HOT LINE1 | ナノ


宮田医院に当直があったら




 宮田さんは本当にいじわるだ。
 想い通じ合って関係が密になればなるほどそれが分かってきた。
 暗い夜道や廃屋、荒れ果てた墓地や神社―――
 私が不気味な場所が苦手だと知っていて、あえてそこへと連れていっては反応を見て面白がる。
 夜の病院も苦手だった。
 それが分かるや否や、自分が当直の日に病院に連れ込むなど、本気でどうかしている。

 発端は「夜勤は暇だから」と毎回電話をかけてくる宮田さんにあった。
 こちらが寝ていても起きていても、次の日が早朝から仕事でもそうでなくても構わずにかけてくるので、眠れないことにいい加減しびれを切らせて苦情を言えば「当直室なら眠れますよ」と言う。
 これは絶対罠だと思った。
 思ったのに、毎夜電話で怪談話を聞かされたら、自宅まで居られなくなってしまった。
 この歳になって怖くて眠れないなど誰に言えよう。
 そうしたらどれだけ嫌でも宮田さんの居る病院に行くしかないではないか。
 あの日嫌々足を運んだ当直室で出迎えた宮田さんの顔といったら―――!
 いま思い出しても腹が立つ。
 けれども一番腹が立っていたのは怪談話程度で眠れなくなったり、罠だと分かっているのに自ら赴くことになったり、案の定ベッドに押し倒された挙げ句、人目をはばかりながらもどかしい触れ合いを楽しむことに背徳的な喜びを感じてしまった自分自身のことなのだ。
 そして私は気づいてしまった。
 いつ電話が鳴るか、いつ看護師さんがやってくるかを気にしながら、キスをしたり宮田さんのを咥えたり、自分ばかりがさらけ出す格好も夜の病院の怖さに比べれば何てことない、むしろそういった恐怖がさらに快感を増幅させてくれるということに。
 恐怖がこんなにも自分を高めてくれるなんて、性の興奮がもたらす安堵と快感の世界に罪悪感が入り込む余地はなかった。

 しかしあるときから宮田さんは自分を一人当直室へ残してナースステーションなどで過ごすようになった。
 自分が嫌われたのではない…と思う。それ以外の変化はなかったから。
 けれど宮田さんがいないとどれだけ明るく電気を点けても自身を慰めても恐怖が消えないのだ。
 しんと静まり返った部屋と知らない匂い、天井。ここは病院なのだと思い出す。
 そうなってしまうと誰かに見られているような、何か得体の知れないものが襲ってくるような、恐れていた感覚がよみがえってくる。
 私はかすかに宮田さんの匂いが残るシーツや宮田さんの上着、私物などをかき抱いて、ベッドで震えることしかできなくなる。
 早く帰ってきて宮田さん、怖い、助けて、そうつぶやきながら脅える小動物のように主の帰りを今か今かと待ちわびる。
 そうして長い夜が終わり朝が来て、勤務を終えて当直室へ戻ってくる宮田さんの顔は、いつだって腹がたつほど格好良い顔で笑っているのだ。
 自分以外に頼るものがなくなって、会うなり抱きついて体を求める私を宮田さんは欲しているのだろう。



 煌々と明るく室内を照らす蛍光灯の光の下で、牧野はシーツにくるまって震えていた。
 不気味なほどの沈黙に支配された世界に、牧野が立てる衣擦れの音だけが聞こえている。
 突然、当直室の電話が鳴った。
 体が大きく跳ねて硬直する。
 部屋に置かれた固定電話が、電子音をひっきりなしに鳴らしている。
「…ひっ…っ…みや…たさん…」
 牧野の心臓は張り裂けんばかりの痛みを訴えた。
 この日もやはり宮田は詰所へ出向き、当直室には牧野以外の誰もいなかった。

 この電話が鳴ったのは初めてではない。見慣れた光景に聞き慣れた電子音。
 しかし宮田がいないときに鳴ることは今まで一度たりともなかった。
 おそらくこれまでは直通で宮田に連絡が行っていたのであろう。だが今日に限って電話は鳴った。
 黙っていれば詰所へと転送されるものと信じ、牧野は恐怖心をかき立てる連続音から耳を塞ぐ。
 着信は一分ほど続き、そのうち発信者は近くに応答する者がいないことを察したのか、呼び出しを止め、不快音は途絶えた。
 舞い戻った静寂に牧野がほっと胸をなでおろし、頭からかぶっていたシーツからおずおずと顔を出す。
 扉の向こうの廊下から誰かが歩く音が聞こえてくることもない。
 きっといたずら電話か、口頭で事足りる要件だったのだ、スタッフが出向いて対処するまでもないような―――。
 牧野が事務机の上の電話を見ながらそのように言い聞かせていると、再びけたたましい音が鳴った。
「ひゃっ!」
 悲鳴を上げて牧野はベッドから転げ落ちた。
 シーツに足をとられ、急に視界が白いもので覆われる。
 視覚、聴覚と奪われた牧野は一気に混乱した。手足をばたつかせてシーツの海で溺れる様は、大の大人の挙動とは思えない。
 もう嫌だ、助けを呼びに行きたい、宮田さん―――!
 まなじりに雫がにじんだ。

