霊感少女Sの非的日常。 | ナノ


  




「黄瀬くんさぁ…」
 
向かい合わせにした机の向こうで、黄瀬は教科書から顔をあげ「なんスかぁ?」と呑気な声で聞き返す。対する小夜はその整った顔を殴ってやりたいほどの衝動に駆られていた。
 
「なんでこんなに英語できないの?」
「…なんでだろ?」
「こんのアホッ!英語できそうな頭の色してるくせにどういうことよ!」
「それ関係ないっスよ小夜ちゃ〜ん」
 
確かに高校の英語は中学と比較しても飛躍的に難しくなっているとはいえ、まだ高校一年生の最初のテストである。解答用紙を見せて貰ったところ奇跡的に点数を稼いでいるところは中学の復習部分と記号問題であった。筆記はほぼ全滅、良くても三角である。
これは最早どう教えればいいか分からないレベルとうんうん唸っている小夜とは対照的に、黄瀬は教科書で顔を隠しながらも朗らかな顔で彼女を見つめていた。
 
夕日に照らされた彼女の色素の薄い髪がいつもより綺麗に見えるだとか。
自分たち以外いない教室に響く彼女の声が心地いいだとか。
そんな取り留めもなく、それでも確かに幸せを感じて。
 
気付いた時には、もうすでに口を開いていた。
 
「ねぇ、小夜ちゃん」
 
さきほどとは打って変わった低い声。この声の時の彼は、痛いほど真摯にこちらを見つめているのを知っている。体育祭のときも、あの事件のときも。小夜は黄瀬のこの表情が酷く嫌いだった。
 
「なに」
 
プリントから顔を上げず声だけで返答する。ああ、本当は答えなんていらない。いつものへらりとした彼でいい。今の君は、見たくない。
そんな願いも空しく、黄瀬は薄い唇を開いた。
 
「俺、小夜ちゃんのこと好き」
 
どくりと、心臓が嫌な音をたてて大きく跳ねる。プリントを持つ手がかたかた震えそうになるのを必死で抑え、一気に乾いた喉から声を絞り出した。
その彼女の様子に黄瀬も我に返る。

「あ、あの、俺、」
「悪いけど」
「へ?」
 
小夜はプリントを乱暴に机の上に置くと、鞄を掴みがたんと音をたて席を立つ。黄瀬は自分の口元を押さえ、ただ唖然と見ていることしかできなかった。
 
「恋愛興味ないから」
 
それだけ言うと早歩きで教室を出て行ってしまった。残された黄瀬は「なんで言っちゃったんだろ…」と誰もいない教室の中呟く。まだ告白する気なんて無かった。まだ、今までの距離でいいと思ってたのに。夕日に照らされた彼女を見ると、なんだか無性に好きが溢れた。告白してから出て行くまで、彼女は一度も視線を合わせてくれなかったというのに。
改めて自分と彼女の温度差を確認する。一方通行な自分の思いは、届くことなく、それでも止むこともできずに何処へ向かおうというのか。
 
 
 
 
 
教室から靴箱まで、全力で駆け下りる。
外から運動部の走る掛け声が聞こえて来るだけで、夕方のこの時間に靴箱にいる生徒は幸運なことに小夜以外には居なかった。乱れた息を整えようと止まるとそのままずるずる靴箱に背を預け座り込む。そんなに長い距離ではないはずなのに、まるで30分間ずっと走っていたかのように呼吸が乱れ心臓が痛かった。
 
「好き」「愛してる」
 
それはこの世で一番嫌いで、一番聞きたくない言葉であった。
ドラマや漫画で聞いたり目にするのは別にいい。作り物であると分かっているから。その分、生身の人が言うとどうしても憧れや嬉しさよりも気持ち悪さが勝った。何故だかは自分でも分からないが、自分がそれらの類の言葉や感情に嫌悪感を感じると気付いたのは中学になってからである。
それらの言葉を聞くと、吐きそうになるのだ。
英語を教えるということで黄瀬くんと二人で放課後を過ごしていたが、もう戻ることはできない。
 
小夜はよろよろと立ち上がると、靴を履きまだふらつく足で校門へと向かった。
 
 
 
 
 
なんだかんだいって、黄瀬には自信があった。
相手がちょっと変わった一筋縄ではいかない子だということは分かっている。それでも何処かうまくいくと思っていたのは、自分の容姿から来るものでもあり今までの経験上から来るものでもあった。女の子との交際経験は同年代の男子と比べるとはるかに多いと言えるし、理由を問われれば羅列できるほどあるのだから。
 
