つみをしったよるのはなし

 存在そのものが愛おしい、なんて。こんな感情を自分が抱くとは、前は考えてもみなかった。
 愛という言葉は知っていたけれど、これまでに聞いたそれはとても薄っぺらだったし、くだらない感情論だと一笑に付していた。そんな自分が、その言葉を、言う側になるだなんて、夢にも思わなかった。

 だからだろうか。
 たびたび、この感情は手に余る。予想外に動き回って、僕を振り回す。

 共に居ることが、こんなにたのしいものだとは。
 向けられる笑顔が、あんなにまぶしいものだとは。
 離れることが、こんなにくるしいものだとは。
 嫌われることが、こんなにおそろしいものだとは。

 知らなかったのだ。

 自分が、ひどくキタナイものだということも。


 彼の体温は、あたたかくて、やさしくて、それを他人にも分けてやるのはとても癪だと常々思ってはいた。
 けれどこのとき、ふと、普段は考えもしなかった案が頭のなかに降って湧く。

 ――ころしてしまえば、

 悍ましい考えだった。彼を、彼のすべてを、奪ってしまえば――あの愛おしい存在を、ずっと、僕の心の内だけに閉じ込めてしまえるのでは、と。
 甘い甘い誘惑だと思った。僕以外のだれも、彼の最期の姿を、言葉を、知らない。そんなのって、なんて素晴らしい独占だろうか、と。
 彼のあの温もり。それを失わせる術も、それが失われてゆく過程も、そしてそれが失われたその骸すらも。僕だけが目にする。僕だけが、知っている。
 なんて、なんて素晴らしい――

 そこまで考えて、ふと思考がとまる。

 …そうか、殺してしまったら。
 あのあたたかさは、失われてしまうのか。
 あのあたたかな手は、二度と動かないのか。
 笑顔も、怒った顔も、泣き顔も、どんな表情だろうと、もう、見られないのか。

 ぞっとした。

 殺してしまったら、もう何も帰らない。なくなった命は、取り戻せやしない。
 知っている。知っていた、筈だ。
 けれど、それは酷く、ひどく、あまりにも、堪え難いものだと。

 そして、気づいた。
 過去に、僕が奪ったものの、重さ――

 ぼろ、と涙がこぼれた。

 ――嗚呼、ああ、なんて、
     なんて、

  とりかえしのつかない、ことを


 やむを得なかったときもあった。けれど子供みたいに無邪気に奪ったことだって、あった。今のように、幼稚な独占欲であったり、すこし苛立っていたからであったり。
 なんの罪悪感も抱いて来なかった、けれど。

 彼らは、……否、彼らも。
 彼らも、きっと、この腕の中の存在と、同じだけの価値を持っていたかも知れないのだ。誰かにとって、あるいは彼ら自身にとって。何者にも変え難い、失い難いものであったかも知れないのだ。
 それは、すくなくとも。

 僕ごときが、気まぐれに奪って良いものではなかった筈で。


 涙がとまらなかった。今更、誰に詫びればいいのかもわからない。
 そして、咎に塗れたこの手が、彼に触れる資格など、ないのかも知れないと、気付いてしまった。



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愛を知って、恋をして、罪を識ったばけもののお話。
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