虚言の結び4 | ナノ




 救急搬入口隣の従業員出入り口の鍵はこの時間も開いていた。院内に入ると病院独特のにおいが緊張感を煽ってくる。階段を上る際、目に入った膝が震えているような気がしたが、意識すると余計に緊張が悪化しそうだったので、牧野は来た時と同様、前だけに進むよう自らを鼓舞し続けた。
 やっとの思いで辿り着いた院長室はドアの下からわずかに灯りが漏れていて、美奈が話を通してくれているという言葉を信じて数回ノックする。すぐさま「どうぞ」という返事が聞こえたのを確認して牧野はドアを開けた。

 宮田は院長机の椅子に掛け、窓を背にして机上のパソコンのキーボードを忙しなく叩いていた。暖房の効いた室内には暑すぎるコートを脱いで、室内を一瞥する。牧野は来客用のソファに掛ければ良いのか少しだけ迷い、しかし宮田の勧めもなかったので立ったまま話をすることにした。
「どうもお仕事中に申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ求導師さまにわざわざお越しいただいてすみません。恩田から聞いていますよ、お話があるんですって?」
「ええ」
 すみませんという割には客を立たせたまま作業の手を止めることもせず、宮田が牧野を歓迎していないのは見てとれる。だがその程度に屈していては先に進むことは叶わない、牧野は表面上平然とした風を装って切り出した。
「実は先日恩田さんからご相談を受けまして……宮田さんのことが心配だということだったのです」
「私が?何がです」
「その……家に帰られてもすぐに寝てしまわれるとか」
「疲れているんです」
「そう…ですよね、お忙しいのはよく分かります…毎日村中の人たちを診察して回っているのですから…」
「それで?栄養を摂ってたくさん寝ろとでも言っていましたか、恩田は」
「い、いいえ。恩田さんはただ宮田さんのことが心配だと……」
「はあ」
 何が言いたい、宮田は的を得ない牧野の物言いに苛立ちが強まるのを感じた。

 美奈をパートナーに選んだのは他に年頃の女がいなかったからだ。年配女はとかく主導権を握りたがり、かと言って幼すぎてもこちらへの理解がまるでない、そこそこ年が近く、自己主張もしないでひたすら言うことだけを聞く人形のような存在が良かった。必要な時にだけ自分を満たし、そうでない時は黒子のように影に徹する。
 そのような都合のいい人間として美奈を選び、美奈の方も重々理解しているはずであった、それを今になってあいつは何を言いだしたんだ。
「別に死にゃあしませんよ。体のことは心配いりません」
「…そうですよね、お見受けしていて私もそのように感じます…でも恩田さんは、宮田さんが心配ないと仰るそのお気持ちまではご存じないような気がしたのです。あ、ご相談に来られた時の様子でそう思ったんですけれど……ですので、一度宮田さんの方からそのことを恩田さんにご説明なさってはいかがかと…思いまして」

 宮田は察しの良い男であった。如何なる人間と対峙する際も相手の真意を読み取る洞察力と推理力に長けていた。それは羽生蛇村の裏事情に精通する宮田家ではごく自然なことであり、逆にそれができなければ宮田として生きられないことを指していた。常に疑い真偽を探り、裏切り者は始末する。時代錯誤の暗殺業を担う者の宿命なる技能でもあったのだ。
 その宮田は、今の牧野の言葉で凡その事情を理解するに至った。
 まったく女とは勝手な生き物だ。絶対に求めないと言っていても最後は必ず見返りを欲しがるのだから。美奈も従順だからと傍に置いていたが、いよいよ自分が人形として扱われることに我慢ならなくなったのであろう。
 近頃は特に夜の“仕事”が立て込んでいたので普段以上に扱いがぞんざいになっていたのかもしれないが―――“仕事”を終えた後は何かに没頭していなければ発狂してしまいそうになるのだ。セックスは宮田にとって無心になるためのただの作業であった。
 それを少しも理解しない女共め、忌々しい。
 体を許せば図に乗って、身も心も自分に向かなければ気が済まなくなる、そうやって束縛して最後は皆あの女のように――――――

 古い記憶が昨日のことのように目の前にフラッシュバックした。暗い色の着物に身を包んで恨み事ばかりを吐く義母は、真綿で首を絞めるように日々夜々自分を苛んだ。「わるいこ」だと、「お前は自分のものだ」と。
 抵抗する術も持たない幼子の五感を封じ、己の声だけが聞こえるように自らの檻に閉じ込めた。今思えばあれは悪質な洗脳であった。そうして心に血が流れるほど深い爪痕を残して義母は死んだ。その間ずっと無関心であった義父も見て見ぬふりをし続けた兄も自分からすれば同罪、殺したいほど憎い存在に変わりはない。
 しかし義母も義父も既にこの世にはいないのだ。宮田は疲れ目を擦るふりをして目を閉じた。
 生きているのも許せないが死んで楽にさせるのも惜しかったのに。生きながら死ぬくらいの罰が必要だったのだ、あいつらには。そしてそれを実現できる人間はもう一人しかいない。
 宮田はようやくパソコンから顔を上げて、自分と瓜二つの求導師を視界の中心に据えた。



back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -