霊感少女Sの非的日常。 | ナノ


  



実際のところ、全然大丈夫じゃなかった。
 
不安がる黄瀬くんに「私もこれからバイトだから」と部活へ行くようなんとか説得し、一人になったところで本日何度目か分からないため息をつく。
 
今朝の夢にはさすがの小夜もほとほと困った。
僅かな息を吸うことでさえ不可能となり、喉が押しつぶされるまで締め付けられたあの感触をしばらく忘れることなど到底できないだろう。
何より恐ろしいのはその時の女の子の鬼のような形相と、起きた後に自分の首を鏡で見た時の衝撃。


視えるといえど生霊なんて滅多にいるものではないし、ましてや自分に降りかかった時の対処法など知るはずもない。
話に聞いたことはあるし知識としての概念はあったが、実際問題に直面してみるとそれらは驚くほど役に立たなかった。
どうすればいいか皆目見当もつかない。
ここまで強烈な悪意を感じたのは初めてのことである。
しかしここで黄瀬にそのことを告げてしまえば、彼も自分以上に動揺することは目に見えている。
だから頼るなんてことはしない。自分の手でなんとかしなければ。
一応もう一度だけ鏡で自分の首を確認する。やはりそこには、くっきりと跡が残っていた。

 
 
恋とは、恋愛とは、かくも人を狂わせるものなのか。
それなら私は一生そんなもの知らなくていい。 
 


「とりあえず、バイト行かないと」
 
 
学校は休んだが、バイト先の本屋は雇っている人数自体が少ないため一人休んだだけで大分支障が出る。
何より今は一人でいることが怖かった。
本音を言うと、黄瀬が帰った瞬間も彼の服を掴み引きとめたい衝動に駆られるのを抑えるのに必死だったのだ。
小夜はハイネックを限界まで上げ、鞄の中身を確認すると鍵を持って家を出た。
鏡は見なかった。
 
 
 
 
 
 
「おい黄瀬!何回呼んだら気付くんだテメェ!」
「えっあ、すいませんっス!」
 
飛んでくる笠松の罵声に一応は謝りつつも、黄瀬の意識は別のところにあった。
あんな光景を見た今、部活に集中しろという方が無理である。
本当はずっと彼女の傍についていたかった。知識も経験もない自分にできることなど限られているのだけど。
 
「お疲れ様っしたー!」
 
午後6時、今日の部活はやけに長くじれったく感じた。
小夜ちゃんはまだバイトだろうか、それならあの本屋に行こう。
そこで黄瀬は自分の携帯が新着メールを表す光を放っていることに気付く。
白いランプは誰だっただろう?慣れた手つきで携帯を開き、メールを開いた瞬間その手を止めた。

 
 
『あの子、涼太には必要ないよね』



一瞬、何が書いてあるのか理解できなかった。
ぞわりと毛が逆立つ。理解したその刹那呼吸をすることさえ忘れた。
たった一文。されど、それは黄瀬の心乱すのに十分であった。
彼の脳裏に浮かんだのは一人の少女。
 
 
「小夜ちゃんっ…!」
 
 
名を呼ぶと同時に駆け出す。練習後の疲労感などまったく感じなかった。
 
 
  
 
 
 
ちらりと時計を見る。針は6時30分を指していた。
いつもより雨が酷いせいだろうか、今日はいつにも増して客が少ないなとぐるりと店内を見回し思う。
というより、自分以外誰もいない。小夜の視野から見れば、の話だが。
梅雨はいつ終わるのだろうか。東北育ちの小夜には梅雨の感覚がよく分からなかった。
何だかいつもより空気が冷たい気がする。雨のせいだろうか。憂鬱だ。
 
