たとえ光を失っても






 





(その時が来るのなら、私の傍にいるのは君が良い)








 丸一日、昼の月を眺めていた。



 ただ、初夏の風に扇がれたくて、リビングの大窓を開けたのが始まりだった。今日の晴天はなんとも水々しくて蒼かったんだ。昨日までの雨を忘れるほどの、眩しい太陽が燦々と照りつけている。乾ききらない空気がちょうどよく肌に張り付いて、もう少し気温が高ければ蒸し暑いと感じたのだろうが、シャワーを浴びたばかりの火照った体には心地よい。そのまま風に当たろうと、窓の桟に体を齎せた。その格好で長時間居付いてしまった。腕を組み、ぼんやりと秒針の足音を聞いている。最後に時計を見た時は確か、2時くらいだった気がする。
 蒼い空を綿雲が横切っていく。鳥も、虫も、気まぐれに私の視界を舞ったが、どれも意識に上ることはない。私は空に浮かぶ月を見つけていたからだ。

 太陽の眩しさに負けて、誰にも気づかれない昼の月がそこに浮かんでいる。

 真夜中に輝くあの神秘的な姿を、私は見ることはできない。もう、見ることはできなくなってしまった。忌まわしい事だがこれが私の天命ならば受け入れる他はあるまい。だが焦がれることはある。

 小さい時、私は何でも手に入れることができると思っていた。
 学歴、功績、友達、仲間、家族の笑顔、周りの幸福、…それから。自分の周りにあるもの全てに幸福を与えられる人間だと思っていたのかもしれない。勉強を教えたり、上手く楽器を弾けたりすると、母親や召使がよく笑ってくれた。だから私は何にでも取り組むことができた。何をやっても楽しくて、人といるのが好きで、いつも誰かと共に在ろうとしていた。愛してくれた分だけ必死に答えようとしていた。混迷していた父に、家に、種に、再び光を宿すことができるのは自分であると自他共に認知されてあの頃ーーーー、 忍び寄る脅威に気づかず、私は宵を生きる術を失った。
 暗闇を照らす月が好きだった。あの光を掴み取ることができれば、我々は宵闇の中を生きていける。再び歩き出せる筈だった。枝織りを残しながら導いていけば、誇りを取り戻すことが出来たろう。
 たとえ光を失っても、私の誇りは失われたりしない。鷲の様に聡明で獅子の様に勇猛、その家訓通りに自分を律して生きて来た。だが、周囲は私から目を逸らし、別の拠り所を探している。
 私の価値は鳥目に奪われてしまったのだろうか。
 私は今も月に焦がれている。
 記憶の中で浮かんでいる、宵闇を照らす強い光。
 月は今宵も街を照らすのに、私には届かない。


 
 真っ青だった空が、群青に変わる。紺色になって、暗くなっていった。
 私は振り返り、壁に掛けられた時計を確認した。だが、既に暗がりとなったリビングでは時計の音すら聞こえど針の位置まではわからない。

 今までは意識しなかった秒針の足音が、駆け足に変わっていく気がした。等速だった筈が徐々に加速していくようで、私の鼓膜を叩いてくる。焦らせるには十分な効果を発揮する。これは幻聴だろうか?
 空を見上げると、もう陽光は家屋の向こうに仕舞われて、薄明るい景色の中に影が幾重も聳え立つ。少しずつトーンダウンする様な、いつも襲われる視力の低下が始まっていた。急激に暗黒の世界に引き込まれるこの感覚が、堪らなく嫌いだ。万華鏡の様に、景色がすぐに変わればいい。昼も、夜も、星も、月も、幻想的なまでに幾重にも重ねて映してくれるなら、真っ黒に塗りつぶされるよりも余程いい。

 私は桟に持たれていた体を正した。右腕の外側には桟の跡がくっきりとついていたようで、触れると肌が凹んで痛かった。左手をそのまま外側に流し、手探りで窓を探した。閉めてから、離れなければ。執事たちに手を煩わせることになる。だが、何処を彷徨っても何にも触れることが出来なかった。右手で桟を掴んだ侭、もう少し距離を効かせる。すると、私の左手を取る者がいた。そっと包み、握る。馴染み深い手袋の感触と、少し遅れて背中に感じる存在感。振り返ると、肩が触れた。

