1年

ふと、名前を呼ばれた気がして振り返った。
けれどそこにはすやすやと寝息を立てている男が一人いるだけで、首を傾げてから、ああ、また寝言か、と思い当たる。
顔を戻して作業を再開するも、やっていることは単純作業だ。
ベッドに寄りかかって、膝に抱えたパソコンに黙々と数値を打ち込みながら、眠気に負けまいと何かを考えようとして、いつの間にか、昔を思い出していた。

両親が死んだのは小学校低学年の頃。
引き取ってくれた祖父母に迷惑をかけまいと中学からバイトをしつつ、高校で自立。
…あまり思い出したくないから高校時代辺りは割愛。
高卒で一度就職、…それからいろいろあって、仕事辞めて大学行って、教師になった。
母校でもある今の職場に来たのが、何年前だったか…うろ覚えだから割愛。

……そうして、いま後ろにいるあいつ――緑川と、会ったのが、

「…空稀さん?」
後ろからかかった声に、はっと我に返る。
振り返ると、先ほど見たときは眠りこけていた緑川が、起き上がって目を擦っていた。
「…起きたのか、」
「…むしろなんでまだ起きてるんですか、」
時計を見て、少しだけ怒ったような、拗ねたような声でそう問われて、一瞬言葉に詰まる。
ちらと画面を見れば少ししか進んでいない。どうやら記憶を掘り起こすほうに集中してしまったようだ……なんて言えば呆れた顔をされるのは必至で。
「…思ったより量が多かったんだよ、もうすぐ終わる。」
「ダウト。」
つい口からこぼれた嘘は、即座に見破られてしまった。
なんとなく納得がいかずに睨みつけてみても、効果がないのはわかりきっていて。
「……なんでだよ、」
「なんで、というか…僕が寝る前にみた画面と、今の画面と、残りの書類の量を照らし合わせた結果ですけど。その調子じゃ朝までかかりますよ?」
ムッとしたまま問いかければ、緑川はつらつらと俺の言い訳をふさいでしまう。
言い返す言葉を探してみるが、どうにも頭が働かない。案外と気付かないうちに、睡魔はすぐそこまで迫っていたようだ。
「…眠いんじゃないですか、空稀さん。急ぎのものでないなら、もう今日は寝ましょう?」
思考を読んだような言葉に、ぎくりと少しだけ反応してしまう。
あの緑川がそれを見逃すはずもなく、やっぱり、という呟きとほぼ同時に、伸びた腕がパソコンを膝から取り上げた。
あ、なんて俺が間抜けな声をあげている間に、緑川はさっさと電源を落としていて、数瞬後にはシャットダウン時のメロディが聞こえてくる。
「…何すんだ、まだ終わってないのに。」
じと目で睨みつけるが、気にも留めずにパソコンを閉じ、横にある棚の上に置いた緑川は、流れるような動作で俺の腕をとった。
「終わってなくても、今日はもう寝ましょうって言いましたよ、さっき。」
ぐい、と引き上げられて、至近距離でニコリと笑いかけられる。一瞬跳ねた心臓の音には気付かないフリをして、「後で切羽詰まったらお前のせいだからな、」と吐き捨てておいた。

いつからだっただろうか。
こいつが傍にいるのが当たり前になって。
家にいることすら当たり前になって、――同じベッドで寝るのが当たり前になったのは。

……思い起こそうとしたけれど、結局、記憶を探り当てるよりも先に、眠気に負けてしまっていた。


_
- 8 -
_
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -