第8話


秋も深まってきた日の放課後。羽山先生との個人面談があった。


「光希、俺は心からうれしいぞ」

「えっ」

「喜べ、数学含めて合格圏内だ」

「ほんとですか!」


席に座るなり先日やった模擬テストの結果を教えてもらった。数学と国語はあんまり自信なかったけど、どうやら好成績だったようだ。

良かった結果表を見るのは自分でもニヤける。そんな感じでウキウキ気分で廊下を歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。


「野々原先輩、こんにちは」

「…冴島さん!こんにちはー。部活は?これから?」

「はい。今日は風紀委員の会議があったんで、遅刻なんです」

「そっかー。大変だなあ」


冴島さんは風紀委員。テニス部でもレギュラーなのに、委員会もちゃんとやってて偉い子だ。
風紀委員ってことは、うちの学年で言うと真田とか柳生…。
…そういや柳生とどうなったんだろう。そこまでぶっこんだこと聞ける仲でもないし、聞くに聞けないなあ。


「野々原先輩は…担任と面談だったんですか?」

「あ、うん、そうだよ。よくわかったね」

「生徒指導室から出てきてたし、何だかうれしそうな顔をしてるんで」


この冴島さんも、あたしが羽山先生に恋心を持ってたのは知ってる。かなり有名な話だったし。…そんなわかりやすいのかなあ。

ただ、冴島さんはちょっと思い違いをしてると思う。あたしがうれしそうなのは別に羽山先生との面談があったからではなくて。


「見て、これ」

「え?」

「あたしの模擬テスト結果。いいでしょ?」

「……」

「これがね、うれしくて。今まで成績悪かったからさー」

「…先輩」


あたしを見つめる冴島さんの顔が、物凄く驚いてる。このあたしがこんないい成績を収めたことに驚いてだとしたらめちゃくちゃ失礼だけど。


「他校受験するんですか?」

「うん。3月の卒業と同時に山形に引っ越すからね」

「ほんとに?」

「ほんとに。北国だから雪が楽しみー」

「…何でそんなにうれしそうなんですか?」


雪が楽しみだから、なわけはない。楽しむレベルではないことは、お母さんの実家で何度も行ってるからわかってる。

そんなにうれしそうに見えるかなあ。
それならいいんだけど。


「仁王先輩とはどうなるんですか?」


予想外、というかよくわかんないことを冴島さんは言い始めた。物凄く神妙な顔つきで。
何で仁王…ああ、あたしと仁王が仲良いから、冴島さんは、フラれたのは仁王があたしを好きだからだと勘違いしてるのか。


「仁王とはずっと友達でいれると思うよ。会えなくなるのは寂しいけど」

「あたし、仁王先輩は野々原先輩が好きだと思うんです」

「違うよ」

「え、でも」

「違うんだよ」


笑ってだけどはっきり言い切ったあたしに、冴島さんはちょっと戸惑いを見せた。だってほんとに違うもん。

あなただよって、最初から好きだったんだよって、言ってあげたいけど。それは仁王に悪いから、やめる。
それじゃあねーって、納得いかない顔した冴島さんにはそこで別れを告げた。

次の日、日課である3人での屋上ランチで、前日の冴島さんとの一連のやり取りを仁王に報告した。
…言わないほうがいいかなあとも思ったけど。もしかしたら仁王の中では大事なことかもしれないし。


「ね、ちょっとまずいでしょ。仁王があたしをってさ、思い込んじゃってるみたいで」

「「……」」

「あたしからは言わないけど、冴島さんも辛いだろうなあって思うよ。仁王もだけどさ」

「「……」」

「…ん?」


あたしの話に二人はなぜか無言。ただ、あの仁王が口からご飯粒を落としたことにあたしはびっくりしたけど。


「…え、光希引っ越すの?」

「うん。卒業式の後ね」

「山形ってどこじゃ」

「東北だよ東北。都道府県ちゃんと覚えなよー」


仁王はバカではないけど、あんま世の中に興味ないやつだからな。苦手科目は音楽とか言ってるけど地味に社会も苦手だということをあたしは知ってる。

そんな呑気な感じで構えてたら、ブン太が弁当箱をドンと床に置いた。


「何でそんなにうれしそうなんだよ」

「そう見える?」

「見える」


そう食い気味に言ったブン太はちょっと、怒ってるように見えた。

しいて言うなら今回成績良かったからかなあとか、働き詰めだったお母さんがちょっとのんびりできそうだからかなあとか言ったら、二人はまた無言になった。誰も、あたしもお箸を進められない。

