第7話


夏休みも終わりに近づいた頃。立海は男子テニス部が全国大会決勝まで勝ち残ってた。もちろん決勝ということで、あたしを始め女子部やOBOGなど大勢で応援に行った。楓先輩も。


「男子、惜しかったねぇ。みんな頑張ってたねぇ」


試合後、きっと称賛の意を込めた晴れやかな笑顔で、楓先輩はそう言った。あたしは逆に泣きそうだったけど、ずっと堪えてた。
だって男子のレギュラーは誰も泣いてない。負けちゃったブン太も仁王も。中学校生活すべてを賭けてたと言っても過言じゃない、彼らが泣いてないのに。


「ブン太、お疲れ様!」


表彰式も終わって、パラパラと帰って行く観戦者たちもいたけど。あたしは楓先輩とか他の女子部員と一緒にいたし、何となく帰れないでいた。
周りは意外にもはしゃいでる。いやー3年間いろいろあったねぇとか、この後どーするーとか。

そんな中、楓先輩がブン太に声をかけた。


「おう、応援サンキュー」

「惜しかったねぇ」

「いやー疲れた。あっち、同調とかヤバすぎ。最後バテバテだったぜ」


試合に負けてきっとめちゃくちゃ悔しいとは思う。でも楓先輩がいたら、話したらきっとブン太は元気になれる。明るく笑うブン太を見てそう思った。あたしはお邪魔だ。

仁王はどうかなって思って見たら、仁王は仁王で柳生や冴島さんと話してる。仁王もそこそこ笑ってる。まだ付き合ってないらしいし、仁王も可能性がないわけでもないし。あたしはお邪魔だ。

そう思って一人、帰ることにした。
あたしだって3年間頑張ってたとか、男子カッコよかったねーなんて言いたいとか、パーっと打ち上げ参加したいとか。そんな思いもあったけど。
そんな気分じゃなかった。沈むような気分。なんだろう、この変な感じ。明るいみんなと一緒にワーキャー言いたいはずなのに。


「光希」


会場の門のところで後ろから声をかけられた。振り返るとそこにいたのは仁王。


「帰るんか?これからOBとか女子部も一緒に打ち上げ行くらしいぜよ」

「うん。今日暑くてなんか疲れちゃった」


そう言うと仁王は、そうかって、らしくなく残念そうに呟いた。


「あ、仁王、3年間お疲れ!」

「いや、お前さんもな」

「それじゃあね」

「おう。…あ、ちょっと」


それだけ言って足を進めようとすると、再び呼び止められた。


「この後ずっと家におる?」

「家に?いる予定だけど。明日の朝まで」

「そうか。じゃあまたあとでな」


またあとで?なんで?
そう聞く前に仁王は、気をつけてなって言い残して戻って行った。

どういうことだろう?明日じゃなくてあとで…まさかうちに来るとか?まさかなあ。
そう思いながら家に帰った。

家は誰もいなくて、そうだ終わってなかった夏休みの宿題をやっちゃおうと学校の鞄を開けた。…うわーいつのかわかんないタオルとか見つけちゃったし。

夏休みの宿題はいろいろ出てて、まだ終わってないのは国語の宿題、夏目漱石の“こころ”を読んでの感想文。
…しかし、文字ばっかの本はほんと眠くなるなあ。寝ながら読むのが間違ってた。
そうしてうとうとしてたら玄関のチャイムが鳴った。…お母さん?

慌ててほとんど寝ぼけ眼で、本来なら誰なのか確認しないといけないのに、勢い良く玄関のドアを開けた。
その目の前にいた人はめちゃくちゃ驚いてた。いや、あたしが驚く方だけど。


「…ブン太?」

「いきなり開けんのかよぃ。ちゃんと確認してからじゃねーと危ないだろ」

「な、なんでいんの?打ち上げは?」

「迎えに来た」


そう言ってあたしの手を引っ張った。うちの目の前には自転車が一台置いてある。


「ほら、後ろ乗れ」

「ちょ、ちょっと…!」

「大丈夫!安全運転で行くから…、ん?」


そういう問題じゃないと、お巡りさんや夏休みの見回り保護者に見つかったら…、そう思いつつ、ブン太の視線の先を追うと。
あたしの手には“こころ”が握られてた。そうだ、寝ぼけて玄関に向かったからそのままだった。


