「あのチビは調子にのりすぎた…いつか私が然るべき報いを…」
「…まさかリヴァイ兵長のことを言ってるのか?」
ミカサが恐ろしい事を言っていた。
信じられないが、それはまさか兵長の事なのか。
いくらミカサと言えども、あの兵長を相手に…駄目だどうなるか想像すら出来ない!
「二人とも…!!」
アルミンの悲鳴のような声に、慌てて振り返る。まさかリヴァイ兵士長が──と背筋が凍るが、そこにはまた違った恐怖が存在していた。
エルヴィン団長の傍らにいつも無言で佇んでいる、ナナシ分隊長だ。
まだその機会は訪れていないが、リヴァイ兵長がどうしても旧本部から離れなければならない用事が出来た時、代わりに監視にやってくる事になっているのがナナシ分隊長だった。
人類最強と呼ばれるリヴァイ兵長とも実力に差はないらしい。
まだ数える程しか顔を合わせた事がなく、あの地下室でもナナシ分隊長は終始無言のままだった。
離れた位置からオレ達の様子をただ眺めていただけで、エルヴィン団長からの紹介でようやく目が合ったくらいだ。
兵長は兵長で読めないが、ナナシ分隊長もその比ではない。なにごとにも興味がわかない、とばかりに一切の表情が動く事はなく、またその声すら聞いた事がなかった。
その分隊長が、すぐ後ろに立っていた。
無言のまま見下ろされている。
ミカサが交戦の姿勢をみせるのを視界の隅で捉えながら、緊張にゴクリと唾を飲み込んだ。
この状況で彼が取る行動としては、無視するか、無言のまま斬りかかられるか。
そのどちらかだと思っていた。
それが、どうやらどちらでもない。
どうなるんだ?
頬に汗が流れるのを感じながら、動く事も出来ずに硬直する。
ミカサもアルミンも同様のようだった。
そんなオレたち三人を順に見渡し、ナナシ分隊長が口を開く。
「あのチビ…とは、リヴァイの事か?」
初めて聞く彼の声は、落ち着いた、静かな声音だった。
やはりそこから感情は読み取れない。
「ち、違うんです!!兵士長の事を悪く言うつもりではなく…!!」
バッ、と割って入ったアルミンが頭を下げる。
その姿がいつかの光景と重なる。
アルミンが悪いわけでは決してないのに、いつもオレたちを庇って一番に動いてくれていた。
今回も、誰よりも早く行動してくれたのがアルミンだ。
「アッカーマン、本当か?」
そんなアルミンを無視し、ミカサへと視線が流される。
ちらりとアルミンを一瞥したミカサが、ぐっと拳を握り締めるのが見えた。
「いえ…リヴァイ兵士長の事です…」
「おいミカサ!?」
「私が言っていただけで…この二人は関係ありません」
思わず声をあげてしまった。信じられない思いでミカサを見るが、こちらに答えようとする様子はない。
どうすれば、と焦りながらアルミンと顔を見合せた時に、さらに信じられない事が起こった。
ナナシ分隊長が、吹き出したのだ。
肩を震わせ、声を噛み殺している。
これにはさすがのミカサも目を見開いていた。
「そうか……くく…ッ、チビだなんて俺でも言ったことがない」
「…………」
「あのリヴァイを…」
涙目である。
手のひらで口元を覆い隠し、ナナシ分隊長が震えていた。
あまりの事に固まる他ない。
なんだかものすごい状況になってしまった。
オレ達は今、とんでもないものを目にしているのではないだろうか。
「…イェーガー、もう傷は大丈夫か?」
「え……あ、はい!!」
なんとか笑いをおさめたらしい分隊長に話を振られ、慌てて姿勢を正す。
初めて呼ばれた。
そんな感動と、今自分は気遣われたのか、という驚きで思考が停止しかけた時、思いがけない優しさを宿す瞳と目があった。
「それは良かった」
「………ありがとう、ございます」
何に対する礼なのか。
自分でもよく分からないまま口にする。
目があったのはほんの一瞬だけで、今はもうその視線はミカサへ向けられていた。
「もうあんな演出は起こらない。心配しなくてもいい」
「……!」
ミカサが何かを答える間もおかず、ナナシ分隊長が踵を返す。
去り際にアルミンの頭に優しく触れ、あとは無言でそのまま行ってしまった。
「………」
「………」
「…………いい人、だったな…」
アルミンは呆然と撫でられた頭に手を伸ばしているし、ミカサは何とも言えないような困惑した表情を浮かべている。
オレはどうなんだろうか。
わからない。
だが、よく知らないままに、誤解してしまっていたのかもしれない。
今度思いきって話しかけてみようか、なんて事を考えながら、ミカサとアルミンが復活するのを待つことにした。
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