3.無意識のゼロセンチ


 逃げられれば追いかけたくなるのは分からなくも無いが、それが我が身に降り掛かる事ならば話は別。追いかけられたら逃げてしまうのは仕方がない。ましてや自分の不得手な分野なら尚更だと思う。


 柱の影になっているとはいえ、いつ誰が通るかも分からない城の中で口付けを受けているのがエフラム自身だと理解するのに時間がかかり、その間、男らしいだけでなく思っていたより整った顔立ちとか、瑠璃色の髪と同じ色彩をした睫毛は以外と長いとか、普段は凛とした眼差しが閉じられるだけで穏やかな雰囲気になるのかと、この状況を打破する事無くぼんやりと頭の中でそんな感想を浮かべていた。

 気付いた時には随分好きにさせていたのか、苦しくて呼吸がままならなくなった俺は慌てて相手を引き剥がす。

「はっ……クロ、ム……な、せ」

 盛大に吐き出した息は幾分熱を伴なっていた、その事実にますます赤く染まる頬。ふと笑われた事に気づき原因の相手を睨んだが、愉しげな視線を返されただけで、吸い込んだ瞬間を狙ってまた塞がれてしまう。

 口内を滑る舌の感触にぶるりと震える身体と息継ぎが碌に出来ない苦しさから生理的な涙が目に滲む様に内心舌打ちをし、儚い抵抗と知りながらも悔しさから再びクロムを睨み付けようと見開くと、今度は二人の眼差しが至近距離で交差する。

 改めて今の姿を見られていたのかと思うと羞恥から居たたまれなくなり、今度は自分から目を逸らしてしまった。

「俺はどちらでも構わないが、エフラム、お前は目を瞑らない方がいいのか?」

 唇はようやく離されたが、いつの間にか引き寄せられた自分の腰は未だクロムの手に捕らわれたまま、不躾な言葉を投げかけられる。

 そんな事、分かる訳が無い。初めて受けた口付けにどう対処しろというのか。それより、己と似た境遇の筈のクロムがどうして手慣れた感じで出来るのか?

 一方的に裏切られた様な勝手な思いと、まとまりなく巡る考えに答えられない俺を気にする事なく、薄く微笑んだクロムは俺の髪を優しく梳いていた。

「分からないなら、分かるまでやってみるのはどうだ?」

 随分待たされたのだからもういいだろうと、もはや遠慮と謙虚さを投げ捨てて自分の口を堪能するつもりか、この男は。


 追いかけられるからずっと逃げていたのに、一度捕まってしまったら何故か離れがたく思う自分がいた。多分、本当は分かっている。ただ認めたくないから足掻いていただけ。詰められた距離の近さに溜息を零した俺は、心の準備とやらを踏み倒したクロムをひと睨みする。

 手元に愛槍のレギンレイヴさえ有ればと自分の掌を一瞥し、無いものは仕方ないと側から見れば物騒な考えを密かに抱いたまま、近づいてくる水縹を前に今度は自身の目蓋をすっと閉じた。


 ああ、その前に一発だけ腹に拳をめり込ませるのを忘れずに。散々好きにさせているんだ、この位は安いものだろう?

17.04.09
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