先輩がおかえり
「ブーンちゃん」
練習前の部室。俺が入ったと同時ぐらい。仁王がめちゃくちゃ嫌ないやらしいゲスい顔で話しかけてきた。HR終了後ソッコーいなくなったと思ったら、今日はえらい早く来てたんだな。
こんな顔して寄ってくるときは決まって、よからぬことを考えてるとき。…やな予感。
「昨日、デートしたんじゃって?」
うわーもうやな予感的中。なんで知ってんだよ。あいつが言ったのか?それとも綾瀬経由か?一番知られたくねぇ相手だ。
「いいのう、今が一番楽しい時期じゃな」
「…そーでもねーよ」
ほんとに、そうでもない。もちろん俺は昨日楽しかった。ほんと誘ってよかったって思った。そう思った自分がビックリだったし。なんかいつの間にか気になるレベル超えてる気がした。
でもあいつは。
なんでだか、途中から沈んだ顔してて。やっぱりボーリングじゃつまんなかったのかとか、それとも俺が体触ったり妙なこと言っちまったからかとか、昨日は一晩悩んだ。
せっかく俺のファンで、いつも練習見にきてくれてたのに。今日は来なかったみたいだし。それでさらにへこんだ。
…なんか、俺のほうがあいつにハマっちまったみたいだ。
「あ、なんか変な空気になったんじゃったか?」
仁王は実にあっけらかんと、俺の心の中を読んだかのように言い放った。
ああそうか、そのことを知ってるってことは、あいつから聞いたのか。なんやかんや仲は良かったのか、こいつら。あいつの友達は仁王ファンだし、俺より先に知り合いだったし。
…つーか今思い出したみたいな感じで言ってるけど、最初からわかってたんじゃねーの。
「何したんじゃ?おっぱい触った?尻か?まさかマ…」
「ちげーよ!…なんか、俺もわかんねぇ」
「ふーん」
俺もわかんない、ほんとに。なんで沈んでたのか、しかもあれは気のせいじゃなくて、仁王にもそう言ってたってこと。ほんとだったってこと。
それがさらに俺をへこませた。なんで俺がこんなへこんでるのか、その意味を考えてもっとへこんだ。
目の前の仁王は、意外にもおもしろがってるってわけではなさそうだった。むしろつまんなそうっつーか。
なんか、知ってんのか。
「ほんとにわからんの?」
「…わかんねーよ」
「綾瀬にデート誘えばって言われたって、バカ正直に言ったからじゃろ」
仁王にそう言われて、確かにそう言ったことを思い出した。でもそれがまずかったのか?なんで?
でも同時に、自分に置き換えて考えてみた。もしもあいつが俺をデートに誘ったとして、それは仁王に言われたからって、そう打ち明けられたら…?
つまんなそうな顔してたと思ったら。悩んでます後悔してますって顔してる俺を見て、仁王はいつものようにバカにするように笑った。ムカつく。けど、教えてくれたことには感謝。
「部活出とる場合じゃないぜよ。今日、丸井先輩んちに行って謝ってきますってよ」
「…は?」
「お前さんちの住所教えといたから」
マジかよ。てか言うのおせーよクラス一緒なんだからここ来る前に言っとけよバカ仁王。
赤也が今日帰りどっか寄りませんかって声かけてきたけど、断って。
俺はユニフォームに着替えることなく、急いで自分んちに向かった。ウチは共働きで弟たちも夕方まで外遊びに行ってるし、誰もいないから。
…初めてかも、部活サボったの。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
綾瀬さんち。仁王先輩に教えてもらってやってきたけど。
ずーっと電気ついてなくて。一応ピンポン押したけど誰もいなくて。
綾瀬さんの携帯番号知らないし。でも今日言わなきゃ、謝らなきゃダメだと思って、家の前の公園のベンチで待ってる。誰かあの家に入らないか待ってる。
綾瀬さんは、いつか思ったように、なんだか猫のような人だから。今日を逃すともうずっと、会えなくなるような気がして。
はぁーと、一息ため息をつくと。
バタバタ誰かが走ってくる音が聞こえた。…もしかして綾瀬さん?
そう思ってまた、綾瀬さんちを見た。でも走ってきた人物は綾瀬さんではなくて。赤い髪の。
丸井先輩……!?どうしてこんなところに、っていうか部活は?
予期せぬ出来事に硬直しつつ、声もかけられなかったあたしは、ジッと丸井先輩の動きを見ていた。
丸井先輩はその綾瀬さんちのドアまで行くと、ガサガサポケットからたぶん鍵を出して、開けて中に入った。
なんで丸井先輩が綾瀬さんちに…。やっぱり今日の仁王先輩の話が嘘で、二人は家の鍵も持ち合ってる仲なの…!?