「主様、明かりをお付け下さい。」

 ああ、やっぱり…

 切迫する秒針の音を掻き消したのは、低く甘い執事の一声だった。
 
「…すまない、ガロット。手探りでは上手くできなかった。」
「……ランプの明かりをお付け致しますか?」

 繋いだ手が、離れそうになる気配を察して、思わず掴み返してしまった。ガロットの手が少しだけ強張ったような気がして、慌てて込めた力を緩める。少しだけ俯く間を挟み、私はまた顔を上げた。まだ、真っ暗ではない。薄明るい。少しだけなら、明暗が分かる。

「………まだ、全盲ではない。自分で歩ける。」

 少しの明かりを頼りにしてでも、自分で立たねばならない。こんなものに負けたくはない。私は何にも屈しない、これからも屈することはない。他人にも、自分にも、こんな後天的な視力の低下など病気に過ぎない。光と共に誇りまで失って溜まるものか!
 

 私は、




 「主様…もう、日が沈みます。」

 
 瞼を開く。開いているつもりだった。だがもう真っ暗で、瞬きをしても自覚できなかった。
 一歩、後退する。背後から支えてくれていたガロットにぶつかって、そこで止まった。避けてすれ違い歩こうと思ったが、どちらに動いても彼にぶつかった。通せんぼをされているのだろうか?だが繋いだ手を引く事もできず、次第に膠着して、彼のつま先を踏んづけたらしかった。

「つ、…」

 どちらともつかない驚いた声の後、きづかっても避けても体制も悪く、鑪を踏んで倒れそうになる。その瞬間に腕を引かれて、ガロットの腕の中に倒れこんだ(ようだった。)。
 仕立ての良いスーツの肩口に顔を埋め、硬い鎖骨か、筋肉か、ともあれ、鼻や額をぶつけて互いに痛かった。腰に腕を回して貰いつま先で踏ん張り直すと、きちんと立つことが出来た。ガロットの肩を借りているこんな格好だと、何だかワルツを踊っているような、男二人ではあるまじき格好でもしているんじゃないだろうか。シャンに見られる前に退いてやらないときっと誤解をされるに違いない。私には馴染みがないが、この国は同性愛も認可されているのだ。ガロットにとっては良いことにはならない…
 けれど不思議なことに、私の腰に回る腕が解かれることはなく、繋いだ手が解ける素振りもない。
 私から手を引いてやればいいのかと思い、手を引くと、戸惑う様に指先が絡みつこうとする。ガロットの肩から額を放し、見上げた。だが、私の目には何も映らなかった。暗がりの中、影になった彼の輪郭だけが少しだけ動いているのが分かった。

「………主様、」

 私の頬に何か、掠める感覚があった。毛先の様な、少し刺す痒さがある。

「…お側に居ります。どうかお頼り下さい。」

 何も見えない筈なのに、ガロットの表情がこの目に浮かぶようだった。
私の認識が正しいのかは分からない。けれど、きっと見えていたとしても、私はこの意味を取り違えたりはしないだろう。

 けれど何も見えない。見えなくても見えるものがある。見るべきものが、見つからない事も。
 見たくても見えない これが一番、悔しい

 


 私は何処を眺めていたのだろう。漠然とそこに彼の顔がある様な気がして、ずっと上を向いていた。
 どんな顔をしていただろうか?想像すら出来なかった。客観的に自分を眺めることが、出来なかった。何もかもが悔しい。頭の中も目頭も熱い。暑くて沸騰しそうで、沈めようにもどうしたらいいのかが分からなかった。


 「ガロット、…」


 すまない。今起きている何もかもが、君に見せて良いものではない。
 主として、人の上に立つものとして、クリオールの人間として、
 自分に収集すら付けられない 私は、まだ、幼いのかもしれない
 謝罪と、懇願と、すべてが全て、言葉に出来なくて、取り繕うことも出来なくて、
 その全てを許してくれ
 
 
 
  

 「………月が見たい。」




君は、消え入る様な私の声を、拾い上げてしまっただろうか。
瞼に触れる湿った感触が、唇であるような気がした。





fin,





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【第51回フリーワンライ】
ジャンル:ツイッタ企画【リベアム】より ML

報われない
焦がれる
万華鏡
笑顔と幸福、それから
たとえ光をうしなっても

#深夜の真剣文字書き60分一本勝負 タグ利用しました。
ありがとうございました。





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