「あ、宿題やってたのか?」

「…えーまぁ、一応」

「夏目漱石だよな、それ」

「うん」


ほぼ寝かけてたけど。やっていたと言えるだろう。内容は一切頭に残ってないけど。感想文はクライマックスでどうにかなるだろう。

そんな言い分を考えていたら、ブン太がふいに空を見上げた。


「…月がきれいですね」

「え?」


突然の意味不明なブン太の言葉。不思議に思いつつ上を見上げると、夏らしくまだほの明るい空に、白い月があった。


「あーそうだねぇ、明るいときに見える月っていいよね」

「……」

「あれは上弦の月かな」

「…よくわかるな。俺今だに上弦と下弦覚えらんねーよ」

「簡単だよ。小文字で上弦がupでpの形、下弦がdownでdの形って覚えれば」

「あー!なるほど!」


そんなウンチクを聞くために来たんじゃないんだろうけど。というか、これは理科の授業で習ったはずだけど。ブン太はめちゃくちゃ感心してた。さては授業中寝てたな。

試合結果は残念だったけど、やっぱり楓先輩と話して、きっと慰めてもらって、こんなふうに元気になったんだろうな。


「でも月がきれいなんて、ブン太ロマンチックだなあ」

「別に。俺だってそう思うことぐらいあんだよ」

「へぇー!乙女だね!」

「誰が乙女だ!つーかそれはもういいから、その本さっさと置いてこいよ」

「えー…」

「お前と一緒じゃないと元気出ねーんだよ、俺」


さっきのロマンチックだなあと思った言葉よりずっと、すごいこと言った、今。
ブン太らしく、こないだ海で誘い文句言った後らしく、照れるんじゃないかって、そう思ったのに。

俯いた。あたしにその顔は見えない。
あたしもブン太のその仕草で、目の前が霞んできたから。


「ブン太」

「…んー?」

「悔しかった…?」

「ああ、めちゃくちゃ…悔しかった」

「お疲れさま…っ」

「光希もな。3年間、俺ら、頑張ったよな」


なんでなんだろうって思ってた。みんなとはしゃぎたかったはずなのに、一人で帰ってきて。ずっと気分も沈んでて。

嫉妬してたんだ。妬んでた。勝手にブン太たちの頑張りを理解してるつもりのあたしは、他の人たちのようにははしゃげなかった。でもブン太たちを癒すのは、明るい周りの人や楓先輩や冴島さんなんだって。
だから勝手に妬んで、気分も沈んでいった。勝手な思い込み。

でも、こんなときは笑わなくていいんだ。涙を見せてくれた方がうれしいんだ。


「…なんか一緒に泣くとか恥ずかしいな」

「あははっ、そうだね」

「とにかく、早く行くぞ。あんま待たせるとあいつうるせーから」

「…あいつ?」

「仁王。これからカラオケ、3人で」


他の人との打ち上げは切り上げて来たって。

何でなんて聞けなかった。これは勝手に妬んでたあたしが最も望んでたものだったから。ワガママ過ぎるものなのに。

言われた通りブン太の後ろに乗っかって、そのまま3人での打ち上げ会場に向かった。
うれしいのと、いつも苦労かけて申し訳ないのと。あとやっぱりうれし過ぎて。

ブン太の背中にこっそりおでこをくっつけると、ドキドキしてすごくあったかい気持ちになった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

二学期始まってちょっと経った頃。ここ最近慣習化しつつあった、俺と仁王と光希との屋上ランチ。一学期は席近かったからそのまま一緒に食ってたけど二学期は3人バラバラで、仁王が屋上に行くのについて行くようになったからだ。

今日は俺は購買でのパン取り競争に参加してたから、二人に遅れて屋上へ向かった。そしたら仁王はいなくて光希が一人でいた。


「あれ、仁王は?」

「ああ、なんか…」


来る途中、冴島さんに呼び止められたんだと。


「まだヒロシの件で協力してんの?」

「…どうかなあ」

「え、なに、どーした?」

「実はさ」


光希が言うには、仁王がその呼び出しをちょっと嫌がってたと。ここで話せんのかって、言ったって。
それは単純に、すでにヒロシの彼女になりかけだからかと思ったら。


「あたしもマタ聞きなんだけど。冴島さん、もともと仁王が好きだったらしいの」

「…は?」

「でもほら、柳生のことで仁王に橋渡し役みたいなことされちゃったでしょ。でも冴島さんはやっぱり仁王で、それであの二人、最近微妙な関係だって」


光希が言うには、現時点で仁王が冴島さんを好きなこと(だったこと?)は俺ら以外は知らない、らしい。
つまりハタから見ると、ヒロシ→冴島さん→仁王の三角関係なんだと。


「マジかよ」

「ちょっとアレだよね、なんか変な気分だよね」

「…だなぁ」


いや、ほんと変な気分。だって仁王は少なくとも夏休み直前までは冴島さんが好きだったわけで。つまりは両思いだったってことだろ。仁王はそれに気付かず引き受けたってこと?まさか気付いてて?

そういろいろ考えてたら、ようやく仁王が屋上にやって来た。


「…よ、よお」

「……」


返事しないから、だけじゃなくて見るからにわかる。仁王は機嫌が悪い。同じく何かあったらしかった、あの学校に忍び込んだ日は鬱々としてたけど。
何だ?何でだ?仁王は冴島さんが嫌いになったのか?


「ねぇ、仁王」


ズバッと、男らしく俺が聞けばいいんだけど。その雰囲気から何も聞けずにいたら、光希が口を開いた。


「冴島さんと何かあったの?」

「…別に」

「あったでしょ。こないだだってさ、結局教えてくれなかったけど。今度こそ話してよ」


これは興味本位なもんじゃなくて。光希は純粋に、仁王が心配なんだと思う。優しいやつだし、それ以上に仁王にはめちゃくちゃ世話になってるなあって前言ってたし。

それを仁王もちゃんとわかってたらしい。こないだのただため息だけだったのとは違って、今何がどうなってるのか包み隠さず話してくれた。


「なんでだよ!」


そうつっこんじまったのは俺。仁王の話はけっこう深刻、というかややこしい話だった。

なんと夏休み中、というかあの学校に忍び込んだ日、冴島さんから告白されてたらしい。そのとき仁王は何とか話を逸らしたって(鬼)。あの日仁王がため息ばっかだったのはそのせいで悩んでたんだって、ようやく知った。
で、さっき、返事をくれってことで冴島さんに呼ばれたわけだけど。仁王は断ったって。


「もう好きじゃねぇってこと?」

「そーいうわけじゃないが」

「じゃあなんで。せっかくの両思いだろ?」

「無理じゃろ」


笑いながら言った仁王のその言葉は、何でか俺にグサッと刺さった。へこんだ。無理って意味が何か、重くて。
きっとヒロシの気持ちを知った時点で、仁王はそう悟ってたんだ。


「好きだからだよね」


黙って聞いてた光希が言った。好きだから、そんなフレーズを前に聞いた気がする。


「二人とも好きだから、変わらないのがいいんだよね」

「まぁな。あっちもすぐ忘れるじゃろ」


ははっと仁王が笑うと、光希もつられてか笑った。

好きだから変わらない方がいい。仁王にとってはヒロシも冴島さんも当てはまるわけか。

それは確かにそうかもしれない。というか、俺もそう思う。ちょっと変わりつつあることに、俺自身戸惑いがあったから。
だから仁王の、その決断は素直にすごいって思った。こいつも光希と一緒でカッコいいって。
やっぱりそのままでいる方がいいのかもな。

そう思いながらふと空を見ると、月がぽっかり浮かんでた。…あーあれは上弦の月な。もう覚えたぜ、光希のおかげで。

好きだから変わりたくない。ただ。
きれいな月。そう素直に思えたことを消すなんて、したくなかった。


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