と、思ってたら、すぐに丸井先輩は外に出てきた。そしてキョロキョロ、周りを見渡して何か探してるみたい。
「…あ」
ジッと様子を窺っていたあたしと、わりとすぐに目が合った。
そうそう、別に茂みとかもないここは、あっちからもよく見える。まだ日も沈んでなくて明るいしね。
そして丸井先輩はあたしのところまでやってきた。
「ま、丸井先輩」
「おう」
「どうしてここに…?」
「どうしてって、仁王から、今日お前がウチに来るって聞いたから」
急いで帰ってきたって。
……ウチに来る?
「メールでもくれりゃよかったのによ」
「あ、あの…」
「ん?」
「あれ…、誰の家ですか?」
「?俺んちだけど」
「えっ」
「えっ」
丸井先輩は少し目を丸くしてる。不思議そうに。
そりゃそうだ。丸井先輩は仁王先輩に、あたしが丸井先輩んちに行くって聞いたから、こうして帰ってきてくれたわけで。
でも……違うんです…!
あたしは丸井先輩んちに行ったわけではないのです!
「…マジかよ!」
「あ、す、すみません…!」
「いやいや、お前のせいじゃなくて…くっそー仁王のヤロー!」
だいたいわかってはいたけど、一応二人で答え合わせをした。
あたしは綾瀬さんに謝りたくて、仁王先輩に、綾瀬さんちの住所を聞いた。
そして丸井先輩は、自分ちにあたしが来ると仁王先輩に言われて、自分ちに帰ってきた、と。
つまりあたしが教えられたのは丸井先輩んちの住所であり、その丸井先輩は仁王先輩に騙されたと。ようは二人で嵌められた、というわけ。
「ほんとにすみません…。部活休んでまで…」
「いや、ほんと仁王が悪いだけだって!」
「…それはそうですよね。ほんと性悪ですよねあの人」
「ああ、ほんとにマジで」
しばらくその公園で仁王先輩の悪口(事実)を言い合った。
昨日は途中から気まずくなってしまったけど、今日はなんだか普通だ。ちょっとしたこういうハプニングがあったせいかも。となると仁王先輩のおかげ?…いや、だからと言って許しません。
「あ、でも、綾瀬んちはほんとに近くだぜ」
「やっぱりこの辺なんですか?」
「ああ、あの角曲がったとこの、あのグレーの家」
「…あーあの家ですか」
「そうそう。うーん、でもな」
丸井先輩いわく、おそらく綾瀬さんはまだ帰ってないと。どうやら夜遊びの噂は本当らしい。あと丸井先輩も綾瀬さんの携帯番号は知らないらしく。…全然絡みないって話はほんとだったのか。
どうしよう。まだここで待ってようかな。
そう思ってたら、丸井先輩が口を開いた。
「えーっと、お前、時間はあるわけだよな?」
「は、はい」
「じゃあちょっと、この辺で話でもしよーぜ。……嫌じゃなかったら、だけど」
もちろんです…!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、あの公園だと綾瀬が帰ってきたのがわからないってことで、あいつの家真ん前にやってきた。完全に立ち話になっちまうけど、まぁこいつがそうしたいって言ったから、やけに固い決意があるみたいで、尊重した。
「そーいや、なんで綾瀬に謝りたいんだ?」
移動し終わってから質問した。仁王の話だと俺に謝りたいってことで、まぁそれならなんとなくわかるから妙に納得したけど。いや、別にこいつが謝る必要はないんだけど。
「そのー…話は少し前に遡るんですが…」
そこから聞いた。ここ最近、こいつの身の回りで起きたこと。
まず、猫を見つけたこと。そのあと、仁王と綾瀬がキスしてるのを見たこと。猫のところで仁王と会ったこと。それから仁王にエサ係りっつーかパシリにされてたこと。その仁王にある日、俺のことについて嘘をつかれたこと。そのせいもあって昨日のデートは、綾瀬の名前が出た途端、落ち込んでしまったこと。
そして今日、一番仲良い長澤さんと仁王の件でケンカしたこと。イライラしたこともあって、関係ないはずの綾瀬にひどいこと言ったってこと。
一通り聞いて、俺の中ですぐ結論が出た。
「それは全部、仁王が悪い」
「え、そー…ですかね」
「そうそう、最低な嘘ついたわけだからな。そもそもあいつがお前をパシリに使うのもおかしいし。つーか、校内でキスとかバカじゃねあいつ。非常識すぎ」
「そー…ですよね?」
「ああ。しかもあいつらもう別れてんだろ?ありえねー」
きっとこいつもそう思ってて、でも先輩だし、まだそういう恋愛とかも知らなくて、言い出せなかったんだろうけど。
ハッキリ言った俺を見て、心なしかスッキリした顔をした。
「でも、昨日、丸井先輩とのデートでも…」
「あー、あれは、あれもしょーがないって」
「え…」
