虚言の結び2 | ナノ


牧野さんがヘタレになった理由



 牧野は常に虚実の狭間で苦しんでいた。
 私は近づこうとしたんだ、でも宮田さんが私を拒絶したから―――!
 そう自らに言い聞かせていた。
 けれども弁明を繰り返せば繰り返すほど、日々の出来事の全てが現実に目を背ける己の卑怯を責め立てるように感じられていった。
 それは村人から聞かされる宮田の評判であったり、自分と宮田を比べる言葉だったり、気にさえしなければ何の苦痛でもないことが牧野には苦しかった。特に名主から教会への使者が彼であったことは決定的だった。容姿が弟との繋がりを断つことは許さないと言っているようだった。
 美奈が宮田と付き合っていると言った時、牧野は彼の意識を別に向けてくれるならあるいは自分が救われる道もあるのかもしれない、とかすかな希望を瞬間的に抱いた。だが彼女から告げられたのは、牧野の期待をあっさり裏切りそれどころか重い責務を押しつける言葉であった。期待と失望の行き来を何度繰り返しても、未練がましく愚かな期待を抱く自分にその都度牧野はひどい嫌悪感を覚え、今回も例に漏れず強烈な自己卑下に駆られた。
 しかし、牧野が自分以外の人間に対して抱く感情の原点とは、牧野が思うより遥かに深い所から汲みだされていたもので、それこそが牧野という人物の根源たる部分であった。
 今でこそ宮田は苦手意識の塊のような存在と成り果てているが、幼き牧野にとって宮田は親のように自分を救い出して守ってくれる人物としての期待を向けられる存在だった。
 私は守られなければ生きてゆけない、だから私を守ってほしい。家族とは互いを愛し慈しみ、守ってくれるものであるはずなんだ―――!
 牧野は無意識に庇護者を探し求めていた。幼少期に過剰な庇護を受けた人間、または依存せざるを得ない体験を経た者は、その庇護なしには生きることができなくなる―――牧野はその典型であった。
 本当の家族ならこうあるべき…家族なら、兄弟なら……。血縁というものへの固定概念が、拭い去れない宮田への執着と嫌悪を同時に生み出していたのである。
 その根拠が独りよがりであったとしても、牧野が救いを必要としていることは事実であった。しかしその牧野がこの村でただ一人の求導師であることはもはや皮肉でしかない。
 日々の祈りが如何に切なるものであろうとも、牧野が「この村の求導師」である限りは永遠に叶わないことなのだ。

「こんなこと、本当なら求導師さまにご相談するようなことじゃないんですが…本当にすみません」
「…いいえ、御主の慈悲は全ての人のあらゆる苦しみをお救いくださるものですから」
 感情を押し殺して次を促すと、彼女は破顔して今度は滑らかに語り始めた。美奈には牧野の言葉が了承に取れたのであろう。実際にその判断は間違ってはいなかった。
 村人たちの訴えがどれだけの苦行を強いろうとも、それを退けることはできないひっ迫した理由が牧野には存在した。
 それは決して求導師としての使命感や同情心といった清い感情ではなく、さりとて求導師の面子を保ちたいという矜恃でもなかった。あるいはそれらの感情があったとしても、それ以上に優先されるものがあったのだ。
 その理由とは他人にどう思われるか、自らの居場所を失った時そこに待つものは何であるかを考えたくない、という到底聖職者らしからぬ恐怖心であった。
 恐れから逃げ続けるためには払わなければならない代償があり、それが求導師としての使命を果たすことだったのである。
 従って牧野は己を殺し、常に相手が求める言葉を考えそれに伴う行動をするようになった。村人たちは知る由もなかったが、求導師は村人一人ひとりの手綱によって動いていたのだ。
 経典の定型句と感情を含まない貼り付いた笑みにも、人々は目の前の彼女のように安心した。望む姿を演じるのだから当然である。そこに真の幸せがあるかは定かではないが、事実村人たちは求導師によって皆救われ、導かれていた。
 元来この村の求導師とはそのような存在なのだ。先代の求導師より受け継ぎ、二十七年で牧野が身に付けたものも虚偽の仮面を被るそれであった。
 仮面は体裁を取り繕うには他の何より確かで、先達の通り決して牧野を裏切らないものとなる。だが自身も村人たちも守っていたのは求導師の偽りの部分であることまでは偽れず、通常なら聖職者の生き甲斐となるはずの人々への奉仕の度、牧野の胸中に去来していたのは「本当の自分ができることなど何もない」という諦念であった。

 相談を終えた帰り際の彼女の表情は来た時より数段晴れたように見受けられたが、反面、牧野の心は美奈から吐き出された暗雲を全て吸い込むこととなり、見送った後の体は鉛のような重さを発していた。



 それは牧野が求導師としての命を授かるきっかけとなった日であり、二度と忘れ得ぬトラウマが植え付けられた日のことである。

 帰宅した一人息子が目にしたのは、首を括り物言わぬ存在となった養父であった。
 ゆらゆらと宙に揺れる足の下、床にくず折れ傍沱の涙を流し続ける牧野に向かってするすると音もなく伸びていく複数の何かがある。元を辿れば天井からぶら下がる養父だったものに通じている。
 それらは極めて透明に近い糸であった。
 糸は静かに、そしてとても丁寧に牧野の四肢を絡め取り、首を伝って顔を這いずり回った。口を覆うほど幾重にも巻き付いては声を殺し、瞼の上から視界さえ奪い、衣服を突き破って裸の胸に侵入していき、無防備に晒された心までをも縫い留めた。
 そうして箱に収まる人形のように象られた牧野に対し、何者かが甘く囁いた。
 逃げ場などない、絶望を味わいたくないのならお前も村のものになれ。
 身も心も捧げさえすれば生かしてやる、と。
 牧野は間を置かずに首肯した。
 どうか私を捧げます、私の全てをあなたのものに―――だからどうか、お願いです、殺さないで……!

 果たして牧野は村のためだけの生き人形と化し、村の筋書き通り清貧に、健気に生きてゆくことになる。
 だが、牧野を引き込んだ養父の自殺、いや今となっては養父の存在自体が牧野を村に縛り付けるための道具の一つとして動いていたのであるが、そのことに気づく者は誰一人としていない。



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