霊感少女Sの非的日常。 | ナノ


  



「小夜ちゃん、趣味は?」
「趣味ぃ?えー、…寝ること」
「じゃあ好きな食べ物は?」
「えー、和菓子とかは好きだけど」
「じゃあ!嫌いな食べ物は!」
「……辛いのとか」
「じゃあじゃあじゃあ、」
「ねぇ、黄瀬くん。さっきから何なの」
「いいから答えてほしいっス!えーっと、次の質問は…」
「ああもう、」
 
―うっとおしい!!
 
 
定期テストが終わりそろそろ結果が返ってくる頃。
この時期というのは勉強のプレッシャーからも一時開放され、どこかかしら浮いた雰囲気がクラスの中に漂う時期でもある。
しかしいくら浮かれてるとはいえ、黄瀬くんは朝からずっとこんな調子だった。
なんか怪しいメモ帳を見ながら、息をつく間も与えず質問を繰り出してくる。
ほんと、何だお前。
 
耐えきれずがたんと立った私に続いて黄瀬くんも何故かついてこようと席を立ちかけたので、「トイレだから!」と怒鳴ってその場から逃げ出した。
捨てられた子犬のような彼の目は、見なかったことにする。
なんなんだろう、今日は。いつにも増しておかしいぞあいつ。軽く怖い。
トイレの鏡を覗き見る。相変わらず面倒くさそうな顔がこちらを見つめ返してきた。
学校のトイレの鏡というものは最近起こった事件のせいでいささかトラウマになっていたのだが、1週間たった今では大分普通に戻った。
 
さて、昼休みはあと10分。
今から教室に帰ってもまたあの変な黄瀬くんに捕まるだけだし、残り時間は風にでもあたってのんびりすることにしよう。
次の時間は確か英語で、返ってくる最後のテストだ。
今までのテストの点数は平均すると約90点と、小夜は頭のいい方だった。
塾に行っているわけではないが、授業を真面目に聞いている上にバイトの他にはこれといってやることがなかったため、暇つぶしに勉強していたらいつの間にか点数がとれたという感じだ。
その中でも得意なものは化学で、苦手なのは倫理。
理由は単純明快、存在を確実に証明できるかできないか。それだけだ。
 
 
例えそれだけでも、小夜にとっては重要なことなのだ。 
 
 

 

 
 
「じゃー、テスト返すぞー」
 
分かり切っていたこととはいえ、教室はざわつき始める。
そんな生徒たちに慣れっこなベテラン英語教師は、出席番号の一番最初である男の子の名前を呼び「もうちょっと頑張れよー」などとコメントした。
教室の中に喜ぶ声、悲しむ声が充満するなか黄瀬涼太は非常に心をどきどきさせていた。
恋や愛のような可愛いものからくる心拍数の上昇ではなく、不安と焦りからくる血管の縮小である。
テスト前、笠松先輩に言われたことを黄瀬は頭の中でもう一度反復した。
 
 
「今回の定期テスト、絶対赤点は取るんじゃねぇぞ!もしとったら…」
 
インターハイ、出場できねぇから。
 
 
スポーツを推進している学校としては珍しく、海常は勉強面に関してもある程度厳しい学校であるようだ。
なんだかんだいって中学のときは一度も赤点というものをとったことがない黄瀬は、「ははは大丈夫っスよー」とその場では笑った。
が、中学校と高校のテストというのは難しさが劇的に違う。
黄瀬は、ろくに勉強もせずテストへ臨んだ。要するに彼は高校のテストを舐めていた。
その結果は悲惨なものであった。今までのテストは赤点すれすれで赤点はとっていなかったが、一番の問題が英語である。
同じ日に試験日だった化学の方に重点を置いたら、英語に手をつけることなく朝を迎えたのだった。
 
前の出席番号の男子が呼ばれる。先生は何も言わず頷いただけで、彼にテスト用紙を返却した。
そして、黄瀬の番。名前を呼ぼうとする先生の口が一瞬止まり、眉間に深い皺をつくる。
ため息をつくと、低い声で黄瀬の名前を呼んだ。
 
 
これは、アウトなパターン。
 
 
黄瀬はふらふらと教壇へ向かい、無言で圧力をかけてくる先生から何とかしてテスト用紙を奪還する。
そこに書いてあった点数は、23点。完璧赤点である。
はぁと深いため息をつき、涙目になりながらも赤点仲間を探そうとクラス中を見まわしたが、そこまで酷い顔をしている者は居なかった。
 
ふと後ろを見ると、全員にテストを配り返し解説に入ろうとしている教師には目もくれず本を読んでいる小夜の姿が目に入った。
もしかして、と思いこそっと「何点だった?」と聞くと、彼女はうっとおしそうに顔をあげ、目の前に紙を突き出した。
まるばかり、むしろまるしかないと言っていいほど綺麗な解答用紙。ついでに言うと彼女の字も綺麗だった。
そんなことは今はどうでもいい、と黄瀬は解答用紙の右斜め上を見る。
 
 
そこに書いてあったものは、94という黄瀬にとっては天文学的な数字だった。
 
 
 
「えっ」と思わず声をあげ、クラス中の注目を浴びる。
慌てて前を向くと、英語教師がこちらを睨んでいた。
 
「黄瀬ぇ、お前いい度胸だな」
 
赤点のくせに、と英語教師の後ろのオーラがひしひしと語っていた。
俺だって好きで赤点とったわけじゃない!と叫びたかったが我慢し、「すいません」と言うと英語教師はため息をついて再び黒板と向き合った。
その姿にほっとしながらも、今見た風景をもう一度脳裏に描く。
 
