それは初めての言葉


(時間軸:一年前)


ピンク色の花はすでに散り終わり、日に日に温度と湿気が上昇してきた季節の変わり目。体調が崩れやすい時期だ。そんな中、通年なら本当に体調を崩してベッドに仰向けになっていたはずのルイは、今は肩で息をしながら体育館の隅に座り込んでいた。
冷えたタオルを顔にかぶせ、視界を遮った。聴覚により入ってくる、ボールが弾む音はどこか遠いところから聞こえてるようだった。

(……もう……やだ…)

自分と他2名が抜けた5人のバスケ部員達の声をうっすらとした意識の中で聞き、ルイはあふれそうになる涙を堪えた。

幼なじみに、太陽に誘われ、大斗も誘って無理矢理入れるしオレも入るから。と太陽に言われた。唯一信頼できる二人が居るならルイに断る理由もなく、2年生になってから入部したバスケ部。
しかしなんということだろうか、二人が居るからという理由で入ったのに、大斗は部活に顔も出さず喧嘩に行く上、太陽はそれを止めに向かい二人が顔を出すことは滅多に無かった。

(…俺、も……止めにいけたら…)

「ルイは先に部活やっててくれ!」と太陽に言われたらそうせざるおえなくて。まず、喧嘩を止めに行くのに貧弱な自分では足手まといにしかならないし、確実に大斗の方に殴られるに決まっている。「邪魔だからついてくんな」とは中学からよく言われていた。
この状態では部活に籍をおいている意味もなく、体力も実力もないルイにとってはバスケ三昧の日々はただ苦痛でしかなかった。しかし「辞める」と年下である他の部員や太陽にも言う勇気も出ず、ずるずると貧血なりかけの毎日を過ごしてもう1ヶ月が経とうとしていた。

(なんで太陽……俺…誘ったんだろ……)

人望のある彼なら、他にも適した人を選べただろうに。ここ数日ルイはその疑問に悩まされていた。太陽なら自分が他人とコミュニケーションをとることが世界でもっとも苦手としていることは理解していたはずなのに。部活なんて空間は一番居にくい場所である。


「紅石殿」

ふっとかかった影と凛とした声に、ルイの肩が跳ね上がった。
ぎりぎり顔に乗せていたタオルは落ちなかったが、この特徴的な呼び方と響く声の持ち主はたった一人しか思いつかない。

「し…ん、かい…さん……」
「む、名は呼んでくれるようにはなったか」

随分な進歩だ。と満足気に、腕を組んでうなずいているのはタオル越しだが、影の形で分かった。名前、呼んだことなかったっけとルイの頭に疑問が浮かんだが、そもそも会話をしたことすら片手で数えるほどしか覚えがないのだから、呼んでいなくてもおかしくない。
何を言いにきたのだろうか。すぐに休む自分に、文句でも言いにきたのか。罵倒の声ばかり頭に浮かび、再びルイの目尻に涙が浮かんだ。

「紅石殿、立てるか?」
「……え……」
「立てるか、と聞いているのだが」

表情も何も見えず、淡々とした口調は余計にルイの恐怖を煽った。慌てて顔のタオルをとり、立ち上がった。
会話をしていたのだから当たり前だが、ルイの目の前には汗まみれになった体操着を着、直毛の長い黒髪を一つに束ねた珠佳が立っていた。髪と同じ黒い瞳は一つもぶれる様子もなく、ルイを見上げる。
その視線を遮ろうと必死にルイはうつむき、長い前髪をいじった。

「ふむ、先ほどより幾分か回復したようだな。
ところで紅石殿、寛欄殿と金剛殿を知らぬか」
「…あ、……えっと……」
「喧嘩か?」
「………」

正解だったので、ルイは無言のまま首を頷かせた。この一ヶ月大斗と太陽がいない理由はそれ一つなので正解を出して当たり前、なのかもしれない。珠佳は顎に手をあて、ふーむ、と少し唸る。
年下の、しかも女子なのに、目の前にいるだけで感じる珠佳の威圧感はルイは少し苦手だった。早く、向こうに行ってくれればいいのに、と前髪をいじりながら心の中で祈っていた。しかしそれが珠佳に伝わるわけもなく、足を動かそうとする様子はまったくなかった。

