煙にとけた好奇心

 ゆるりと紫煙を吐きながら、歩は考えを巡らせる。
 煙草という、健康には害しかもたらさないような嗜好品を嗜んでいることに理由があるかといえば、否だ。強いて言うなら、主人と決めた人物への憧れと、興味本意で手を出した挙げ句の惰性だろう。
 では、銘柄にはなにか特別な意味でもあるのかと問われても、やはり答えは否だ。一般的には女性物に分類されるものではあるが、何となくこれが一番好みに合ったと、それだけの理由だ。甘すぎず苦すぎず、ただニコチンを摂取してリラックスするという目的にちょうどよかった。
 ただそれだけであり、そもそも煙草を吸うのも頻繁では無い。すこし頭を冷やしたいときなどに嗜んでいる程度だ。

 ――さて、ここからが本題だ。
 ……硝子越しに、じっと視線を投げかけてくる恋人には、何と言えば早々に話題を切り替えられるのだろうか。

 別段、とくに煙草についての話をしたくないというわけではない。歩が懸念しているのは、そこから、『今』煙草を吸っている、その理由について飛び火することだ。
 恋人にはあまり、怒っているときや苛立っているときのように、心の狭さを表すような場面を見せることはしたくない、と。それだけの小さなプライドからのエゴではあるのだが。

 等と歩が現実逃避を兼ねた現状の分析を重ねていると、キィ、と硝子戸の開く音がした。
 観念して振り向けば、先程から熱烈な視線を送ってきていた彼女が身震いをしたところだった。相変わらずの薄着だ。風通しの良いバルコニーに出て来れば、寒いであろうことは想像に難くない。
「…どうしたの、ククルちゃん」
 にこりと笑み、我ながら白々しい問いかけを投げる。だがそもそも彼女がこちらをいくら見ていたからと言って、自分が持っている白く細い煙を吐き出し続ける存在に興味を持っている確信は無い。もしかすると単に自分に用があって、けれど外に居るからと躊躇っていたのかもしれない。それならば持っている物は早々に揉み消して、一言謝りながら中へ戻れば良いだけのことだ。
「…あゆむ、たばこ…すうんだねぇ?」
 淡い希望は早々に叩き折られたわけだが。
 ことりと首を傾げた彼女に、歩は曖昧な笑みをもって答える。たまにね、と言いながら一度視線を注がれ続けているそれを歯で軽く噛むようにしてくわえ、自分の着ていたスーツのジャケットを脱いで彼女の肩に羽織らせた。
「…さむくないのぅ?」
「…こっちの台詞だよ?」
 今度は反対側に傾げられた頭を軽く撫で、苦笑をかえす。
「それで、どうしたの?」
 まさか、吸うんだね、と見ればわかることだけを聞きに来たわけではないだろう。まあ懸念している方向に話が流れた場合は上手くはぐらかしてしまおうと思いなおした歩は、もう一度同じ質問をしてみた。
「…わたしも…すってみたいなぁ、って」
 じぃ、と見つめてくる瞳は、普段と変わらず感情が読みづらい。けれどどうやら言っていることが本気らしいことだけは伺えた。
「……だめだよ、」
「なんでよぅ」
 間髪入れずにムッとした様子で問い返してくる恋人に、歩は内心、懸念していたことの次くらいには面倒なことになったような気すらしていた。
「ククルちゃん、あんまり体強くないでしょ。普段吸っても居ないんだし、良くないよ」
 小さな子供に言い聞かせるような声音で宥めると、紅々縷はあからさまに不満気な顔をしてみせた。言いたいことは察せる。「あゆむはすってるのに」だろう。まあ実際理不尽だよねえと同意してやりたいのはやまやまだが、彼女に吸わせたくないのも事実なのだから仕方ない。
「…ずるい」
 むっつりと曲げられた唇に、苦笑以外をかえす正解はあるのだろうか。困ったなあ、と風向きにあわせてタバコを持ち替えながら、打開策を思案する。
「どうして吸ってみたいの?」
 無いだろうが、口寂しいからとかそんな理由だったら菓子でも何でも与えてやれば良いのだが。
 紅々縷は数秒沈黙し、ぱちぱちと緩くまばたきをしてから視線を歩に戻した。
「…あゆむが、すってるから、かなぁ?」
 疑問形でいわれても困るけど、と思いつつ、それなりの付き合いなのでなんとなくは察しがつく。
「おいしくないし、興味本意で吸ってもたいしたものじゃないと思うよ。」
「でも、すってみたい」
 そっと宥めてみても食い下がるまっすぐな視線に、好奇心が旺盛なのは良くも悪くもって感じだなぁ…などと逃避に走る思考を縛り付けながら、仕方ないかとため息を吐く。
「じゃあ、味見だけ、ね。慣れないと吸っても噎せちゃうだろうし。」
 そう言って、歩は紅々縷の頬に片手を添え、煙を口に含む。
 そして、きょとんとゆるく首を傾げる紅々縷に、そのままくちづけた。

「――、どう?」
 離れた唇から白い煙が霧散していくのを見ながら、歩が問う。紅々縷はひとこと、
「…にがい」
とだけ言って顔をしかめた。


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