※ややエロ そう日を経たずして「次」の機会はやってきた。 あの日宮田は戸口に出迎えに来ない牧野を不審がっていたが、えらく思い悩んだ様子で呻吟する姿を目にすると、何か言いたそうにしながらも追求することを諦めたようだった。 それもそのはず、立場だけで考えれば宮田は牧野の足元にも及ばない。もしそれが仕事上の問題ならば、間違っても口出しなど許されない格下の存在になるのだ。 いまいましいが仕方がない、この村で生きる以上は――― 感情を押し殺した表情にわずかに覗いた色は、牧野の全てを自在にしているようで、ある一定の境界からは一切の束縛も介入も許されない、絶対的な壁に向けられるもどかしい思いであった。 その電話は、やはり宮田がいないときに鳴った。 受話器を取る瞬間になって、電話の先が異界に通じていたら……再び訪れた不安感が、暫しその先の行動をためらわせたが、あの人は「次」と言っていた、この電話がそうに違いないと自分自身に言い聞かせ、牧野は前回に比べて格段の進歩となる三十秒で受話器を取り上げた。 「…もしもし」 『もしもし、お久しぶりです。答えは出ましたか?』 男は牧野が出ることを予測していたようで、落ち着いた声ですぐに本題に入った。 「はい、ちゃんと考えました」 『素直でいいことです。では今日の下着は何色ですか?』 「えっ今日のですか?…あの、この間のとは違うんですけど…」 『ええ、いま履いているものを教えてください』 聞き間違いかと思ったが、男は「現在履いている下着」を尋ねてきた。 牧野はてっきりこの間と同じ質問をされて自分が答える、それでこの電話は解決すると思っていた。 しかし現実は思いもよらず、せっかく悩んでひねり出した答えはあっさり割愛されて、困惑や呆けより残念な気持ちになる。 だが、牧野はすぐに気を持ちなおした。 男が提示した次の質問。今回は応えられる―――と。 「今日は白です。上と下に黒のラインが入った」 『白ですか、清純なあなたにお似合いの色ですね。黒のラインも純白を引き立たせるようでますます良いですよ』 男は恥ずかしい台詞をいとも簡単に吐いた。口説かれているような気分になって牧野は頬を赤らめる。 「そんな、清純なんて……でも私、このタイプのものがあまり好きではないんです。だってあんまりぴったりしてるから…」 『食い込む?』 「えっ……えぇ、これ丈も短いし…何だか落ち着きません」 『あなたが選んだものじゃないんですか?彼氏?』 「はい……でも嫌だって言ったのに利かなくて……」 『困った彼だ、小さな布地に窮屈に閉じ込められたあなたの体が思い浮かびますよ」 牧野は下着を買い与えられたときのことを思い出し、利かん坊の弟が困るという意味でこぼした。男はそれに同情したような声で共感を示し―――何気ない風で言った。 「…どうです、少しの間そこから解放させてあげては?』 「解放って?」 牧野はきょとんとした。 『いつも苦しい状態では体も可哀想でしょう。たまには苦しみから解放されてもいいのではないですか?少しでも外してみれば、きっと体が楽になりますよ』 本当に可哀想なものを慈しむ声だった。 そんな風に言われると、牧野は自分でもゴムの辺りが窮屈に感じられるような気がして、知らず膝が擦り合わされる。 思えば宮田は日頃から血行循環を悪くするようなものは良くないとか言っておいて、こんなものを買ってきては自分に履かせている。 その理論にあてはめるならこの下着はまるで逆行している。それならこんなものよりトランクスの方がいいのだ。 手を差し入れたズボンの隙間からボクサータイプの下着がちらりと覗いた。 終始自分の意思で考えているつもりの牧野であったが、実は無意識下で思考は男の望む方へと操作されていた。 牧野と男が出会った瞬間から影響を及ぼしている要因―――それは声であった。 少しの淀みもなく打ち出される男の声は低く澄んでいて、一点の曇りもない誠実な人柄が表れるかのような、良い声と評して嘘偽りないものであった。 電話越しだから見えはしないが、清潔で小奇麗な身なりや芯の強い瞳を想像させる。 受話口から届く低い声を脳に響かせる内に牧野は声に聞き惚れ、いつしか彼の問いには精一杯答えたいと思うようになっていた。 彼の誠実な声には自分も同様の誠実さで答えなければならないというように。 男の声には脳を痺れさせる麻薬のような効果があったのだ。 男はそのことを熟知していた。 元来、牧野がどれほど世俗に疎い人間であろうと、通常の判断さえできていれば男の言いなりになるはずがない。 だが極度の恐怖に弱りきった心は、その通常すら機能させず、男の侵入を容易に許した。 