 
ちりんちりん
 
 
店のドアが開く音がする。客が来た合図だ。
「いらっしゃいませ」と決まり文句を言おうとし入ってきた女性を見た瞬間、思わずヒュッと息を呑んでしまった。
 
 
死人のような土気色の顔、血が通っているのか疑いたくなるほど薄く紫色の唇は
彼女の虚ろな目が小夜を捉えるのと同時にゆっくりと開いた。
 
 
「あなたが小夜さん…?」 
 
 
女性が出せるのかというくらい低い声が小夜の名前を紡ぐ。
脳内が危険だという警報を鳴らしたが、彼女がドアの目の前から離れようとしないのでどうする術もなくただ黙っていた。
ここで頷いてしまえば終わりな気がする。
それでも彼女は小夜が返事をしようがしまいが関係ないかのように、もう一度口を開いた。
 
「小夜さんね…」

 
肯定でも否定でも彼女には関係ないだろう。
例え自分が今ここで偽名を名乗ったとしても、彼女は私を見逃さない。そんな確信があった。
観念し相手の行動に何時でも反応できるよう注意しながら答える。
 
 
「どちら様ですか」
 
 
声が震えないように必死に己の恐怖を滅しながら慎重に答える。
彼女には見覚えがある。というより、脳に焼き付けられたように離れない。
 
出会ったのだ、夢で。 

一歩間違えたらBADEND。応答次第ではDEADEND。
小夜は自分の背中に冷や汗が伝うのを感じた。 
 
 
「あのね、あなた邪魔なの」

 
そんな小夜の心情を知ってか知らなくてか、蝋人形のように白い顔でにっこりと笑う彼女。笑顔とは裏腹に言葉は酷く恐ろしいものである。
小夜は無意識のうちに後ずさりをした。テーブルにぶつかり積み上げられた本がばさばさと落ちた。
 
 
「涼太に貴女はいらないのよ」
 
 
まるで一人ごとのように呟かれた言葉と共に、彼女のポケットから何かが取り出される。
それを見た瞬間血の気が一気に引いた。
きらりと鈍い光を反射するそれは普通は調理に使うものであって、本屋に持ってくるものではない。
ましてや人に向けるものでは決してないのだ。
そんな世界の常識を彼女は見事に覆し、小型のナイフの刃をこちらに差し向けていた。
 
 
「お、落ちついてください。貴女は勘違いしているのでは」
「なんで、あんたなの…」
 
駄目だ話が通じない!ていうか聞いてない!
 
 
いつの間にか彼女と小夜の距離はあと5歩程度。
本格的に大声で叫び誰かに助けを請おうとした瞬間、 
 
 
「ちょっと何やってんスか!」
 
 
盛大にドアをぶちまけやってきたのは、さながら的外れな王子様。
元凶は彼にあるはずなのに、あの金色に輝く髪を見ると心の何処かが安堵した。
 
「涼太…」
 
今まで何を言っても反応しなかった彼女の顔に、僅かな歪みが生じる。
その声は祈っているようでもあり呪っているようでもあり、また縋っているようでもあった。
 
「その物騒なもの、しまって」
 
彼女に細心の注意を払いながら小夜の前に立つ。
それを見た瞬間、彼女の虚ろな目が大きく開かれる。
 
「彼女を庇うのね」
「庇うってか、小夜ちゃんは悪くない」
「そう…そうなんだ…」
 
 
黄瀬に対する返答なのかそうではないのか、無意味な言葉を繰り返す。
そして握りしめたナイフをもう一度強く握り、酷く歪な笑みを見せた。
 
「ねぇ涼太、何で?」
「何がっスか」
 
「何でその子なの?何でその子大事にするの?どうして私のことは構ってくれなかったの?大事にしてくれなかったの?どうしてその子は特別なの?私とその子何が違うの?私のどこが悪かったのか教えて、悪い所は全部直すわ。ねぇ答えて答えて、答えなさいよ!!!!」

狂った機械人形のように叫ぶ。そして最後に荒い息をしながら、涙を一筋流した。
 
 
「涼太に愛されない私なんて、いらないの」
 
 
手に持った鋭い刃物を、自分の首に押し当てる。
小夜はそれを見た瞬間、黄瀬を押しのけた。
そして手を伸ばす。
 
 
すべて無意識のうちに。
 
 
 
top