マルコ視点
ダンッ!!
と大きな音を立てて、ジャンが床へと倒される。
いつもの殴り合いではなかった。
流れるような動作と手順。エレンが仕掛けた技に綺麗にひっくり返ったジャンは背中を強打したようだったけれど、すぐに身を起こしている。
そこからまた、言い合いが始まった。
珍しい事ではない。
けれど、今日は少し音が大きすぎたように思う。
そんな予感が的中した。
ガチャ、と食堂の扉が開かれナナシ教官が入ってきたのだ。
一気に室内から雑音が消え去った。
「今しがた大きな音が聞こえたが……なにがあった?」
コツ…コツ…
とゆったりとした足取りが、威圧感を増していく。
息を飲む僕たちと違い、すっと挙手をしたのはミカサだった。
「サシャが放屁した音です」
「えっ!?」
あぁ……
エレンを守るためにミカサはサシャを犠牲にしたらしい。
愕然とした表情で固まるサシャへ、教官が視線を向ける。とんでもない濡れ衣だ。けれど、指摘できる者もいない。
どうなるんだろうか。誰もが固唾を飲んで展開を見守っていると、無言のままじっとサシャに視線を留めていたナナシ教官が、微かに息を吐き出した。
「…………ボット」
急に名を呼ばれ、ハッと背筋を正す。
「なにがあった?」
「はっ、はい!エレンとジャンが組み合いをしていました!」
「……そうか」
「…………」
見てる。
ミカサがものすごく僕を見ている。
無理だよナナシ教官に嘘なんて付けないよ!
逸らした視線の先で、サシャがぶわぁっと涙を浮かべていた。
マルコォォォ!!と感極まったような声が響く。
い、今は静かにした方がいいよ…!
「イェーガー、キルシュタイン。騒ぐなら外へ出ろ。食事の邪魔はするな」
「え!?」
「はい!?」
「なんだ?」
「い、いえ……!なんでもありません……!!申し訳ありませんでした!」
「おい、ジャン……!?」
「お前も謝っとけ……!」
後半は小声でのジャンとエレンのやりとりだ。
罰則が言い渡されると思っていたのは僕だけではなかったようで、エレンに至ってはまだ混乱しているようだった。
理解したのはジャンの方が早い。エレンの頭を掴むと、自分と同じように無理矢理頭を下げさせている。
良かった……
本当に良かった……!
ミカサからの圧力が消えている。僕も助かったようだ。
心からの安堵を感じていると、ふと、空気の揺れる気配がした。
小さく、誰かが笑ったような。
なんとなく、視線を巡らせた先で、その意外すぎる光景を目撃する。
ナナシ教官だ。
普段は冷たく厳しい印象しか感じさせないその姿が、一変していた。
上がった口角を隠すように添えられた手のひら。
俯き、微かに震えているのは気のせいではないだろう。
静かに笑いを堪えている教官が、そこにいた。
……まさか、ミカサの堂々たる放屁宣言がツボに入ってしまっていたのだろうか。
それともサシャの愕然とした反応にだろうか。
そう言えば名前を呼ばれる直前に妙な間があった。
皆は騒ぐエレンとジャンしか見ていない。
ナナシ教官のその様子に気付いたのは僕とアルミン、あとは数人だけのようだった。
見てはいけないものを見てしまった気がする。
唖然としている内に、ドン、という衝撃に押し潰される。体当たりのように僕に抱き付いてきたのは、涙を浮かべたままのサシャだった。
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