あるいは男にすがる牧野の心理には意趣返しも含まれていたのかもしれない。 何にせよ、宮田の言動は完全に裏目に出ていた。 『すみません、僕と話しているときくらい苦しみから楽になっていただきたくて……気が進まないならいいんです。でも本当に違うと思いますよ、膝まで下ろすだけでも』 「膝まで…」 『そう、膝まで。やってみませんか?そこに横になって…あるんでしょう?ベッド』 背後のベッドを見つめていた牧野は驚いた。男はまるで自分の行動を見ているかのようだ。 それはベッドの件だけにとどまらず、牧野が電話が届くだろうかと口にすれば、固定電話の裏に電話線が収納されているからそれを伸ばせば大丈夫ですよと返された。 見れば確かにそのようになっている。 電話線を伸ばし終える頃になると、誰かが来ないように鍵も掛けましょう、電気はスタンドのライトだけで十分ですよ、などと指示が次々に出されていき、牧野はそれに従うだけで精一杯になっていた。 電話の主を不審に思う余裕は全く与えられなかったということである。 のりの効いたシーツがかけられたベッドに横たわる。今日初めて使われるそこはひんやりとしていた。 『横になりましたか?』 「はい…」 『ではまず上から順番に脱いでいきましょう』 ベッドに移ってから男の声が急激に色気を増した。 薄暗い空間、自宅ではない場所ということもあり、牧野はどきりとした。 「う、上って、ズボンでいいんですよね?」 『ええ、ズボンから。まずボタンをはずして、チャックをゆっくり下ろしてください。この間みたいに両手を使っていいですよ。でも受話器は置かないでくださいね』 両手を使ってもいいが受話器を置かないとなると、受話器を持ったまま衣服を脱いでいくしかない。 自然と衣擦れの音が受話器を通して相手に牧野の様子をありありと伝えることになる。 『ズボンをずらしましょう。下着を膝まで下ろすなら、ズボンは足首辺りまで下ろさないと邪魔ですよね?』 「そ、うですね……」 シーツの下でズボンだけを下ろすのはなかなかに難しい。 ごそごそと音を立ててずり下がるシーツと下着を何とか片手で食い止めてズボンだけ、と思うのだが、どうしても一緒に下がっていってしまう。 『ズボンだけ脱ぐのは大変ですか?』 「はっはい、何か一緒にずれてしまって…」 『無理にズボンだけにしなくてもいいですよ、そのために電気は消してあるのですから大丈夫です、安心してください』 「あぁ、そうですね」 電気を消したのにはそんな意味があったのか、と牧野は心底感心した。 己の至らない部分にも深い理解を示し、相手を気遣う声かけを忘れない男はきっと素晴らしい人なのだろう、と好印象まで抱いた。 『脱げましたか?』 「はい…全部脱げました」 『どうですか?とても爽やかで良い気分でしょう』 「確かに楽ですけど…スースーして……こんなことあんまりしたことないです…」 『電話しながらってことですか?それとも裸で寝ることが?』 「りょ、両方……」 『じゃあ初めてついでにもう少し初めてのことをしてみませんか?それができたらもっと楽になれますから』 「え?」 『あなたのお腹の下に手を当ててみてください、下ですよ。いいえもっと下…あなたの気持ちがよくなるところに』 右手を腹に当て、言われた通り下腹部からさらに下へと滑らせて、牧野はようやく男の指示が不穏な方向に進んでいることに気がついた。 「あ、そんな…そこは…」 『人間は体の中心に近づけば近づくほど温かくなっているんですよ、わきの下とかお腹とか…その下も、どうです?触ってみるととても温かいでしょう?』 牧野のためらいをさえぎって発せられた言葉は卑猥な意図を覆い隠すように、淡々と理性的に現状を説明した。 それを聞き終わったとき、気にする自分の方が不埒なのだと悟った牧野は己がひどく恥ずかしくなったのだが、一足先に体は男の手中に落ちていた。 どこかおかしいと思い、拒絶を口にしたときでさえ、牧野の右手はすんなり陰部へ伸びていたのである。 触れたペ二スは静かに股の間に鎮座していて、陰毛のクッション越しにもほのかな熱を伝えた。牧野は知らずつぶやいていた。 「あったかいです…とても…」 『あなたは本当に素直で素敵な方ですね。僕も嬉しくなってきました』 男の声は少し上ずっていた。率直な牧野の言葉に興奮したようでもあった。 『手でもっと温かくしてあげましょう。ゆっくり動かして、好きなように。あなたがいつも気持ちよくなる方法でいいですよ』 手の平から感じるぬるい温度は確かに心地よい。 ここをあらわにするときは常に性的な行為を伴っていたせいか、こんな風にペ二スをさわることで安心できるなんて、思いもしなかった。 