やめてよこんな雰囲気。二人らしくない。
あたしはうれしそうにしてるじゃん。


「前から決まっとったんか?」

「え、うん、一応」

「そうか」


沈黙を破ってくれたと思ったら、仁王は定食のお盆を持って立ち上がった。もう食堂に返しに行くのかな。
ぼんやり仁王の後ろ姿を見送ってたら、屋上の扉に手をかけたとき振り返った。


「俺な、光希のこと好いとうよ」

「え!?」

「離れても繋がってたい友達じゃき。勉強頑張りんしゃい」


そう言って、屋上を出て行った。

なんだあ、やっぱり友達としてってことね。一瞬だけどびっくりしちゃったよ。ほんとに一瞬だけど。

でも良かった。仁王、頑張れって言ってくれた。いつもの仁王だった。面倒臭がりだけど地味に世話焼きの。ブン太もきっと……、


「光希」

「う、うん」

「俺も……」


ブン太もきっと頑張れって言ってくれる。あたしを応援してくれる。


「いや、俺もじゃなくて、俺は…」

「……」

「そのー…」

「……」

「………桜餅、好き?」


桜餅?…あれ、桜餅好きって前も聞かれなかった?いつだっけ。というか全然なんの脈絡もないけど。全然季節外れでもあるけど。


「…好きだけど」

「そ、そっか。…えっと、昨日作ったんだけど。うちに置いてあんだけど」

「う、うん」

「俺が作ったやつなら食べる?」


そうだ、確かブン太の誕生日に。誰かがブン太へのプレゼントであげたってやつをくれるって言って、断ったんだった。
…ずっと気にしてたのかなあ。


「もちろん、いただくよ」

「そっか!じゃあ今日うちに寄ってくれ」


さっきまでのどこか怒ったようなブン太はもういなくて。いつも通りの明るい笑顔でそう言った。その明るい笑顔はブン太の一番の魅力で、さっき仁王に対して感じたように、いつもの彼らしさを感じてほっとした。

なのに。ほっとしたのと同時に、正反対に心が沈んでいく気もした。いつものブン太なのに。その方がいいはずなのに。
なんだろうこの気持ちは。何でこんなに落ち込むんだろう。

ブン太が明るく笑えば笑うほど、胸が苦しくなっていった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

その日の放課後。部活は引退してからも一応出てたけど、今日は休んで光希と一緒に帰った。
桜餅を作ったのはほんと。こいつに食わせたいって思ってたのもほんと。…でも昨日作ったのはあくまで練習で。また改めて作ろうとは思ってたんだけど。

けど、あの場であれ以上言えなくて、つい誤魔化すために言っちまった。
…しかし、たまたまだけど桜餅はめでたい感じのもんだし、これはタイミングが良かったのか、悪かったのか。


「ブン太はよくお菓子作ってるんだよね?」

「ん、ああ。ケーキなんかはしょっちゅう作ってるぜ」

「そっかあ。あたしお菓子作ったことないんだよね。すごいねぇ」


こいつも知ってるけど、俺の好きな子のタイプは物っつーかうまい食い物くれるやつ。正直こいつは当てはまらない。
でも楓は昔からお菓子作っちゃ俺にくれてた。すげーうまいの。むしろそれで俺のタイプがうまい食い物くれるやつってなったぐらい。

だから光希は全然、タイプじゃないんだ。


「…あれ?雨?」


俺の家まで二人で歩いてると。ポツポツ雨が降ってきた。そういえば今日夕方から傘マークだったっけ。


「あ、あたし折畳み傘持ってるよ!」


雨は次第に強くなってきて、光希は鞄から傘を取り出して広げた。折畳みなのにワンタッチのいいやつ。ラッキーって思いつつ俺も入れてもらった。


「俺が持つよ」

「え」

「俺のが高いから、腕上げてたら疲れるだろぃ」

「…あ、うん。ありがと…」


そうそう、俺の方が背高いから。そうは言ったけどほんとは、光希を濡らしたくなかったから。

だから必然と距離が近くなった。前は触れるとめちゃくちゃドキドキする感じだったのに、今度は触れてもないのにドキドキする。タイプじゃないのになんでだよ。
屋上でも、仁王はさらっとこいつに好きって言ってた。ほんとに好きだろうしずっと友達でいたいんだろうよ。

