霊感少女Sの非的日常。 | ナノ


  




ずっと張り付けっぱなしだった笑顔を、店を出るのと同時に糸が切れたようにふっと緩める。
あれから真っすぐバイト先へ向かったへいいものの、レジは打ち間違えるわ山積みにされた本を崩すわで、店長に「今日はもう帰った方がいい」と言われいつもより二時間も早く帰路についてしまった。
気遣いは嬉しく思うものの、一人になれば今日の出来事をあれこれ考えてしまう小夜にとっては憂鬱な時間が延びたわけで。人がまばらな電車に乗り、きらきらと光る街の灯りをぼんやりと眺めながら、やはり頭の中でリピートされるのは今日のあの光景。
 
――もうちょっと、言い方ってもんがあったよなぁ…。
 
相手からの好意を"興味ない"の一言でばっさり切り捨てるのは人間としてどうかと自分でも思う。最低だと頭では分かっているのに、「好き」を向けられた瞬間に溢れだした嫌悪感はどうしようもないものだった。
明日学校でどんな顔して会えば、何て言えばいいんだろう。これからどうすればいいの。誰か、教えて。
 
黄瀬くんは優しいから、きっとどうしたって傷ついてしまう。
 
人魚のようにこのまま泡になって消えてしまえればいいのに、と叶うことのない小夜の願いを乗せながら、無情にも電車は機械的な音を発しながら走り続けた。
 
 
 
 
 
 
おかしい、と気付いたのは鍵穴に鍵を差し左に回した時だった。普通ならガチャリという重々しい音が響くのに、今日は軽くスッと動く。まさかという疑問が確信に変わったのは、ドアを開け玄関に見知らぬ靴が並んでいるのが目に入った瞬間。小夜はローファーを脱ぎ捨て急いで家の中へ入った。
 
「ちょっとおばあちゃん!何で連絡もなしに」
「あーまた俺の負け!?おばあちゃん、もっか…い……」
 
どさりと小夜の肩から鞄が落ちるのを機に、しんと部屋の中が静まり返る。彼女を見ながら固まっている黄瀬の手にはジョーカーが握られていた。唯一、小夜の祖母だけが瞳を面白そうにきらきらと輝かせ二人を見つめている。思い沈黙の中、先に口を開いたのは小夜だった。
 
「黄瀬くん、何してんの…?」
「あ、いや、えーっと、と、トランプっす…」
「いやそれは見れば分かる!うちで何してんのって聞いてんの!」
「まぁまぁ小夜、落ち着きんしゃい。涼太くんは道に迷っていたわしをここまで案内してくれたんだよ」
 
何故名前呼び、と同時に心の中で突っ込んだ二人だったが互いに口にすることはせず、小夜は黄瀬を見つめ、黄瀬はトランプを見つめた。心なしか冷や汗を流している彼にため息をひとつ落とすと、彼の肩がびくりと揺れる。それを横目に見て小夜は先ほどずり落ちていった鞄をを拾いながらぼそぼそと言う。
 
「それはどうもありがとう。お礼はまた今度するから、今日は」
「あ!わし地元のおいしいお菓子持ってきとったの忘れとった!涼太くんちょいと待っててなぁ、今お茶入れ直してくるから」
「ちょっとおばあちゃ」
「なんね小夜、お茶っぱないんけ。おばあちゃんちょいとコンビニ行ってくるわぁ」
「お茶なら冷蔵庫に」
「すまんけど涼太くん、ちょっと待ったってなぁ」
「あ、お気づかいなく…」
「おばあちゃん!」
 
小夜の制止もむなしく、マンションの鉄製のドアは独特の音を立て閉まっていった。まるでそれが死刑執行のギロチンの音のように聞こえた小夜は、茫然と玄関に立ちつくす。
頭の中ではパニック現象が起こっている小夜とは対照的に、黄瀬は落ち着いた声で「小夜ちゃん」と話しかけた。自分の名前が呼ばれた瞬間、今度は小夜がびくりと肩を揺らし彼の目を見ないようにしながらゆっくりと振り返る。
 
「な、ななな、なに…」
「ごめんね、勝手に家上がって」
「べ、別に黄瀬くんはうちのおばあちゃん案内してくれたわけだし」
「それから、今日のこと」
「っ…」
 
自分に向けられようとしていた視線がすばやく伏せられたのを感じ、黄瀬は思わず苦笑する。思っていた通りの反応だ、と。
 
「そのままでいいから、どうか聞いてほしい」
 
俺の、君への想いを。
 

 
 



