虚言の結び5 | ナノ




 今になって夜分の求導師の訪問が宮田には好機に感じられてきた。
 夜は宮田の最も得意とする時間である。何も見えず誰もおらず、どんなことが起こっても不思議ではない漆黒の刻限。
 ―――この絶好の機会に求導師さまがどんな人間か、果たしてそんなに相応しいのか、よく確かめて差し上げよう、あなたの言葉を借りて言うなら御主のお導きに従って―――
 宮田はこの男を堕とすためにふさわしい手段を、この相談を持ちだした美奈への報復も含めてわずかの間に導き出していた。これより起こる出来事の全てはその理に適うものになるだろうと確信して自らも動き出す。
「それが求導師さまのご命令ならば私は従いますよ。神代と教会は絶対ですから」
「あ……いやそんな、命令だなんて」
 やさぐれたようにそう言えば牧野が遠慮をするのは分かっていた。権力の上にのさばっている癖に謙虚でいようとする、それが何より鼻につくのだが、今はそれが鍵となる。一度引いた相手に交換条件を提示することで相互扶助の関係性を印象付け―――実のところは全てこちらの算段に則っているのだが、この鈍感な求導師さまはお気づきにならないだろう。
「でしたら…今度は俺の相談にも乗っていただけませんか?先程は…見栄で心配ないなどと言いましたが、内心困り果てていたんです」
「え?」
 脆い内面をさらけ出そうとしていることをえらく勿体ぶった言い方でもって表し、更に深刻そうな様子を演出するべく視線を落として口を閉ざす。このような姿は牧野どころか成人してから他人に晒すのは初めてではないだろうか。
 想定通り、牧野は俺の告白を聞くや否や、前で組んだ手を忙しなく動かしてうろたえ始めた。その姿がまた勘にさわる。しかし相手や相談内容だのがどうあれこの人だって曲がりなりにも求導師だ、困っている村人に救いの手を差し伸べないはずがない。そのくらいのプライドはあるだろう、大人の男だしな。弱ってみせたのは一応の保険だった。
「わ、私などで宮田さんのお役に立てるのでしたら……是非聞かせていただけますか?」
「良かった…ですが、ずっとここでお話しするのも何ですね……どうです?私の家で話をするというのは」
 牧野は一も二も無く頷いた。
 この時、宮田は牧野が純粋な善意もしくは求導師の責務から申し出て、そして見事罠へ掛かりに来てくれたのだと思っていたが、実際はそのどちらでもなく、ましてや罠に掛かるなどとは対極の感情を有していた。
 牧野は宮田と同じく、わずかでも心の優位を保ちたいという一心で相手の懐に介入しようとしていたのだ。弱みを握ることで自分が救われるのではないかという穿った見解の元、敢えての決断であった。
 二人は互いを比べ合うことでしか己の価値を見出すことができず、隙あらば存在ごと飲み込まれかねない内的世界からの干渉を回避することに躍起になっていた。しかし自分という個人を生きようとすればするほど片割れの呪縛はますます囚われの糸を強くしていき、それこそが忌まわしき村の因縁であったのだが、二人に真相を知る術はなく糸は経巡りを続けていく。


 宮田宅に二人が到着したのは七時を過ぎて長針が“6”を指そうという頃だった。
「晩飯まだですよね、大したものはありませんけど…何か軽く飲みますか?」
「いいえ私は…仕事中ですし…」
 暗に自分と一線を引こうというのか、宮田は相手から見えない位置で眉根を寄せた。
「…牧野さん、もう勤務時間外ですよ、俺もあなたも。話しにくいことを腹を割って話そうというんです、俺のためにもご一緒してもらえませんか」
 振り返った宮田の顔からは悪意の欠片も見当たらなかった。こんな時間に家まで来て話を聞いてくれようとしている求導師さまに質素でもできるだけのもてなしをしようとする村人そのものであった。だが牧野にはそれがひどく居心地が悪く感じられ、このまま宮田に追従して良いものか、緊張を解いたところで足元を掬われるのではないかという懸念が躊躇させていた。
「俺も緊張しているのかもしれません、あなたと二人きりで話し合うことなどありませんでしたから」
 まさにたった今牧野が考えていたことを宮田が口にしたことは完全な偶然であったのだが、それが牧野の最後の一押しとなったことは決定的であった。

 確かに酒は潤滑材たり得た。宮田は口も滑らかになり、牧野の懸念も小さくさせてくれ、思案しなければ本来の目的を思い出せないほど打ち解けた会話が二人の間を埋めたかのようにも見えていた。しかしその水面下では着実に、禍々しいものが侵食を広げていた。それが機を見計らって顔を出す。
「私も、彼女とはもっと話ができたらと思っていまして。話し合えばお互いの誤解だと気づいて理解し合えることもあるかと思うのです」
「ええ、ええ」
「しかし会える時間が限られていて、話をする余裕がないんです。お恥ずかしながら私も…その、自分の欲求が抑えきれなくて。どうしても彼女にそれを求めてしまうのです。これ以上抑圧すると彼女に暴力を奮ってしまいそうで毎日気が狂いそうなんです。牧野さんも同じ男ですからこの辛さはお分かりになると思いますが」
「え…ええ……」
「かと言って彼女と関係を持ちながら村の他の女性となんて言語道断です。牧野さん、私はどうすればいいと思いますか?」
 話の途中から牧野は目を剥いたまますっかり動かなくなっていた。まさかそこを尋ねられるとは思いもしなかったのであろう。無論、牧野が職業上姦淫を禁止されていることは知った上での問いである。宮田はねっとりとした視線をそちらへ向けた。
「助けて下さいませんか?求導師さま」
「わ……私に…何をお望みなのです……」
「何も。ただ私が苦しい時に求導師さまのお力添えをいただければと」
 目線は外さずにゆっくりと立ち上がり、向かいに座す牧野を見下ろす形で対峙する。
「力添えですって……何を馬鹿な…」
「冗談ではありません、私には深刻な事態なのです」
 逆光の影響かそれともこちらを見たくないのか、牧野は顔をしかめ視線をそらして直視を避けている。この期に及んでなお現実から目を背けるのか、臆病な求導師よ―――。
 宮田は徐々ににじり寄り、立ち上がる機を逸した牧野は立てた膝に力を入れることもできず、両腕の力のみでもって後ろへ下がろうとしていた。しかし宮田は突然がくりと膝を着き、震える手で牧野の体にすがりついた。そして追い詰めるがごとく牧野の動きを制する言葉を発した。
「お願いします、求導師さま…どうか、どうか私を救ってください…!」
 牧野の目が驚愕に見開かれる。宮田は知る由もないことであったが、牧野は宮田の姿に自らを重ねるのではなく、まさに自分自身として見ていたのであった。母代わりの求導女にすがる己の姿を。
 この手を払うは自らを殺すに等しいことと牧野には思えた。宮田の手が膝から腰、腰から肩、そしてついには首にやって来ても、牧野は拒むことができなかった。広げられた手指が頸動脈にかかっても同じ事であった。
 もしこのまま殺されたとしても、私は私を殺せない……
 牧野は己の幻影に囚われていた。
 私が救いを訴える、私が私を責め立てる―――
 牧野は、これまでただの一回も見ることなく生きてきた己の最も無様な姿を客観視したことによって、もはや正常な思考を保つことができなくなっていた。
「私に………何ができるというのです…私には何もできません、あなたをお救いする力など毛頭ない……」
 とうとう牧野は自らの非を口にした。謙遜ではない、心から己の愚を認めたのだ。それは宮田が待ち続けた言葉であり、牧野が負けを認めた証であった。だが二十七年間堆積した宮田の怨念はこれしきの言葉で帳消しになるものでは到底なかった。むしろ復讐はここから始まるのである。
「いいえ、求導師さま。あなたはただそこにいればいい」
 首に回った手は空を切り、その下に位置する法衣の合わせ目に伸ばされる。
 信じられないとでも言いたげな牧野の目には零れおちそうなほど溜まった涙が揺れており、ゆがんだ顔は青ざめてさえいた。それでもまっすぐに宮田を見つめ、宮田もまた先ほどまでの姿が嘘のように酷薄な表情に顔色を変えはしたが、決して牧野から目を逸らさなかった。
 肩を覆う形を保っていた金具が外されると、ぱさりと求導師を守る鎧が落ちた。



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