「俺のばーか…」
 
夜遅く空いている地下鉄に乗り、今はもう軽く寝てしまおうと目を閉じる。が、何も見えなくなると脳裏があの瞬間を描きだし眠りに落ちることを妨げた。
結局あの後は様子を見に来た森山先輩に手伝ってもらい、なんとか山のような課題を終わらせたのだった。普段なら呆れられるか怒られるかするであろうに、森山は一度黄瀬の顔を見ると一言「さっさと終わらせるぞ」とだけ言い、黄瀬の筆箱からシャープペンを持ち出し黙々と課題をやり始めたのである。
今思い起こせば自分は相当酷い顔をしていたのだと思う。なんだか申し訳なく感じた。
 
明日からどんな顔して会えばいいんだろう。
 
中学の時も高校の時も告白されて振ったことは数えきれないほどあるが、一度も振った方の気持ちを考えたことなど無かった。思えば彼女たちはどんな思いでその後を過ごしたのだろう。もっと優しく振ってあげればよかったのかもしれないと、僅かな後悔と罪悪感に苛まれた。今彼女たちが幸せであることを祈るしか今の自分にできることはないのだが。
誰かに相談しようにも、一体誰に…そこまで考えて黄瀬は思い出す。とりあえずあの方の意見を仰いでみよう。
思いつくとすぐに行動に移すタイプの黄瀬は、ポケットの中から携帯を取り出す。いつもなら女子高校生顔負けのタイピングの早さだが、今はまるで初めて携帯で文字を打つ老人のように中々進まなかった。
ようやく送信したのは10分も後のことであった。普段なら平均して2時間、酷い時であれば次の日に返信が来るというのに丁度携帯を見ていたのかこの日に限り返信が異常に早かった。
少々驚きながら新着メールを見ると、ただ一行。
 
『諦めるんですか?』
 
彼らしい文章だと思った。諦めるのが嫌いな、彼らしい真っ直ぐな一言。その文を見た途端、黄瀬はあれと思った。
確かに、俺は今さっき振られたばっかりだ。普通ならば諦める、という選択肢が出てくるのも当然のことである。しかし黄瀬の脳内にその五文字は浮かんでこなかった。今文字を見て、初めてそんな言葉を知ったという気にもなる。
何と返せば良いか分からないが、自分から話を振っておいて無視するのも失礼極まりないので一言「分かんないっス」とだけ返しておいた。
本当に分からないのだ。何をすればいいのか、どうしたらいいのか、まったく分からない。それでもどうしても『諦める』に手を出すことはできなかった。
 
このまま家に帰る気にもなれず、かといって今日は仕事が入っているわけでもないのでそこらへんの喫茶店にでも入ろうかと適当な駅で降りた。この近くには何があるのだろうとマップ機能付きの携帯を取り出し駅の椅子に座った時である。「あのぉ」という声がすぐ目の前で聞こえた。
女性の声だったので反射的にナンパかと思ったが、顔をあげるとそこにいたのは一人の老婆。長旅をしてきたのか、中々に大きな鞄を抱えている。若い女の子に声をかけられることは幾度もあるが、老人に声をかけられるという経験はこの髪の毛のせいかあまり無かった故か少し新鮮であった。
老人が若者に都会で声をかける目的は、多くの場合道を尋ねるためである。冷たくする理由もなければ基本的優しい性格である黄瀬は「どうしたんスか?」と若干いつもより明るめの声で聞いた。

「ここに行きたいのですけど、何処の出口から出れば近いんでしょうかねぇ」
 
ここの駅には出口が非常に多く、なるほど慣れてない人は大変だろうなと思いながら差しだされた紙を見る。正直なところこういうのは駅員さんに聞いた方がいいのでは、と思ったが紙に書いてある住所を見てはたと止まった。
どこかで見たことある住所である。住所など自分のか、もしくはいつもの仕事場の住所しか覚えていないものだが何処かでこの文字の配列を見たことがあると黄瀬は思った。
無意識か意識的にかは分からないが、いつの間にか黄瀬は手にしている携帯のメモ帳をタッチした。普段あまり使わない機能ではあるが、ごく最近使ったのを思い出す。
 
そこにはやはりというべきか、紙と同じ住所が書かれてあった。
 
何も言わない黄瀬に老女は気分を害することなく、むしろマイペースにも黄瀬の隣の椅子に座り「孫のところに行こうと思ったんですがねぇ、さっぱり都会の仕組みがわからんで」と一人で喋っている。
黄瀬は自分の携帯と老女から受け取った紙を三度ほど交互に見ると、覚悟を決めて老女に声をかけた。
 
「あの」
「それにしてもお兄さん、イケメンだねぇ。都会にはこんなのがうじゃうじゃいるもんなのかい?」
「いや、あの」
「あの子ももうちょっとお洒落すればいいものをねぇ」
 
