(1)イギリスの歴史について


※この記事は、あくまでネット上の情報を繋ぎ合わせたものです! 学術的価値は皆無です!


ブリテンブリテン言ってるけど、ブリテンって何だよ? という疑問が湧いた。
そもそも、イギリスの歴史って?
七王国時代ってなんだっけ?
ウェールズ? サセックス? コーンウォール?
ブリテン人? アングロサクソン人?
ローマの侵略? キリスト教化?
――割合、ぐっちゃぐちゃである。

「イギリス」の正式名称が「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」であるということは割合有名な話だろう。
あくまでアーサー王伝説絡みなので、アイルランド問題はひとまず置いておいて、イギリス! と言った時のあの大きい方の島、グレートブリテン島について突っ込んでいきたい。

グレートブリテン島は三つの地方に分かれる。
北がスコットランド、中央から南にかけた地域がイングランド、西のぼこっとしているところがウェールズである。

グレートブリテン島へは、紀元前からローマ帝国の影響があり、ローマ人に支配されていた。
しかし、当時からブリテン島にはケルト系の土着民族がいた。それがキリスト教化したのがブリテン人である。
ブリテン島に住んでいる全員がブリトン人という訳ではなく、別にピクト人という人々もいたらしい。
彼らとブリテン人の文化は異なっており、ヴォーティガーン王も彼らと戦っていることなどから、ブリテン人とは全く別の民族のようだ。

ローマの支配が終わったのは4〜5世紀頃である。
西からはアイルランド、東からはサクソン人が侵入してくるようになった。
既に西と東に分裂していたローマ帝国は弱体化し、ブリテン島にいるローマ軍勢は本国の支援を得られなかった。
よって、時の皇帝コンスタンティヌス3世(*1)が残っていたローマ軍勢を率いてブリテン島を離れた。(407年)

ローマが撤退したことにより、ブリテン人たちは再び自らの王を掲げ、各地に国家が建つことになる。
しかしゲルマン系民族たちが侵入し、「七王国(ヘプターキー)時代」が始まってしまう。
つまり、ブリテン人たちはゲルマン系民族たち――『外敵』にブリテンの支配権を奪われてしまうのである。

以下はその後、ブリテンが統一されるまでの流れである。

その後七つの王国の内の一国、ウェセックス王国(サクソン人系)が台頭。
しかし9世紀半ば以降、ヴァイキングであるノルマン系のデーン人による侵攻を受ける。
一時デーン人から覇権を奪い返すサクソン人だが、フランスの一領主であるノルマンディー公に打ち負かされ、以降フランス系の王朝による統治が始まる。(ヘイスティングの戦い、1066年)

その後、ウェールズを吸収(1276年)し、イングランド王国は成長するも、
時の国王エドワード3世がフランスの王位継承権を主張した為、フランスとの間に戦争が勃発する。(14世紀半ば)
これがかの有名な百年戦争である。戦争はシャルル5世、ヘンリー5世、ヘンリー6世と引き継がれる。
フランスへの侵攻は順調だった、がしかし、そこで登場したのがオルレアンの乙女。ジャンヌ=ダルクである。彼女の活躍は、イギリスにとっては痛いものだっただろう。(15世紀半ば)
いざ15世紀半ばに戦争が終結してみれば、イングランド王国の大陸の領土はカレーのみとなっていた。

この百年戦争による国内の疲弊に不満をもらしたのが、ヨーク公リチャードを支持するヨーク派である。そしてヘンリー6世を支持するランカスター派と対立することとなる。これが薔薇戦争(*2)である。
薔薇戦争は1455年から30年間続いたが、婚姻を通して両家は和解。テューダー朝が開かれた。

その後海賊時代を経た後、ステュアート朝になり、清教徒革命と名誉革命を経て、
スコットランドを吸収し(1707年)、グレートブリテン王国となる。
こうして、グレートブリテン島は統一されるに至る。


*1:アンブロシウスはコンスタンティヌス3世の親戚だという説がある。それは、彼の親戚が「紫色の衣を着ていた」という描写があるのだが、紫は高貴な色として、皇族が身に着けるものだった。
*2:「薔薇戦争」の由来は、ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇を紋章としていた為である。両家共にエドワード3世の血を引く家であり、ようは薔薇戦争というのはイングランド全体を巻き込んだお家騒動である。



(20130409)

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