夜鷹の星 | ナノ


 



「おおーっ…」
 
感嘆の声をあげながら首を上へ向ける。
世間一般的に高いであろうと分類される俺の身長でも、そのビルを見上げると首が痛くなった。
ついにここまで来たのか、と感涙の涙さえ浮かびそうになった。
が、隣を見ると海常の監督と張り合うほどのムサいおっさんが俺よりも早く涙を流している。
こういうのも悪いが、それを見るとなんとなく萎えた。
 
 
「ついにここまで来たんだな…!」
 
 
それはそうなんだけど、涙拭いて。いつにも増して見苦しいから!
なんて言葉を流石にこの場で発するのは可愛そうだと思い、無難に「そっすね」とだけ答えておいた。
そっけない俺の返事を不満に思ったのか、ムサいおっさん、もとい俺のマネージャーが「何だそのやる気のない返事は!」と鼻水をこちらに飛ばしてきた。
 
モデル業を続けて早数年。初めは小さなスタジオから始まり、今では首が折れそうなほどの高層ビル。
我ながら素晴らしい出世コースだと思う。
さっそくビルの中に足を踏み入れようとした瞬間、マネージャーにがしっと肩を掴まれた。
 
 
「涼太、もう一度言うが、」

 
またかと思いため息をつきながら振り返る。何度言われたことか、これぞ耳にタコである。 
 
「もー、分かってるっスよ!」
「いいから聞け」
「…ういっす」
 
高層ビルの入り口に男2人。すれ違う人々が怪訝な目でこちらを見るのも尤もだ。
ちょっと、いや大分恥ずかしい。
そんな周りには目にもくれず、マネージャーはここに来るまで1000回は聞いたであろう言葉を発する。
 
「ここの社長は、変人だ。絶対機嫌損ねんじゃねェぞ」
 
そう、この高層ビルの持ち主であり大企業のトップである人物は、変人らしい。
どう変人かは聞いてはいないが、気に入らなかった奴はどんなに金を稼いでいたとしても飛ばす。
逆にお気に入りの奴はとことん愛でる。俺に言わせれば、それは差別では無いのだろうか。
それでも着実に業績を上げているのだから、誰も文句は言えないのだろう。
実際に見たことはないが、噂なら嫌というほど聞いた。
 
 
「今日は社長に挨拶もあんだからな、ヘマすんなよ」
「分かってるっスよー」
 
 
いいから早く入らせてくれ。
俺の心が通じたのか、マネージャーは声のトーンを普通の調子に戻しながらようやく手を離した。

「俺は先に打ち合わせがあるからな、ビルの中見学してこい」
「え、いいんスか!?」
「変なことはするなよ」
「しないっスよ!」
 
時間になったらここに戻って来いよ!というマネージャの声を聞きながら、うきうき気分で足を踏み出した。
ここのビルは主に芸能人とその関係者しか入れないようになっている。
うまくいったら誰か有名人に会えるかもしれない。そう考えると自然と頬が緩むのを感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
「はー、やっぱでかいなー」
 
あれから30分。これから自分が使うであろうスタジオなど色々なところを見て回ったが、どこも前のビルとは規模が違った。
これからここで仕事をするのだという実感が湧かない。
まぁ仕方ないよなと思いながら角を曲がった矢先、
 

「きゃっ」
「うわっ」
 
 
誰かとぶつかった。
俺は転ばなかったが、相手は小柄な女性のようで見事に俺に吹っ飛ばされたらしい。
慌てて手を差し伸べながら謝ると、こちらこそすいませんと苦笑しながら顔を上げた。
 
 
「大丈夫っスか?」
「そちらこそお怪我はありませんか?ごめんなさい、私前見てなくて」
 
 
ぶつかった時に散らばったのであろう紙を拾いながら、ぺこりと頭を下げられた。
いやいやちゃんと確認しなかった俺も悪かったし、と彼女の作業を手伝う。
その合間、ちらりと彼女の姿を盗み見た。
 
長くゆるくウェーブの入った水色の髪。
可愛いといえば可愛いし、美人と言われれば美人だがこれといって人目を引くような容姿では無かった。
芸能人では無いだろう。事務の人だろうか、と勝手に判断する。
  

「これで全部っスかね」
「すみません、手伝って貰っちゃって」
「いやいや俺も悪いし」
 

集めた紙を水色の彼女に手渡す。どうやら手描きの楽譜のようだった。
俺自身楽譜は読めないが、綺麗な文字で書かれたそれを見ると、どんな曲なのだろうかと好奇心が湧いてくる。
この人が描いたのだろうか。
そんなことを考えると、思わず口を開いてしまった。
 
 
「あの、それどんな曲なんスか?」
「えっ?」
 
 
突然の質問にびっくりしたのだろう。そりゃそうだと慌てて謝る。
「すいませんっス!あの、ただ…綺麗な字だなと思って」
その言葉を聞いた瞬間、水色の彼女はふんわりとほほ笑んだ。
 
「ありがとう」
 
あ、可愛い。
 
「やっぱり、それ書いたのって…」
「うふふ、私です」
 
笑い声はまるで鈴を転がしたような音で。
この人が作曲したということは、この人が歌うんだろうか。この綺麗な声で。 

 
 
―聞いてみたい
 
 
 
ぽつりと零した呟きに、彼女は一瞬驚いた顔をすると「えっと、」と言いながら戸惑った。
変なこと言ってすいませんと言おうとした瞬時、水色の彼女はこてんと首をかしげる。
 
「これからスタジオで練習するんですけど…き、聞きますか?」
「えっ!いいんスか!?」
「ぜ、全然まだ完成してないけど」
 
それでもいいっス!と思わず大声をあげて彼女の手を握ると、彼女はまた笑った。
 
 
 
 
「えっと、そこ座って」
 
きょろきょろ物珍しそうにしながら中へ入る俺を見た水色の彼女は、ちょっと笑いながら近くのソファーを指差した。
「あ、はい」と言い指定されたソファーに座る。
俺が前にいたビルは撮影スタジオはあったが、録音スタジオは無かった。
大きなスピーカーやマイクが何台も並んでいるのを見ると、やはり凄いなと思う。
 
 
ポーン
 
 
ピアノの音がする。どうやらこのスタジオにはピアノがあるようだ。
不思議に思って彼女を見ると、「練習用のスタジオだからね」と笑った。
なるほど、音合わせってやつか。
 
「ピアノ、弾けるんスか」
「ちょっとだけね」
 
そう言いながらも滑らかに動く指は、彼女が少しできる程度ではないということを物語っていた。
前奏だろうか。じっと耳を澄ます。
 
 
 
 
彼女がピアノの音に声を乗せたとたん、空気が変わった。
 
 
 
Never did hear such a voice
(君の声に心を奪われるまで、あと3秒)
 
 
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