「紅石殿、金剛殿は力が強い者の言うことは聞くだろうか?」
「………た、たぶ……ん…」
「……ふむ、翠に喝をいれさせるか…金剛殿のような者は、私では役不足であろうしな」
「……?」

ルイは珠佳の台詞に首をかしげた。何故、翠の名前が出たのだろうか。1ヶ月間部活で見かた彼女の印象は、決して大斗に対抗できるような人ではなかった。寧ろ、あの金色の目が一つ睨んだだけで震え上がってしまうような、普通の女子であるのだ。

紅い前髪越しに少し遠くにいるその人物を見てみると、偶然にも目が合い丁寧にお辞儀された。ルイはそれにお辞儀を返すわけでもなく、慌ててうつむき、再び前髪をいじる。

(やっ…ぱり……普通の人、だよなぁ……)

「どうした、紅石殿」
「ぅ、え!?っな、……なんで、も…」
「なんだ、大きな声も出せるではないか」
「…え……い、や……」
「まあ今はそれはいい。ところでこれを預かっていてもらいたいのだが」
「…?」

珠佳の手には長方形の紙が数枚重なっている物があった。前に差し出し、そのまま動かないところをみるとルイが受け取るまでその状態でいるつもりのようだ。ルイはおそるおそるその紙を受け取り、それは何か確認してみた。
2、3枚の紙がホッチキスで留められた物が3束。一番上の紙に書いてある内容は全て同じ……日付と時間が羅列してあった。次をめくれば達筆の文字で腕立て腹筋背筋……筋トレのメニューが回数と共にこれまた羅列してある。残りの物も似たような内容だった。

ふと、一番上にある紙の下を見れば1束ごとにルイや大斗、太陽の名前が書いてあった。

「スケジュール表とトレーニング表だ。
バスケ経験者の晶や新宮殿に訪ねながら1人1人私が書いたのだがな、不備があれば伝えてくれ」
「え……えっと……だ、いと…と………たいようの…は……」
「ふむ、それなんだがな。私が直接渡したいのだがどうも掴まぬので紅石殿が渡しておいてくれ」
「……え……」
「私より紅石殿の方が確実に会えると思うのだが」
「……い…いや…でも……お、れ…」
「む、そろそろ休憩が終わるな。紅石殿は体力が回復しだい参加してくれ。
スケジュール表、頼りにしているぞ」

踵を返し、黒髪をなびかせながら珠佳はコートの中に足を運んでいった。
今までルイが感じていた珠佳の威圧感も消え、安堵したように口から息を吐き、壁に背を任せてずるずると座り込む。再び、体育館内にボールが弾む音が響き始めた。

(も……う、やだ………太陽と、大斗……いないし……しんどいし……。
バスケ部の人……と、話したりするの……怖い、し、……真貝、さん……が、一番…怖いし……)

両手に掴んだスケジュール表にもう一度目を通し、びっしりと書き込まれたそれに頭痛が起きそうだった。倒れる、確実に。そう確信しながら一枚めくった。やはり達筆で、まるで書道の達人が書いたような綺麗な字だった。これもまた頭痛が起きそうな量だ。

(……でも、……)

出来なくは、無いかもしれない。そう感じる量だ。試しに太陽や大斗のメニューを見てみれば、確実に、どうみても、自分の物より数倍の数字が並んであり、それこそ見ただけで貧血を起こしそうな物だった。

じっと、ルイは3束の紙を見つめる。休憩前のような気持ちの悪さや泣きたくなるような気持ちは無かった。体育館をたたく、ボールの音は先ほどより近く聞こえてきた。


『頼りにしているぞ』


もう少し、ここで頑張ってみようかと、軽くなった体を持ち上げ、床を蹴った。


(だって、頼りにしてもらえるなんて、嬉しかったんだ)

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