 牧野は自身でも脅えの原因を掴みきれずにいた。
 単に私が未熟だから、心が脆弱だから、と思い込んでいた。
 もちろん義父の死や求導師の重責も誘因としてなかった訳ではない。
 だが真に脅えの原因たるは人ならざる者の気配―――。
 なぜかこの村ではどこへ行っても漂うその者たちの気配を、牧野は感じ取っていたのだ。
 牧野はとある出来事によって、物心つく遥か以前よりそのような気配を察知する感覚を有している。
 それは人ならざる者と同様に、己も見えない力の影響を受けたことの表れであった。
 宮田も同じ現象に苦しんでいるのか、尋ねたことがある。
 しかし宮田はそこまで敏感に感じ取ることはなかった。性格的な違いもあるのかもしれない。
 だが少なくともこの現象も恐怖も牧野だけが感じているということがはっきりした。
 思えばそれ以来だ、宮田のからかうような嫌がらせが始まったのは。


 牧野は鳴りやまない電話に近づくと、一度受話器を取ってから着信を切ってしまおうと思い立った。
 だが、もしこれが本当に緊急の要請であったなら。
 村人の誰かが非常事態に陥っていて助けを求めているのだとしたら、牧野にはそれを黙って切ることはできなかった。
 気がつくと牧野はあれほど恐怖していた受話器を手に取り、自身の耳に押し当てていた。
「……もしもし……」
 ザーッという砂嵐のような音が遠くで聞こえる。風の音ともとれるその音は、牧野の小さな呼びかけを受話口の向こうで無情にかき消した。
 やはり人ではない何か、この世ではないどこかに繋がってしまったのでは……
 牧野にはそれしか考えられなかった。
 早く切らなければ自分に何か良からぬことが起きるのでは、誰かがここに近づいているのでは、不安が不安を呼び、妄想はどんどん激しさを増して牧野の全身は氷のように冷たくなる。
 そのとき、急に雑音が遠ざかって、間近で男の声が聞こえてきた。
『あー、あ、もしもし?』
「も、もしもし!」
『ああなんだ、良かった繋がってたのか。すみません、そちら宮田医院ですよね?』
「はっはい!」
 先の謎の音からは想像もできないくらい、現在地を確認する男の声は爽やかだ。
 化け物や幽霊でなくれっきとした人間の声が一気に牧野の恐怖心を打ち消し、心臓の痛みを緩和させていく。
 ホッとした牧野は嬉しさのあまり声をひっくり返らせてしまった。
『ちょっと聞きたいことがあったんでお電話したんですけど、いいですか?』
「はい、なんなりと!…あっ、でも私で分からないことでしたら先生に聞くかもしれませんが…」
 言ってから自分が医院の人間でないことを思い出した牧野は慌てたが、看護師だと思われているなら医師への連絡もおかしいことではないだろうと思い、とっさにそう付け加えた。
『ああ全然構いません。そんな大層なことじゃないんで、あなたで十分ですよ。…むしろ僕はあなたのことを知りたいんで』
「え?」
『いま―――履いている下着の色はなんですか?』
 牧野は虚を突かれた。
 一拍置いて、次に考えた。
 適切に対処しなければ、これは自分宛てではなく宮田医院宛ての電話なのだからと。
 だが牧野の適切な対処とは、この電話をかけてきた相手をどう通報してやろうかとかいうことではなく、何とあしらうべきかということでもなく、自分が履いている下着の色をどのように説明すればいいかということであった。
「あっ、あの、ちょっと難しいんですけど……」
『難しいことないでしょう、履いているんでしょう?下着。もしかして履いてないんですか?』
「履いてます!履いてますけど……何て言ったらいいのか…」
『あれ、そんな言えないような下着なんですか?Tバックですか?それとも紐パン?透けちゃって大事なところが丸見えなんですか?教えてくださいよ』
「えっと…えっと……」
 男の予想はどれも外れていた。
 そして牧野は悩むあまり言葉の後半部分をよく聞いていなかった。どのみち非常識な発言だったので良かったというべきか。
 彼はただひたすら、色の説明に困っていたのである。
 模様の入った下着にはベースとなる黒の上に赤や黄色、緑が格子状に配置されている、俗に言うチェック柄であった。
 黒というには色面積が少ないし赤と言うには他の色が多すぎる、かといって黄色や緑と言い切るのも難しい……
「ちょっと待ってください、いま考えます、何て言ったらいいんでしょう、これは……」
 牧野は受話器を持ったままズボンに手を掛け、己の下着を見下ろした。やはり一言では表し難い。
『…もういいですよ、そこまで焦らされたら知らない方が良さそうです。予想以上に楽しませてもらいましたし……今度までに答え、ちゃんと考えといてくださいよ?―――それでは』
 会話はそれで終了し、返事をする間もなく通信は一方的に打ち切られた。
 牧野は最後の最後まで混乱していた。
 しかし「次」という男の言葉を思い出すと、今度は真剣にそのことを考え始めた。
 チェック柄の表現方法はその日のうちには結論が出ず、想像以上に難解な質問に答えを見出すことに集中していた牧野は、気がつけば朝まで恐怖を忘れて過ごしていた。



back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -