分水嶺






 








「ガロット」
 路地裏で蹲っている執事に声を掛けた。体を少し屈めて右手を伸ばし、その肩をポンと叩いてやると、電撃でも食らったのかと思う程に震えられた。手袋超しでも確かに伝わってくる感触に瞠目する。
敬愛する筈の主人に驚かれたにも関わらず、ガロットは俯いたまま顔を上げようとしなかった。ベルホルトの顔を一向に見ようとしないし、だんまりを決め込んでいる様に見えた。ベルホルトは俯く執事の表情を覗きこもうとしたが、腕輪の灯が力尽き暗がりに飲まれていった。


 リヤンが拵えたランプの明かりはそもそもサマーパーティ用だったこともあり、夜回りに使い回すには残量が足りていなかった。時間が経つごとに点燈範囲を狭めていた中、ガロットに出会うことが出来たのは幸運だったのかもしれない。蹲ったまま、動くことができなかったガロットだが、鳥目で灯もない主を置いて行くことはできなかったらしく、結局のところ、触れていた肩をそのまま借りながら路地裏から脱出することができた。公務を投げ出す訳にも行かず…とはいえ外回りの巡回に灯りも持たない鳥目が役に立つことは出来ず、騎士団の屯所に戻り明かりを補充するまではガロットに足労を頼み込んだ。いつもの様な快い即答はなかったが、共に歩いてくれる存在は心強い。掴んでいるガロットの腕は終始強張っているようだが、気付かないふりをした。
 騎士の屯所は近くない。加えて視力がない今、歩いた距離も体感でしか得られなかった。街の喧騒、なんとなくの雰囲気を察するように努めたものの、朝夜のギャップは大きく頼りにならない。ガロットに位置を確認するとその都度、番地を答えてくれたが、必要以上のことはお互い会話を閉ざした。意図的にそうして
いたのかもしれない。その方が、良いと思っていたのだと思う。
突破口を開いたのは一陣の潮風だった。ベルホルトの鼻を擽った潮の香り、海沿いの道を歩んでいることに気づくと同時に、回りの喧騒が失せていたことにも気づく。靴音は二つ、回りに人の気配はないようだった。
「ガロット、」
 呼びかけた声は、彼の耳元にのみ届けばいいと思って大きくは出さなかったが、返事が帰って来ない。波がさざめく音が絶えずに響いており、聞こえなかったのか、聞こえないふりをしているのか。聞こえなくても解るように、絡めていた腕を揺する。すると歩む足が止まり、こちらを見下ろしている様な気配を察した。目を合わせようとしてベルホルトも見上げたけれど、視線が絡むことはなかった。
「……先ほど、」
 言い出して、その後は中々続かない。すぐに俯き、暫く考える間を置いた後、また切り出した。
「……君にそっくりな女性に会った。覚えはないか?」
「………」
 答えが返ってこないのは既に想定済みだった。だからなぜ言葉が少なくなってしまうのかを考えていた。それは後ろめたい何かがあるからに違いない。それは、きっとベルホルトにとって良いものではないのかもしれない。けれど、問わなければならないところまで、来てしまっているから。
「……悩んでいることがあるのなら、伝えて欲しい。ガロット、私は君の主である前に、もっと近しい存在になりたい…」
 水流が割れて別の方角へと流れて行くように、逃れようのない川の流れに抗うことはできない。ここが分水嶺になる。視力が効かない。だからガロットの表情が解らなかった。気遣ってやることができず、待つばかりのこの身が憎いと思った。憎く、苦しい。息が詰まりそうで、また胃の痛みがツキリと響く。ここ最近は日に日に酷くなっていたが、気付かれずにうまくやれていた。今はただ、待つしかない。ベルホルトは少し困ったように柳眉を下げて、柔らかく微笑んだ。
 


『急いでいますので、これで!』
 逃げるように脇を擦り抜けて駆けて行った背中をすぐに追うことが出来なかったのは、彼女が隠そうとするよりも前にあの人口の灯がタイピンの煌めきを映したからだ。洞穴を進むような視界の悪さでしか認知できないものの、一瞬でも見逃すことがなかったのは、ベルホルト自身がガロットに授けたものによく似ていたからだ。




暗闇の中で確かなのは、指先に伝わるガロットの服の感触と、潮の薫りだけ。
自分が立っているのかも解らなくなるくらい、ただ頭と胃が痛かった。



Fin.


いりこ様宅【冷たい風】





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