ナナシは名前を覚えない。
例え成績上位者であったとしても。
けれど決して、記憶力が悪い訳ではない。顔は覚えているのだから。

要は覚える気がないんだ。
そこまでの興味を持っていない。
余程親しくならない限り、会話をする事自体がない。
興味を持つ事を怖れている──と言ってはナナシに悪いだろうか。
私たちは、失いすぎた。
あまりにも多くの者を。
ナナシの場合はそれがわかりやすく現れただけ。まぁ、私もわかりやすいんだろうけれど。

だから、新兵の事をフルネームで記憶するなんて、異例中の異例だった。
エレン、ミカサ、アルミン。
あの三人と、104期生の子たち。
ナナシが彼らを呼んで、何かを話し込んでいるだけで視線を集める事がある。

エレンだけなら特殊な例として考える事も出来たのだろうけれど、そうではなかった。
親しげな様子が、更にその雰囲気を加速させている。

なにが言いたいのかと言えば、今までの状態だって結構な騒ぎを生んでいたという事だった。
それが今日、さらにとんでもない事になったのだ。
本人に自覚があるのかどうなのか。こだわりがない所がナナシである所以なのかもしれない。

うん…そうだね。
何かを頼んで断る程の冷血漢ではない。
話しかければ無視もしないだろう。
気圧されさえしなければ、分隊長の中で、ある意味一番親しみやすいのはナナシなのかもしれない。


「エレン」


また呼んだ。
あえて助け船は出していないのだけれど、そろそろエレンが限界かもしれない。

今日、いきなり。
イェーガーからエレンへと、ナナシの呼び方が変わっていたのだ。
前触れのないそれに、エレンは最初気付かずに流しかけたものの、すぐに「はい…!?」と驚きの声を上げていた。
ノリツッコミであればとてもいいタイミングだ。
ピタッと動きを止めた様は見事だった。

正直に言えば、私も「はい…!?」だったし、近くにいるペトラたちも「はい…!?」だっただろう。
何とか声には出さずに済んだだけで。
ペトラの近くにいたオルオは、羨ましそうにギリギリと歯を食いしばっている。


「どうした?」

「いえ、あの…」


ほら、エレンが困ってる。
嬉しいんだろうけれど、戸惑いの方が大きいらしい。落ち着かない様子でそわそわとしている。
そんな姿は子供らしさが戻っているようだった。まだ15だもんね。
悪い大人に引っ掛かっているような状況だけれども、ナナシはきっと良い方の大人だから大丈夫だろう。
いや、これ贔屓じゃなくてさ。


「ナナシ、いきなりどうして名前呼びになったんだい?」


エレンが一番聞きたいであろう事を言ってみた。
ハンジさん…!!とでも言いたげなキラッキラとした視線を感じて、グッと親指を立てておく。
もっと頼ってくれてもいいんだぜ!お礼に実験をさせてくれるなら尚更ね!

私の問いに、ナナシが表情を動かさずにエレンを見た。


「……駄目だったか?」

「いえ!そんな事は全く!」

「なら良かった」


即答するエレンにそう言って、笑ったりするものだから。
欲しかった答えは何も聞けていないというのに、皆して言葉を失ってしまったのだった。

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