小説 | ナノ
戸惑いと高鳴り [ 50/259 ]
宛がわれた一室の部屋には、ご丁寧に布団が二組仲良く隣同士にならべてありました。
仕事が速いですね。それなら、薬草も期日までに摘めたんではないでしょうか。
などと心の中で恨み言を吐くも、状況が好転するわけではないので無駄な足掻きというやつか。
急遽お泊りへと変更になったため、彼も桜も着替えなどは持ってきていない。
着替えや歯ブラシといったものまで借りるわけで、本当に赤河童様々である。
桜を寝かしつけた後、縁側で障子にもたれながら月見酒と洒落込んでいるぬらりひょんに声を掛ける。
「急に来られるからビックリしましたよ」
「桜が、藍の匂いがしなくなったと騒ぎ出してな。胸騒ぎがしたから来たんじゃ。時に藍よ、天台はどうした?」
恐らく台所から失敬してきたであろう酒を手酌で盃に注ぎながら痛いところをついてくる。出来れば、触れて欲しくないところだ。
「……はぐれました」
「嘘じゃな。大方、あやつに言い包められて置き去りにされたか、誘導されて里に紛れ込んだかのどちらかじゃろう」
フンッと鼻で笑われ、私は適わないなと苦笑する。
「天台さんを怒らないで下さいね?」
「そりゃ無理じゃな。一歩間違えれば、藍…お前死んでたぞ。ここは、奴良組じゃねぇ。人を食らう輩もおる。そいつらから見りゃあ、あんたは上手そうな餌だ」
怖いくらいに真剣な眼差しで断言するぬらりひょんに、私は瞠目する。
彼の言いたいことも、心配する気持ちも嬉しいしありがたいと思う。
それでも、天台が取った行動も理由も痛いほど分かるのだ。推測の域にしかないが、恐らく彼は私を試している。
鴆が言っていた瑞鳥を従えるだけの器なのか。薬鴆堂を率いる時期鴆一派の頭領になるだけの器なのか。
そして、自身を預けられるだけの器なのか。
見極めたいがために、私を一人で向かわせたのだと思う。
第一の関門は、里の恐れ。第二の関門は、里の住人。最後の関門は、恐らく指定の量に当る薬草の回収。
「彼は、私を試したのだと思います。彼自身の命を預けても良い存在かどうか。ぬらりひょん様が仰る通り、一歩間違えれば彼自身の首は飛ぶでしょう。天台さんもまた命がけで私に掛けた。ならば、私はそれに応えねばなりません。そう思いませんか?」
「……ハァ、あんたと云う奴は本当にどこまでもお人よしじゃな」
脱力するぬらりひょんなど滅多に見られない貴重な一面を見て、私は目を丸くする。
「そうでもありませんよ? 比較的自分と自分の身内以外には手厳しいですから」
「そうじゃと良いんじゃがな……」
「お酒も良いですが、あまり飲みすぎないで下さいね? 私は、そろそろ寝ます。お休みなさいませ」
酌に付き合うきもない私は、適当に挨拶をして『さあ寝るか』と布団に手を掛けたところで背後から抱きしめられた。
「ぬらりひょん様?」
「……少しだけこのままで居てくれ」
震える声音と縋るような手は、私の身体を強く抱きしめる。
若干の息苦しさに眉を顰めるも嫌ではない。
「腕を、緩めて頂けますか?」
そう言うと、ほんの少しだけ腕の力が緩まり私はくるりと向きを変えた。
「ぬらりひょん様、私はどこにも行きません。ちゃんとここに居ますよ」
彼の頬を撫でぬらりひょんが私にしたように、ギュッと抱きしめ返す。
ぬらりひょんの心境は分からない。ただ、何かに怯えているような感じがした。
私は、恥ずかしいのを堪えながら胸元に彼の頭を抱え込む。
トクントクンと心臓の音が、不安に駆られたぬらりひょんの心を鎮めた。
暫く抱き合った後、私はぬらりひょんから少し離れ照れたようにはにかむ。
「桜にも…よくしてあげるんです。怖い夢を見たり、不安になったりしたときは心音を聞くと落ち着くんですよ。私に出来ることは少ないですが、そのお心が少しでも軽くなればと思ってます」
「藍……お前は、どこにも行くな。ずっとワシの傍にいろ」
息が詰まるような強い抱擁に私は言葉を失う。彼の目が、リクオと同じように男の目をしてる。
頷いてはいけない。そう思うのに、小さな子供のように縋るその眼差しに私は逆らえなかった。
「ぬらりひょん様が望むなら……私はお傍におります」
親愛なのか恋情なのか分からない。ただ、傍に居て欲しいと願う彼の心を叶えたいと思った。
持ち上げられた顎に迫る丹精な顔、キスをされると分かっていながら魔法に掛かったように拒めない。
唇を合わせるだけのものが、次第に深く濃厚なものへと変わる。
「んーっ……ママァ…」
桜の寝言で私は我に返り、ぬらりひょんの胸を押してそれ以上の行為を拒んだ。
「わ、私…もう寝ます。お休みなさいっ」
顔を合わせる勇気などなく、桜の隣に潜り込みバクバクと五月蝿い心臓を手で押えながら今更ながらに後悔した。
うっかり流されかけたのを思いとどまれて良かった。珱姫や瑞姫に顔向けできないし、リクオの前で平然とした態度を取れる自信はない。
私は、火照る顔を布団で隠しながら無理矢理意識を夢の中へと追いやった。
翌朝、いつにも増してスキシップをしたがるぬらりひょんに手を焼いたのは云うまでもない。
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