(2)「アーサー王伝説」の成立


※この記事は、あくまでネット上の情報を繋ぎ合わせたものです! 学術的価値は皆無です!



アーサー王伝説と言えば、中世騎士道物語の中で最も有名と言っていいだろう。

だが、そもそも「アーサー王伝説」とは何なのか?
っていうか、何で「アーサー王伝説」なのに、ランスロット目立ちすぎじゃ……? 不倫したのに何でこんな人気高いんだよ。
などなど、ふわっと知っている限りだと割と疑問の多い「アーサー王伝説」。

今頁はその成立についてなどを見ていきたい。

まず、「アーサー王伝説」の舞台は、ローマ撤退後のブリテン島である。つまり5世紀。
アングロ人やサクソン人が七王国を建て、ブリテンで覇権を握ってはいるが、当然ブリテン人が突然消えた訳ではない。
彼らは南西部で小国((*1)を築いていた。そのブリテン人と、アングロ人サクソン人との戦いを描いたのが「アーサー王伝説」である。
アーサー王のモデルとなった人物が実在するかどうかは未だに論議の交わされるところであり、
複数の民話や伝承の登場人物の統合的なイメージが、アーサー王をつくりあげたのではないかという説もある。
メインストーリーにおける『第二次戴冠作戦』(*2)の着想はここから得たのだろう。

さて、その複数の民話や伝承だが、当然、その全てが5世紀以降に生まれた訳ではない。
それ以前にあったもの、もしかすれば、ローマ帝国の影響を受ける以前の、純粋なケルト民族の伝承が変化したものもあるかもしれない。
民話や伝承の変化はいつの時代、どの地方でも起こることである。

尚且つ、本来民話や伝承というものは口伝で伝えられるものである。
「文学」として編纂されたものは、どうしても為政者の意図が絡んでしまう。
話の骨格はそのままで、いくつかのモチーフが宗教的なものや、その当時の王権を支える為のものにすり替わったりする。
そして話の骨格なんてある程度のパターンがあるものだから……(*3)
と、語り続けてもいいが、民話伝承の話ではなく、「アーサー王伝説」に話を戻そう。

「アーサー王伝説」も「伝説」の類なのだから、そうした変遷を遂げているはずである。
それらがある程度記録に残る形となったのは、ブリテン人の直系であるというウェールズ人が10世紀から12世紀頃に作成したという『マビノギオン』や、12世紀から13世紀頃にまとめられた『ブリタニア列王史』である。
だが、中世騎士道物語としての「アーサー王伝説」は、トマス・マロリー著の『アーサー王の死』からだろう。

何故、前頁で長々と歴史を説明したかというと、しかも薔薇戦争のところまではそこそこ丁寧に見ていたのは、このトマス・マロリーに繋げたかったからである。
このトマス・マロリーはウェールズ人で、犯罪歴・投獄歴の豊富な、かなりハチャメチャな人物だった。因みに脱獄歴も相当のものらしい。
そして薔薇戦争の最中、ランカスター家を擁護したとして捕まり、投獄される。その獄中で『アーサー王の死』は書かれたのだ。
勿論、前述した通り『アーサー王の死』の以前から「アーサー王伝説」については多くの物語があり、それをただ書き写したにすぎない部分も多くあるだろう。
だがそれでもなお、文学史において彼の名が取り上げられるのは、それらの伝説を「アーサー王と円卓の騎士たちの伝説」としてまとめ、世に出したことにある。



*1:恐らく「ドゥムノニア」という名前か? この国の中に現在のコーンウォールも含まれる。ゴルロイスはコーンウォールの王である。
*2:どうでもいいが、ストーリー中では「戴冠作戦」となっているのに、何故第一部の名称は「戴冠計画編」となっているのだろうか? 単なる凡ミスなような気もするが……
*3:ウラジミール・プロップ著『民話の形態学』が、こうした民話や伝承の話の骨格の分類について詳しく書いてある。とても面白い本なので、そうした分野に興味があるなら、是非一読をお勧めする。図書館で借りて読んで大嵌りしたので、某密林に私も注文する予定。


(20130409)

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