虚言の結び3 | ナノ




 求導師とは神たる御主の代弁者。肉の身をもってこの世の使命を授けられた以上、村の人々のために尽くすことが至上命令。時には行動を持って双方をなだめ、指摘し、歩み寄りのかけ橋とならねばならない。
 それは小心の牧野にはたいへんな行為であったが、それでも村の大半の人々は“求導師さま”の言葉として崇敬してくれ、そのお陰で今日まで存えてきた。
 だが今回は―――宮田の内情に迫る話をしなければならない。牧野は反芻するように嘆いていた。

 思慮も浅く要領も悪い自分が果たしてあの宮田先生を相手に口八丁で乗り切れるのだろうか……。
 いや無理だ、あの人が私の口車に乗るはずなんかない。
 すぐに本心を見抜いて、「話すことなど何もない、どうせお偉いのはあんただ。早く命令すればいい」と言わんばかりに恨みがましいあの目を向けてくるに違いない。
 私は求導師なんてなりたくてなった訳ではない、気がつけばもう引き返せないところまで来ていたんだ。
 それなのにどうして責められなければならないんだ―――!
 そもそも宮田さんのせいではないか。
 彼が本音を口にできる男だったなら、少しでも相手を思いやる心の持ち主であったならこんなことには―――。

 牧野が他人に責任を転嫁してまで己を守ろうとするのは、無意識に身に付けた防衛本能に他ならない。
 宮田との関係に言及することは村の不文律に触れることと同義となり、ただ一人気心の知れた求導女の八尾にも相談できぬことであったからだ。
 寄る辺のない感情はその矛先を四方八方さ迷わせ、ついには宮田と付き合うことになった彼女までが恨みの対象者となっていくのを知りながら、牧野は感情を止められなかった。



 病院へと向かう牧野の足は雪とは別の影響で異様な重たさを保ち、行く手を阻もうとしていた。いま後ろを振り返れば無理やり引きずられた痕が線のように残っているのではと錯覚するほどの重さだ。夕闇の中に伸びた一人分の足跡と相まってその姿はいっそうの悲壮感を漂わせる。
 しかしたとえそれが事実であったとしても、ひとたび振り返れば二度とは前に進めない、確信に近い予感からそれだけはどうしてもはばかられ、牧野は踏みしめる雪の音に意識を集中させて黙々と歩を進めていた。


「小さい頃の話とか、学生時代の話とか、全然してくれないんです」
「そうなのですか」
「ふつう、恋人同士だったらもっと…お話しますよね?これまでどうだったとか…これからどうなりたいとか…そういうのが全然、ないんです…」
 思いつめた様子の美奈には申し訳ないが、正直なところ宮田も今の自分と同じ気持ちではないかと牧野は感じていた。
 面倒臭い、その一言に尽きる。
 話したくないことだから話さない、それだけだ。それを理解したから一緒になったのでは?と思う。
 多くの女性信徒と同じように、おそらくは美奈もこちらの内情を打ち明ければ打ち明けた分だけ自分の考えを言ってくるのだろう。それは間違ってるだのもっとこうした方がいいだの……。
 なぜこうも女性は一から十まで考えを共有したがるのか、牧野には理解不能だった。
 幼い頃より母代わりをしてくれた八尾はそのような関わりはしなかった。自分言いたい時は聞き、こちらが聞きたくない時は黙ってくれた。
 牧野はそうした、いわゆる庇護された生活しかしてこなかったために、女性というものは寄りかかる大樹のように都合の良い時に依存できる存在、との認識が無意識の内に固着していたのである。
「求導師さまは従兄弟ですし、彼にも遠慮なく言えるんじゃないかなぁって、それに求導師さまの言葉なら彼も素直に聞いてくれるんじゃないかと思って……」
「お言葉は有難いのですが、私のような者が恩田さんのご期待に添えるかどうか……」
「そんなことありません!」
 美奈は音をたてて椅子から立ち上がった。
「求導師さまお願いします、ちょっとでいいんです、彼がもうちょっと、自分のことを話してくれるように頼んでもらえませんか?」
 教会の門を叩いた時とは別人のように頭を下げる美奈からはもう頼るものはないので何とかしてほしい、とでも言いたげな頑とした雰囲気が放たれていて、牧野としても曲がりなりにも将来の家族となるかもしれない女性に対して無碍に扱うことはできず、そもそも他人に全ての主導権を握られた者が自分の意見を主張するなど不可能なことであった。


 一歩踏み出すごとに数日前の経緯を思い出し、これから未来に起こることを考えては溜め息をつく。澄んだ外気においても牧野の肺はその重圧にますます苦しくなるばかりだ。
 最後に訪問した信徒宅から宮田医院までは歩いて三十分ほどの距離が開いているが、腕にした時計は六時半を指しており、そろそろ着く頃であった。
 暫し白に支配されていた視界が開けたかと思うと、雪に照らされて仄明るい空に浮かび上がるアイボリーのコンクリートの建物が見えてきた。
 灯りが消えているあたり、外来診療の時間には間に合わなかったらしい。それでも宮田はまだ院内に留まっているに違いない。詳細は分からないが、いつも宮田が帰宅するのは七時頃と美奈から聞かされていたため、牧野は慌てることもなく高めの塀に囲まれた敷地内に足を踏み入れ、ついに一度も後ろを見ることなく目的地に到着することに成功したのである。



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