしかないのかもしれない。けれど、自分の心が耐えられなかったから、伝えるしかなかった。ガロットに少しでも人の心が残っているのなら、巧く汲んでくれるかもしれない。抱いている間だけでも好意的な言葉を注いでくれるなら、拠り所は求められる。あらゆる角度で板挟みにされた今、どうやって自分を慰めたらいいのか考えると、情けない結論だった。全て放棄してしまいたいとさえ思いつつあったが、目の前の男がいないのは嫌だ。



「こんな主で、すまない…」
手甲で瞼を拭った後、ガロットの手を離した。震える両手は自らの首からロザリオを外し、祭壇の下へと黄金色の軌跡を描いて落ちて行く。コツン、と音を鳴らして弾んだ後、ベルホルトは俯きながら「ごめんなさい」と呟いた。




Fin.



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いりこ様宅【流れ落ちる】の続き





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