 
94。
もしかしなくとも彼女は、物凄く頭がいいのではないのだろうか。
思い返せば、どの教師も彼女にテストを返却する時は穏やかな顔をしていた気がする。
勉強ができないイメージは無かったが、ここまでできるという感じも無かったので油断していた。
 
授業もあと5分で終了、というところでテストのすべての解説を終えた英語教師がくるりと生徒に向きあった。
 
「今回は初めてのテストにしては、まぁまぁできてるほうだ。一部を除いてな」
 
後半の方で先生に睨まれた気がする。黄瀬は曖昧な笑みを浮かべておいた。
 
 
 
「一部の奴には今年のインターハイに出る権利を剥奪する」
 
 
 
心臓が止まったような気がした。一呼吸置いて、どくりと大きな脈を打ち今度は逆にどっどっどと有り得ない早さで鼓動を始める。
インターハイに出れないなんて、バスケができないなんてそんな…!
死を宣告されたような、絶望的な気分になる。
そんな黄瀬の様子を見たのか、英語教師はふっと息をつくと苦笑した。
 
「と、言いたいところだが、今年は有望株が多いとの意見でな。今回の罰に関してはプリントのみにする」
 
はっと顔をあげた。先生の言ったことを、もう一度頭の中で再生する。
プリントだけ。つまり、それさえやればインターハイに出れる。
あんた神だよ、と黄瀬は若干禿げかけている英語教師の頭を何度でも撫でてやりたい気分になった。
 
「プリントは今日中に提出すること。ちょっとやそっとで終わるもんじゃねぇから、安心しろ」
 
授業後プリントを山のように渡された黄瀬は、さきほどの感動は何処へいったのやら失礼なことを考えていた。
やっぱりこいつは大魔王かもしれない、いやそれは失礼だから悪魔くらいにしておこう。

それにしても、このプリントの尋常じゃない量はどうしてくれよう。
英語23点を取った自分にとって、到底一人でできる量ではないことは確かだ。
これは誰かの手を借りなくては、と思い教室を見まわそうとして、ピンときた。
 
 
 
ピンチを、チャンスに。
 
 
 
どこのアニメだったか小説だったかで、そんな言葉を目にした。まさにこのことである。
「小夜ちゃぁ〜〜ん」と猫撫で声を出しながら、すそそそと彼女の元へ近づく。
彼女は悪い予感を察知したのか、訝しげに本から自分へと視線を移した。
えへっと効果音のつきそうな笑顔で、言葉を告げる。
 
「プリント処理するの、手伝ってほしいっス」
「やだ」
 
間髪入れず返ってきた言葉、さすがである。だがここで諦める黄瀬涼太では無かった。
椅子に座っている彼女と目線を合わせる、いや上目遣いにするために、しゃがんで若干彼女より顔の位置下にしてもう一度リトライ。
 
「小夜ちゃん頭いいっしょ」
「まぁ」
「ちょっとだけ貸してほしいんス」
「黄瀬くんのためにある頭じゃありません」
 
ぐぬぬぅと唸り声をあげる。やはり彼女は鉄壁だった。
それでもめげることなく、黄瀬は続ける。
 
「ハーゲンダッツでどうスか」
 
今日手に入れた情報を駆使する。
和菓子が好きということは甘いものは嫌いではない、ということになる。
それに加え、女子というものは総括して甘いものが好きという考えが黄瀬にはあった。
変った能力を持つ彼女も、今回は例に洩れず予想は当たったようだ。
うう、と一瞬考えるそぶりを見せる。そして遂に、
 
「…ハーゲンダッツのストロベリー、3個で手を打つ」
「交渉成立っスね!」
 
 
陥落した。
黄瀬はよっしゃあと叫び出したい気分だったが、変なことをして彼女の機嫌を損ねたら困るのでいそいそと大人しく自分の席に戻る。
それでも頬がゆるむのを抑えることはできず、6時間目の日本史の先生に「黄瀬、顔気持ち悪いぞ」とモデルにあるまじき発言をされてしまった。

 
赤点でも、君といられるなら何だっていいんだ。
 
 
 
 
 
 
どうして黄瀬くんは、こんなに私に構うんだろう。
日本史の先生に怒られる黄瀬くんを後ろで見ながら、疑問に思う。
霊が見えるということは、確かに変わったことであり興味を引くかもしれない。
それでもそれは、普通の人にとってみれば多少なりとも気持ち悪いことなのではないのだろうか。
 
黄瀬くんは女子にはもちろんのこと、例え表面上といえど人懐こい性格は男子受けもいい。
どうしてそんな人が、私にハーゲンダッツを奢ってまでも助けを求めるのだろう。
もっと別の人に頼めばいいのに。
頭がいい人は、私以外にも沢山いるだろうに。
 
HRが始まる前の少しの間の時間、疑問をぶつけてみることにする。
 
「黄瀬くん」
「なんスか!?小夜ちゃんから話しかけてくれるなんてうれし」
「他の人に頼めばいいんじゃないの」
「え?」
「だから、プリント。ハーゲンダッツなんて奢らなくても、私以外に頼めばいいじゃん」
 
さきほどの笑顔がなくなる。何か悪いこと言っただろうか。
担任が教室に入ってきたので、黄瀬くんは前を向いた。表情は見えないままだ。
そしてふと呟いた。
私にだけしか、いや下手すれば私にも聞こえないような小さな声で。
 
 

「君じゃないと駄目なんスよ」
 
 
何で?と問うことはやめた。気付かなかったことにする。
 
君の呟きにも、脳裏に浮かんだ小さな可能性も、
 
 
すべて無かったことに。


top