「俺もたぶんそうなるぜ。例えば、仁王とお前が幼馴染でやってるかもとか言われたり、仁王に言われてデート誘ったとかだったら」
「……」
「あっ……その、例えば、の話だけどよ」
いけねーつい口が滑って、また余計なことを…。
ここまで聞いてもう一つ結論が出た。というか、ハッキリわかった。
こいつはすげー純粋なんだ。いや、普通中2の女子ならそんなもんだろうけど。仁王や綾瀬タイプとは違う。…俺もこいつと一緒だけど。
でも、昨日とは違って、いつもみたいに俯いてても、なんだかちょっとうれしそうだ。
「ていうか、俺こそ悪かった」
「え?」
「…なんか、余計なこと言っちまったし。あと、手とか触って」
俺も謝ったほうがいいと思って。
仁王の嘘も原因ではあるけど、綾瀬に言われたからとか、普通に考えて無神経だったし。触っちまったのも。
いくら俺のファンだからって、軽い気持ちでそんなことされるのは、やっぱ嫌だろうよ。
「あの、あたし…」
「ん?」
「先輩とのデート、ほんとに楽しかったし、先輩に触られても、全然嫌じゃないです」
「…ほんとに?」
「はい…。昨日は途中で沈んじゃったけど、でもそれ以上に緊張っていうか…ドキドキしました」
「…それは、……俺もなんだけど」
そう、俺のほうこそドキドキした。素直にそう言ったら、触ったときよりもなぜかもっとドキドキした。
相変わらずこいつは俯き加減で、でも、頑張ってさっきの話をしたんだってことはわかって。
俺も下向きたくなった。涼しい風がほっぺたに当たって気持ちいいぐらい。顔とか熱い。
もう薄っすら気づいてるけど。昨日からへこんでて、でもさっきここ来るときまでの気分は悪くなくて。今ここで二人で話してて。ドキドキもするけど浮かれてる。その意味は、もう気づいてる。…言ったほうがいいのかな。
「…あ、あのさ、北川、さん」
「は、はい!」
年下なのになにさん付けしてんだよって、思ったのもあったし、これから言おうとすることが俺をさらにドキドキさせて。しばらく沈黙。
あーまた変な間ができちまったどーしよって思ってたら。足音が聞こえて、俺らの少し手前で止まった。
「丸井君…と、北川さん?」
おー助かった。いや、今はちょっと邪魔?
綾瀬が帰ってきた。今日はお早めのお帰りで。
俺もだけど、まったく予想もしなかったクラスメイトがいて、ビックリした顔してる。
「デート?ここ、ウチの前なんだけど…」
「綾瀬さん!」
綾瀬を目にした途端、北川さんは走り寄った。その光景がちょっとうらやましかった。
「…え、北川さん?泣いてるの?」
「今日はごめんなさいっ!あたしほんとにひどいこと言って…!」
まさか謝られるとは、しかも泣くとはって、綾瀬は思ってるんだろう。さっきよりもビックリした顔をした。
仁王の言う通り、綾瀬はたぶん、誰に何言われても別に気にするようなタイプじゃない。なんか達観してるっつーか。気にしないようにしてるんだろうけど。
でも、それがこいつからだったから。少なくともほんのちょっとは、へこんだとは思う。
そう思わせるように、綾瀬は優しく、泣いてる北川さんの頭を撫でた。
…改めて、この俺が北川さんって呼ぶの、おかしくね?親密度的にもうちょっとなんか……。
そんなことを考えてたら、綾瀬が俺のほうを見て、クスッと笑った。
「うらやましいんでしょ、丸井君」
「ばっ…!」
余計なこと言うなって…!やっぱ仁王と付き合ってただけあって、こういう感じは似てんのな。
北川さんはちょっと不思議そうに一瞬こっちを見たけど、すぐまた正面を見た。綾瀬がトントンって、北川さんの肩を叩いたから。
「ケガ、治ったよ」
「…え?」
「結衣ちゃんが絆創膏くれたおかげだね」
そう言って、膝を指して、キティちゃんの絆創膏を剥がしてみせた。
言った通りきれいに治ってた。
もうボロボロの汚れた絆創膏で、いつまでしてたんだよって思ったけど。
それは綾瀬から北川さんへの感謝の気持ちと、
今は、今日のことは許すよって、言ってる気がした。
きっと北川さんもそれがわかったんだろう。たまらなくなったって感じで、綾瀬に抱きついた。
よかったな、北川さ……、
「丸井君」
「ん?」
「うらやましいんでしょ」
「……うるせーよ!」
俺の声がでっかく響いた。
確かに、今抱きついてるのとか、さりげなく名前呼んだのとか。図星過ぎて。
…こういうとこがまた、ニヤニヤ意地悪そうに笑うとこがまた、仁王のやつと似てやがる。明日あのヤローに文句言わねーと。
あと、そのうち。さっきの話の続き、したいな。
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