先輩の幼馴染
「遅かったのう」
「す、すみません…」
「早く。チャコが腹減っとる」
昼休み。あたしは旧校舎裏にて、仁王先輩との密会をすることはや一週間。ある日たまたま猫をここで見つけて、それをさらに仁王先輩に見つかってしまって、仁王先輩が飼い始めたくせにどういうわけかあたしがエサ係りになって、ここで二人で世話をしている。
仁王先輩いわく、順番ではなく名付け親のあたしが主犯なんだと。
名前決めたか?って聞かれてうっかり答えてしまったのがまずかった。…いや、そもそもこんな先輩に関わってしまったのがまずかったのか。
いつも一緒のさとみには、昼休みの度に具合悪いって言っていなくなるから、ちょっと距離ができてしまってる。それは時間的なものと、この仁王先輩に内緒で会ってることに対しての罪悪感、それがある。
無視しよう、とも思ったけど。3日前、知らん顔して昼休み教室にいたら。
「来ないなら今から教室行くぜよそれでいいんじゃな」って、仁王先輩から脅しのメールがきたから。
…番号もアドレスも教えた覚えはなかったけど、いつの間にかあたしの携帯に“仁王雅治”が登録されてたんだよね。
ほんともう、何でこんなことに…チャコは好きだけど、チャコのせいでこんなことになったんだ。いやいや、チャコのせいではない。そもそも、あの日会議準備室での情事を見てしまったからじゃないだろうか。
…そういえば。
「チャコも元気になってきたのう。お前さんの作ったミルクがよかったんじゃな。普通の牛乳じゃダメとは知らんかった」
相変わらず仁王先輩は、このチャコには柔らかい優しい顔をする。…あたしには脅しのような意地悪な顔するくせに。
「仁王先輩」
「ん?」
「仁王先輩って、綾瀬さんと付き合ってるんですよね?」
その、あたしの気になってた質問に、仁王先輩はチャコを撫でるのをやめてあたしを見た。
二人きりで会うことが増えたせいで、あたしは先輩にも関わらず、仁王先輩に対してはけっこう目も合わせてズバズバ言えるようになってた。
…本命の丸井先輩に対してはまだ全然。緊張してカミカミ過ぎて。
仁王先輩と綾瀬さんが付き合ってるならあたしはここにこないほうがいい、そう、この密会を拒否る理由が欲しかった。
「いや、付き合っとらんよ」
「へー………えぇ!?付き合ってないんですか!?」
「何でそんな驚く」
「だって…、こないだキス……」
「ああ、綾瀬、かわいいじゃろ。それだけ」
はぁ?と、仮にも先輩に対してとても失礼なリアクションをしてしまった。
かわいいからって、かわいいからキスする?おかしくない?いや、ちょっと最近、仁王先輩って変な人だなぁとは思ってたけど、ここまで変だとは…!
「それにあいつ、幸村の元カノじゃき」
「………へ?」
「うちの元部長。兄弟になるのは勘弁じゃ」
さらっと披露されたとんでもない関係性、いや性関係?テニス部は、テニスが強いだけでなくいろんな案件を抱えているのか。
兄弟なんて言葉、血の繋がった意味以外でもおおよそ知ってはいたけど、こんなあたしの狭い身近な世界で聞くことになるとは。
…ていうか綾瀬さん、あたしが思ってたより、むしろ一匹狼が納得なぐらいな背景を持っていたのね。
「それより、お前さんはブン太の心配したほうがいいぜよ」
「丸井先輩?」
「ああ。綾瀬とブン太は幼稚園から一緒でずーっと仲良し、だってよ」
「えっ」
「ブン太も体だけでオッケーなタイプじゃし、もうやってるかもなあいつら」
あははって、仁王先輩はそれはそれは意地悪そうに愉快そうに笑った。
あたしの顔が歪んで、満足したんだろうか。再び仁王先輩は、チャコをあの優しい横顔で撫で始めた。
「ま、お前さんも悪くはないけどな」
仁王先輩は優しいって、さとみは力説してた。あたしは横で見てるだけだったけど、ただファンなだけの後輩にも優しく対応してるように見えた。そして今も、こんなふうに猫を優しく撫でてる。きっと寂しそうな弱った猫をほっとけなかったんだろうね。
でも。かわいいからキスしたなんて。意味がわからない。綾瀬さんも仁王先輩がかっこいいから、ってこと?
あたしが丸井先輩に恋してるの知っててそんなふうに言うなんて。
ちょっと意地が悪過ぎるんじゃないの?