小夜ちゃんのおばあちゃんに問われ自分自身にも答えを返したあの後、彼女はふっと表情を和らげて俺にこう言った。「あの子は何かに怯えている」と。それが何か、どうして怯えているのか分かったら、きっと俺にも小夜ちゃんを理解することができると。貴女はご存じなんスか?って聞いたら、ゆるりと笑ってどこか遠い目をしながら「私もあの子も同じ道を歩んだもんさ」と答えた。その表情がどこかあの子に似ていて、ああやっぱり彼女は母方似なんだなぁと思った。


人に見えないものが見えるって、どんな感じなんだろう。嬉しい?楽しい?悲しい?恐ろしい?
少なくとも小夜ちゃんは喜んでるようには見えなかった。むしろ、そんな自分を嫌ってるといっともいい。だから俺は目と閉じて想像してみたんだ。人の負の感情やもうこの世界にいない者の姿が見えてしまうって、どういう気持ちになるんだろうって。
テレビの中や漫画で見るそれらの類のものは皆一様に恐ろしくて、日常的にあんなものが見えるなんて地獄だ、そう思った。でもそれはやっぱり俺の想像の中にしかすぎなくて、本当はそうでもないのかもしれない。でも逆に、もっと恐ろしいのかもしれない。そこまで考えて、俺は悟った。
 
持ってない人が持っている人のことの気持ちを理解するなんて、到底不可能な話なんだって。
 
でも、それと同時に思ったんスよ。霊が見える人なんてそうそういない。じゃあ小夜ちゃんは一生このまま、一人で辛いことをずっと抱え込むのかなって。きっとそれは当たりでしょ?あの生霊事件の時みたいになんでも一人で考えて一人で悩んで一人で行動して、一人で傷つくんだ。本人だってそれを分かっているのかもしれない。
 
でもね、小夜ちゃん。そんなの、そんなの俺は、絶対嫌だ。
 
どう足掻いたって小夜ちゃんのように霊は見えないし気持ちだって分からない俺が君の助けになるなんて無理だと、誰しもが笑うだろう。実際無理なのかもしれない。
でも俺は、君がどこかで泣いているのを考えると一人にしたくないって思っちゃうんスよね。小夜ちゃんの隣に腰を下ろして、本当はちっぽけで頼りないその背中をさすって、話を聞いて一緒に悩んで時には泣いて、それから君にもう一度笑ってほしいって思っちゃうんスよ。
 
きっとこんなのは俺の勝手な我侭で、君はきっとそんなのいらないって言うんだろう。
でも小夜ちゃん、もうちょっとだけ待ってほしい。あの問いの答えが見つかったら、俺は君のことが理解できるかもしれない。ほんのちょっとでも、君の痛みに触れられるかもしれないんだ。可能性が1%でもあるならそれに賭けたい。諦められない、諦めたくない。だから、だからどうか、
 
 
「小夜ちゃんのこと、まだ好きでいてもいい?」
 
 
 
俺の君へのこの想いを、どうか、受け取ってください。
 
 
 
 
 
 

 
 
「黒子ぉー、何見てんだ?」
 
青い絵の具を空に零したような、すっきりとした爽やかな夏の朝。黒子は本を片手に携帯をじっと見ていた。朝から珍しいなと火神はひょいとその画面を覗き込む。
 
「?また黄瀬からかよ」
「はい」
「…なんか顔にやけてっぞ」
「そうですか?でもまぁ、」
 
よかったです、とふんわり笑いながら携帯を閉じる。かちゃりという音がいつもより爽快に聞こえた。火神はわけがわからない、という様子でほんの少しの間黒子を見ていたが、やがて「ま、いっか!」と持ち前の適当さを発動させる。
 
 
 
――『延長戦、開始っス!』
 
 
 
「ところでお前、何でこんな朝から怖そうな本読んでんだよ」
「え?」
 
火神にそう言われ自分の手元に目をやる。赤い炎を纏った白い女の人が表紙の、些か年季の入った本がそこにはあった。何故、と火神に問われ改めて自分でも思う。
 
 
「あれ、僕、こんな本何処で…」
 
 
栞はいつの間にか終わりまで数ページのところを指していた。
 
 
 
 
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