心地よさをもっと大きく確かなものにできるなら―――牧野は乗せるだけだった手を握る形に変えて、ゆっくりと扱き始めた。 「…は…ぁっ……」 『気持ちよくなってきましたか?』 「は、い……」 『僕にも教えてください、どんなふうに触っているんですか?』 「っあ、擦れると…気持ちいっ…くて…、なんか…変です、温かくしてるだけ、なのに……っ」 『変じゃないですよ、あなたの声を聞いていて僕も温かくなってきました。あなたは僕まで癒してくれる、素晴らしい方ですね』 かすかな衣擦れの音と共に受話口から響くバリトンの「素晴らしい」の部分だけが際立って牧野の耳には聞こえた。 「温かく」の意味はよく分からなかったが、自分ばかりが楽を追求している状態では申し訳ないと感じ始めていたところであった。 “楽”ではなく“快”にぼやける脳の回路は、自分の何かで彼が癒されるなら何でもいい、役に立てて嬉しいと思った。 「ほんと…っ、ですか?」 『ええ、だから遠慮しないで、手を感じるところに持っていきましょう』 「感じるところ……?」 『入れるところの上にあるでしょう、大きくなっている感じるところが…あなたが良くなっている証ですよ』 男はペニスのことを言っているのだろうと牧野は思った。 ペ二スのなかでも一際快感を生み出す先端は、牧野の手淫を受けて膨らんでいる。 受話器を顔の横においた牧野は、亀頭をくすぐる手とは反対の方で、ペ二スの刺激に膨らんだ睾丸を転がしてみた。 「あぁ!」 睾丸にペ二スに、痺れるような快感に腰が動き出す。手の内で震えるペ二スは血管を浮き立たせ、睾丸はすっかりパンパンに張っている もっと強く激しい刺激を、考えるまでもなく手は動きを速めていく。 「だ、めっ……あ……」 『強めに擦ってあげると血液が集中してとても温かくなるでしょう、もう熱いくらいかな?もしかして濡れてたりなんかもします?』 温かいどころではない。男の言うようにペニスは熱いくらいに熱をもって、先端からは大量の先走りが亀頭部分を濡らしていた。 動かす手指に伝う先走りがぬめりを全体に広げていくと、ぬるぬるとした感触が快感を膨らませてさらに雫があふれ出す。 「あ、あ、もう、だめっ、」 ぐちゅぐちゅとはっきり耳に届く水音が立ち始めた。耳に当てた受話口から相手に聞こえてしまっているのではと思うと、体中を巡る快感がいっそう強まる。後孔がひくつき、立ち上がった乳首が衣服に擦れる。 『いいですよ、もっとしごいてあげて。ビンビンでしょう?あなたが擦るからいやらしく勃起してるんですよ』 もはや男の言葉に品性などなく、牧野に自身の厭らしさを自覚させる卑猥な謗りであった。 だが駄目だと分かっていても体は男の命令を確実に遂行し、手の平は限界近いそれをきつく握りしめ、指は全体をもみ込むように射精を促し続ける。 「いや……イっ…イッちゃうっ」 『ほらイッて』 張り詰めた性器に男の声が電流のように染み渡った。 「あ、ああぁあっ!」 快感に全身が脈打ち、体の熱が一気に放散していく。 「はぁっ、はぁ、っは、はぁ、」 心臓は早鐘を打ち、手の平には熱いものが放たれている。室内にむわっと青臭いにおいが広がった。 荒い息は顔の下敷きになった受話器に惜しみなく注がれている。 『ふふ…すごく、良かったです…。また、よろしくお願いしますね……それでは』 受話器から遠く聞こえた男の声が、息切れをかみ殺しているように聞こえた。 通話が途切れた後も、牧野はしばらく動けなかった。 宮田と深い仲になってから自慰をする機会はめっきり減っていたが、男の介添えを得て迎えた絶頂は、これまでとは比べ物にならない高みへ到達していた。 全身の疲労感に猛烈な眠気がやってくる。 宮田が戻るまでまだ五時間はある、牧野はシーツが汚れるのも構わず睡魔に身を任せた。 静かに受話器が本体へと戻される。 先ほどまで受話口からはあられもない嬌声と、堪え切れない荒い息遣いが聞こえていた。 心電図の電子音だけが響く詰所で、宮田は一人机に向かっていた。 手元にあるのはカルテではなく、革の手帳。そこには何やら沢山の情報が書き込まれていた。 日付、場所、性別、推定年齢、口調…… 最後に、――家へ連絡、特定次第処置と書き添えられている。 宮田は手帳を閉じると、椅子の背もたれを軋ませて天井を見つめた。 体中の血が沸き立つのを感じる。 兄の声によるものではない、これは憎悪だ。 汚らわしく兄の体に触れた男を見届けるまで、この熱は治まることがないだろう。 宮田は指を鳴らして手の平の感覚を確かめる。鈍ることのないその感覚を今ばかりは感謝した。 ← その後 back この時テレフォンセックスへの情熱が最高潮でした。 |