「…仁王先輩は、かっこいいと思います」
「なんじゃ急に。そんなん知っとる…」
「でも頭は空っぽじゃバーカ!!」
ここ一週間のストレスが溜まってたのかもしれない。仮にも先輩相手に、あたしはバカ呼ばわりして走り去った。
仁王先輩はたぶん、さとみが思ってたような人じゃなかった。
もしかしたら丸井先輩も、あたしが思ってたような人じゃないのかもしれない。
あたしなんかからのクッキーでもうれしそうに受け取ってくれて、眩しいぐらいの笑顔を見せてくれた丸井先輩も。
ほんとはそうじゃないのかもしれない。うっとおしいと思ってて、他のきれいな女子と、キスとかしてるのかもしれない。
一学年も違うと、すごく遠い存在に感じる。ただの憧れだけにしておけばよかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…あ」
「…あ、丸井君」
部活終わって、赤也たちと飯食いながらダラダラして、帰ってきたら。家の近くで、綾瀬に会った。
もう夜。中学生にしちゃ遅い。真田なんかもう寝てるかもしれない時間。
綾瀬は部活入ってもないくせに、ずいぶん遅いお帰りで。
「部活帰り?」
「あー、飯食ってたから遅くなったけど」
こいつと話すのはけっこう久しぶり。幼稚園から一緒で、家も近いから昔はよく遊んだけど。
中学入ってからだいぶ変わった。関係も、こいつ自身も。
「…お前、あんま学校行ってないんだって?」
「まぁね。つまんないから」
ちょっと前に見かけたときよりさらに派手になってる気がした。学校もたいして行かずに夜遊びばっかり。こいつの母親が心配してるって、うちの母ちゃんが言ってた。せっかく高い金払ってもらって私立行ってんのに。
ただ、俺はなんとなく噂で聞いてる。どうやらこいつはクラスでずいぶん浮いてるって。むしろ嫌われてるって。
つまんない、っていうのも、しょーがねーのかな。
「…ん?」
視線を落としたとき、ふと、綾瀬の膝が目についた。なんか、絆創膏が剥がれかかってる。
しかも柄はキティちゃん。こいつがキティちゃんとか、似合わねー。
「なに?」
「いや、その絆創膏、剥がれかかってる」
「…えっ」
珍しくも慌てて、絆創膏を貼り直した。
つーかよく見たらその絆創膏、周りが綿ぼこりみたいなの付きまくってて、すでに粘着力がなくなってる感じだった。ケガしたなら貼りかえればいいのに。
「そういえば丸井君」
「?」
「なんか、2年にいい感じの子がいるんだって?」
「は?」
「仁王先輩が言ってたよ、ブン太は北川さんのこと気になってるって」
「……北川さんて、誰だ?」
「あ、北川結衣さん。名字知らないんだっけ」
あいつの名前が出てきて、急に心臓がドキッとした。へーそっか、あいつ名字北川っていうのか、なんて今さら知ったことにもビックリ。
そーいや前、仁王に、あいつにタオル渡したことバレて冷やかされたとき。
俺は名字知らないし結衣って名前しか知らないって言っちまったっけ。つーか仁王のやつ、あいつの名字知ってただろさては。
いやいや、ちょっと待て。確かにあっちは俺のファンらしいけど。何回かクッキーももらって、やけにうまくてもっと食いたいなーとは思ってたけど。
別に、いい感じってわけじゃ……。
「北川さん、同じクラスなんだよねあたし」
「え、そーなの?」
「いい子だよね。この絆創膏くれたのも北川さん」
綾瀬が、あいつをいい子だって言うのはわかる気がした。きったねぇ絆創膏を大事そうに貼り直したのも。
クラスで浮いてるこいつに、きっと親切にしてやったんだな。
「気になってるならデート誘っちゃいなよ」
「はぁ?」
「頑張って、丸井君」
そう言って、綾瀬は家に入ってった。いつの間にか綾瀬んちの前だった。
久しぶりにしちゃずいぶん普通に会話したような気がする。普通にっつーか、やたら突っ込んだ話っつーか。
デートかぁ……。別にいい感じ、ではないけど。
でも、なんかファンですって直球でこられて。それから毎日練習見にきてくれて、お菓子もくれるし。それは素直にうれしいと、思う。
でも実は、それ以上あいつのことは何も知らない。あとは吹奏楽部ってことと、名字は今日知ったぐらいだし……。
“気になってるなら”
これが、この何か湧き上がってくるような感覚がその、気になってるからだとしたら。
そうしたほうがいいのかもしれないと思った。
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