小説 | ナノ

act5 [ 53/218 ]


 偶々忍び込んだ寺に居たのは、一風変わった医女だった。少女というには年を重ねており、女というには色気がない。
 顔立ちは、悪くはないが取分け美人というほどでもない。化粧をすれば変わるかもしれないが、自分の趣味ではないなとぬらりひょんは思った。
 畏れすら通じぬ女の名は藍と云い、この寺で医術を無償で施している変わった女である。
 人も妖怪も神の眷属さえも治す彼女が、治癒神から遣わされた美しき根治姫と噂されている人物だと気付くのそう遅くはなかった。
 突然、寺を建てたかと思うと通いでやってくる藍は、どこに住んでいるのか誰も知らないという。
 謎が謎を呼び、周りが面白おかしく噂をしたら尾びれに背びれと色々広聴された噂が流れていた。
 別嬪だと思っていただけに、藍が根治姫だと知った時はガッカリしたものだ。
「……しかし、噂ってのは怖いな」
 藍の背中に懐きながらボンヤリと出会った頃を思い出していたら、彼女は何を言っているのだと首を傾げている。
「突然どうしたんですか?」
「いや、出会った後にあんたが根治姫だって知った時の衝撃を思い出してた」
「あれは、見ものでしたね。思いっきりガッカリした顔をして下さったもので、つくづく失礼な妖だと再認識しましたよ」
 クスクスと笑う藍に、ぬらりひょんは肩を小さく竦める。もっと怒っても良いようなものなのだが、彼女はぬらりひょんの態度すら笑いのネタへと変えている。
「自分のことじゃろう。もうちっと怒ったらどうじゃ」
「私の噂を聞いた方は、大抵貴方と同じような反応を示しますもの。それに、もう精神的苦痛を味わったんですから追い討ちをかけるような事しなくても良いと思うんですよ」
 そういう問題ではないだろうに、彼女は頓着しない。分け隔てなく優しいのは美徳だが、これで恋人が出来た日には相手が可哀想だ。
「あんたの恋人になる相手は、さぞ大変だろうよ」
 始終嫉妬していなければならなくなりそうだ。
「私の噂を知って私に思いを寄せるような奇特な方は居ませんよ」
 フッと藍の声に陰りが落ちる。どうしたのかと問おうとしたら、いつもの彼女に戻ってはぐらかされた。
「そういうぬらりひょんも、恋人になる人は大変そうです。その気はないくせに、相手をその気にさせるのが上手いでしょう。放っておいても女性が集まって競うだし、選り取りみどり……羨ましいわ」
「全然羨ましそうに聞こえんがなぁ」
「あら? そうですか。フフッ……そんな事ありませんよ」
「あんたに言い寄る男の一人や二人くらい居るじゃろう。顔の造形は、悪くはないんじゃから」
 ぬらりひょんの言葉に藍は、大きな目をパチパチと瞬きさせている。
 次いで、ぬらりひょんの額に手を当て熱を測っている。
「熱は無いようですね。ここに来る前に何か変なものでも食べましたか?」
 藍は、物凄く真剣な顔でぬらりひょんを診察し始めている。そんなにおかしなことを言った覚えはないのにこの状況。
「ワシは、至って正常じゃ」
「私の顔が悪くないと言っているくらいですから、幻覚でも見えているとしか思えません」
 自分の美意識をケチを付ける藍に、ぬらりひょんの顔が引きつる。
「藍は、自分が思っているほど醜女じゃねーぞ」
「……幻聴が聞こえてきました。疲れているんですね。今日は、店じまいします」
 今度は、幻聴ときたもんだ。ぬらりひょんは、ガリガリと頭を掻き溜息を吐く。
「幻聴じゃねーよ。どうして自分のことには、そう頑ななのかねぇ。それじゃあ、人生損してるってもんだろう」
「生まれてこのかた、そのような事を言われたのは初めてですから」
 キッパリと言い切った彼女の唇が、小さく弧を描き震えているのに気づくことはなかった。
「もっと自分に自信を持て!」
「持てと言われても、容姿を変えることなんて出来ません」
 話は終わりとばかりに打ち切ろうとしている藍をぬらりひょんは良いことを思いついたと悪戯めいた笑みを浮かべる。
「よし、ワシが責任持って自信を付けさせてやろう」
「はぁ!? キャアァツ…ちょっと、何するんですか! こら、下ろしなさい」
 ぬらりひょんは、藍を俵担ぎにして立ち上がるとヒョイっと屋根の上に上がった。
 ジタバタと暴れていた身体が、急に大人しくなる。
「どうした?」
「ど、した…も、ありませんっ! 危ないじゃないですか!! 今すぐ下ろしなさい」
 涙声で怒鳴られ、流石にやり過ぎたかと彼女を俵担ぎから姫抱っこへと変えるとギューッと首にしがみ付いてきた。
 初めてみる女らしい仕草に、ぬらりひょんはオッ!と目を輝かす。
「い、い、いつまで、そこ…に、居るんです。はや、く下ろし…キャアアアッ」
 藍の反応が面白くて、ヒョイヒョイと屋根から屋根へ飛び移る。甲高い悲鳴が耳元で上がり、顔を顰めたがそれは一度きりの事で藍の身体が急に重くなった。
 どうしたものかと顔を覗きこむと涙を流しながら気絶している。
「やべぇ……やっちまった」
 妖怪相手でも臆することの無い彼女の見せた弱点に、ぬらりひょんは悪いと言いながらも嬉しそうに笑みを浮かべている。
 彼に灯った感情に気付くのは、そう遠くない未来のこと。

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