俺もそうなんだ。例え離れてもこいつとずっと繋がってたいって思ってる。だから好きって、仁王みたいに言えばよかったのに、言いたかったのに。言えねーんだよ。


「…ねぇブン太」

「ん?」

「あれって」


同じ歩調で歩いてたところ、光希は急に立ち止まった。俺はやや下向き加減だったから気付かなかったけど、光希が見つけた。
楓がちょっと向こうの店の軒下で、雨宿りしてた。


「楓先輩!」

「…あれ?光希にブン太!二人とも今帰り?」

「そうです!先輩傘ないんですか?」

「うん、忘れて来ちゃってねー」


まずいなこれは。…いやまずいっつーか、これは普通に俺が遠慮するべきだな。光希とうちに来る約束あるけど楓をここで放置するわけにもいかねーし。光希もテニス部の先輩をほっとけないだろうし。…潔く濡れて帰るか。

と、思ってたとき。光希が楓の腕をいきなり掴んだ。体も傘から出て、俺が必死で濡らさないようにしてたのを笑うかのように、雨は光希を濡らした。


「…先輩、またですか?」


また…?え、雨宿りがまたってこと?
そんな冗談めかしたもんじゃないってすぐ気付いた。光希の雰囲気からもそうだったけど。
よく見ると楓のほっぺたが赤くなってた。


「…いや、これは違うの」

「違くないですよね。殴らないって約束したんじゃないんですか?」

「…ちょっと、あたしが、変なことしちゃって」

「だからって殴っていいわけないんですよ。もうダメですよ楓先輩」

「……」

「これ以上付き合ってたら先輩がダメになる!」


付き合ってたら。その言葉ですぐ赤いほっぺたの答えがわかった。よく見りゃ目も赤い。


「彼氏に殴られたんだな」


楓はうんとも言わないし頷きもしない。光希は怒りと悲しさ半々って感じの表情。
その光希のさっきの話からすると、ようするに前からそうだったと。殴らないって約束したのにダメだったと。


「光希、風邪引くから。ほら傘」

「え、ブン…」

「だめ!!」


傘を光希に押し付けて、走り出そうとした俺の腕を楓が強く掴んだ。今度は俺と楓に容赦なく雨が突き刺さる。


「…なんでだよ」

「……」

「仲良くやってたんじゃねーのかよ。なんで…」


泣き出した楓は、それでも一切力を緩めなかった。俺がこれから何しようとしてるかわかって、それを許さない。

俺が見た楓とその彼氏は、いつだって幸せそうに見えた。それが苦しくて、嫉妬して、辛くて。
でも楓の笑った顔を見ると何も言えなかった。それどころか嫉妬の反面うれしい気もあった。

光希が言ってた、好きだから幸せならそれでいいってこと、たぶん俺ももうとっくにわかってた。
けど楓は、全然幸せじゃなかったんだ。


「ブン太、ごめんね」


項垂れた俺に、光希が持ってた傘を差し出した。


「黙っててごめん。桜餅は楓先輩にあげて」

「…え?」

「楓先輩。ブン太に全部話してあげてください。ブン太は人の悩みも全部、受け止めてくれるやつだから」


それじゃあねって言って、光希は走り出した。
追いかけなきゃ、そう思ったけど。足は動かない。楓がいるから?泣いててほっとけないから?…違うな。

俺は、今日初めてあいつが受験するって知ったってことや、あいつは今俺に気を利かせたってことにショックを受けてる。

黙っててっていうのはたぶん、楓のこと。それは仕方ないってわかってる。でも受験のことを教えてくれなかった。全然寂しそうにもせず笑ってた。
その人にってあげたものを他の人に渡して欲しくないなんて言ってたくせに、俺のものをすんなり楓に譲った。

つまりあいつにとっては俺は何でもない。ただのクラスメイト。
そう痛感して、光希の笑顔を思い返すともっと、苦しくなった。


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