話聞けよ!!と、黄瀬は心の中で突っ込んだがちょうど孫の話になったところで「あの!」と少しだけ声を大きくした。老女はそれに驚いた様子もなく、「はいはい?」と顔を黄瀬へ向けた。
 
「お孫さんの名前、もしかして久遠小夜さんじゃないスか」
 
一瞬老女は驚いたろうに元々大き目の瞳を少しだけ見開いたが、次の瞬間には「小夜を知っていらっしゃるんですか」と尋ねた。
知ってるも何もつい数時間前に告って振られた相手です、なんてまさか言えるはずもなく「ははは、まぁ同じクラスの友達っス」と苦笑しながら言う。
 
彼女の家はこの駅から近く歩けば五分ほどでついたはずだ。とりあえず出口を教えよう、と思ったのだが駅を出てからも結構複雑な道のりである。小夜ちゃんに電話して駅まで来て貰おうかとも考えたが、まさかさきほど振られた相手にいきなり電話する勇気など持ち合わせていない上にそもそも電話番号を知らなかった。
数分悩んだ後、よし!と言いつつ立ち上がる黄瀬を老女、もとい小夜の祖母は不思議そうな顔で見つめた。
 
「俺が案内するっス!」
 
もちろん小夜に会う心の余裕などは無いが、家の前まで案内すればいい話だ。そこまで行って「じゃ!」と言い急いで帰ればいい。
 
 
 
 
と、黄瀬は確かにそう決意したはずであった。
だがどうしてだろう。今、まさに失恋した相手の家でお茶を飲んでいるのは。しかも家に居るのは本人ではなく、その祖母である。地元から持ってきた茶菓子を勧められるこの空間は異常としか言いようが無かった。
 
時間は少し前に遡る。
無事案内を終え、扉の前で「じゃあ俺帰るんで!」と言った瞬間であった。小夜の祖母は老人とは思えないほどの素早さと力で「いいから上がっていきんさい!茶ぁぐらい出させなさいな」と黄瀬の腕を掴み、嫌がる黄瀬をよそに鞄から鍵を取り出し中へ入った。
ひいいいと思ったのも玄関に入るまでで、部屋は電気が点いておらずしんとしていた。どうやら彼女は留守のようだ。
ほっとしたのもつかの間、相変わらずの力で居間まで引っ張られいつの間にか黄瀬の前には湯気をたてている緑茶が置いてあった。
 
目の前で色々学校のことなどを訪ねてくる老女は白髪が大半を占めているにも関わらず若々しく気品が漂っていた。
ぼんやりと目の前の人物を見ていると、やはりどこか彼女に似ているような気がする。小夜ちゃんは母方似なのかな、と不意に思った。
時計を見ればもう八時。そろそろ彼女が帰ってきてもいい時間である。もしそんな状況になれば、気まずいことこの上ないと判断した黄瀬はそろそろお暇しようかなと言おうと思い、はたとずっと疑問に思っていたことを彼女本人にではなくその祖母に向かって口を開いた。
 
「あの、小夜ちゃんって」
「はいはい」
「恋とかって、したことあるんスか」
 
しん、と今までほぼ独壇場で喋っていた小夜の祖母が口を閉ざした。
しまった地雷か、と思った黄瀬であったが今更引くこともできずただ嫌な汗が自分の背中に流れるのを感じながら返答を待つ。
 
どれくらいであっただろうか。時間にすればほんの数秒のことなのだが、黄瀬にはそれが数時間のように感じた。
その間ずっと小夜の祖母からの目から視線を逸らすことなく、また向こうも同じようにこちらをじっと見つめている。大分年にも関わらず、きらりと輝いており同時に真意を読み取ることは難しく、一歩間違えれば吸いこまれてしまいそうな底知れぬ瞳を彼女は持っていた。思わずぞくりと鳥肌が立つ。
意識的に瞬きをし目を開けたつぎの瞬間、彼女は元のただの明るいお婆さんに戻っていた。気付かないうちに呼吸を止めていたのか、大量の息が漏れる。
 
「お兄さん、知ってるね」
「え?」
「小夜には普通の人には見えないものが見えるってことをさ」
 
カーブを描いていた自分の背中が思わずしゃんと真っ直ぐになる。なんと言ったらいいのか分からず、黄瀬はただ頷いた。そんな黄瀬を小夜の祖母は笑って見ている。
 
「それでもあんたは小夜のことが好きなのかい?」
 
核心を突いた質問だ。下を向けていた顔を上げ、もう一度しかと相手の目を捉える。もうさきほどの目では無かったが、奇妙な威圧感は相変わらず続いていた。
最初は面白いと思った。次に目で追うようになった。そして、守りたいと思うようになった。

 
 
「はい」
 
 
 

これを恋を言わず、なんというのだろうか。
 
 
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