16:Rhapsody of blue
-Do not hesitate-






 「マコトってばあんなに男物の服ばっかり買っちゃってー、きっと明日にはもう噂でもちきりだよ」
 「私が家に彼氏連れてきて日用品の買い出ししてるって?アホくさ。なんか今朝も似たようなこと言われたわね。
 仮に私に男ができたとして、その買い物にあんたが同行して荷物持ちしてるのは意味不明すぎるでしょう」
 「あれ?ほんとだ」
 「あんたねぇ……」

 思いがけずエミという荷物持ちを捕まえることができ、想定よりもスムーズに当面の買い出しを終えたマコト。調子に乗って買いすぎた諸々も通りすがりのペリッパーに頼んで家に届けてもらい、身軽になった二人は買い物客用のベンチで小休止をしていた。

 「でもさ、マコトが急にポケモンと暮らし始めたってだけでもすごい変化だよ。今まで街にいる子とどれだけ仲良くなっても頑なにゲットとかしなかったのにさ」
 「…なんか勘違いしてるみたいだけど、あいつらはゲットしてきたわけじゃないわよ?私トレーナーじゃないし」

 そう言った瞬間、エミが「ぅごふっ」と奇声を発しながらサイコソーダを吹き出した。汚い。しゅわしゅわする口元を仕方なくハンカチで拭ってやっていると、心底驚いた表情のまま「なんで!?」と叫ばれた。なんでと言われても。

 「そのままの意味よ。それでなにか問題ある?」
 「問題ありありのありだよ!!だってドラゴンくんもグラエナくんも、住んでたところを離れてまでわざわざついてきちゃうくらいマコトのことが大好きってことでしょ?」
 「うぐ……まあ否定はしないけど、改めて客観的に言われると効くわねそれ…」

 それが自惚れでもなんでもないことは、誰より私がよく知っている。が、長年腹の底で飼い慣らしてきた人間――否、むしろ自分自身――への猜疑心はそう簡単に消えてはくれない。
 勿論まめすけもグラエナも望んで私についてきてくれたことは分かっているのだが、今もまだ心のどこかで、彼らは故郷の仲間のもとで暮らすほうが幸せなのではと考えてしまう自分がいるのもまた事実だった。
 特に、まめすけ。私を連れて帰るまで戻らないと啖呵を切って砂漠を出てきてしまったらしいが、本当にこのまま皆と会わずにここに留まるつもりなのだろうか…――

 「ちょっと、マコト。ぼーっとしてる場合じゃないって。聞いてるの?」

 当の二匹が傍にいないせいか、ついいつもの暗い思考に沈みかけていると、俯きがちになっていた顔を強制的にエミの方に向けられた。

 「ぐえっ!あんたね、こっちは一応怪我人」
 「あたしと話してるのにいきなり遠い目して黄昏れだすのが悪いですー!今に始まったことじゃないけどそういうとこあるよね!」
 「え、ごめん…?」

 唐突なダメ出しに面食らって反射で思わず謝るが、これについては元々そんなに気にしていなかったようですぐさま「いいよ!」と返される。じゃあなんなんだ。
 疑問符を飛ばしまくっている私に気付いてか気付かずか、「そんなことより!」と話が戻された。

 「二匹ともあんなに慕ってくれてるのに、マコトときたら連れてくるだけ連れてきてゲットすらしてないってどういうこと!?100歩譲って種族名で呼ぶのはまだわかるとしてもドラゴンくんにいたってはそれですらないし!」
 「は?ドラゴンくんはエミが勝手にそう呼んでるだけでしょ。あいつには一応まめすけってあだ名が」
 「あっ、そうなの?じゃあグラエナくんの名前は?」
 「え、ないけど」
 「今後つける予定は?」
 「…?特に」
 「ええええ!?なにそれひどい!不公平!ひとでなし!」
 「ちょっ……待ってエミ、なんであいつらのことであんたがそんなに怒るのよ。ちょっと落ち着いてよ」
 「だって!ぅぐっ…ごほっ、ごほっ」

 普段のんきでぽやぽやしたエミの珍しい大声に押されて大した反論もできずにいると、案の定咳き込みだしたので背中をさすろうとしたら拒否された。
 偶然居合わせた通行人も何事かと遠巻きに見ているが、ヒートアップしたエミの勢いは止まらない。

 「あたしバカだけど、マコトがモンスターボール嫌いなのはなんとなく気付いてるよ。友達だもん。
でもさ、本当にこれからずっと一緒にいたいって思うんならこのままじゃダメだと思うんだ」
 「……どうして」
 「だって、どれだけ強く繋がってたってそれは目に見えないから。
 もしこの先まめすけくんやグラエナくんに何かあっても、トレーナーでもない人間と野生の関係じゃなんにもしてあげられないんだよ。それはマコトだってわかってるでしょ?」
 「……!」

 敢えて考えないようにしていた最悪の懸念を指摘され、またしても言い返す言葉が出てこなかった。
 エミの言うことはもっともだ。もし今後彼らが怪我や病気をしたり、想像すらおぞましいが昔の私のように誰かに攫われたとしても、人間たちのルールにおいて彼らとの関係を証明できるものなど私は何も持っていない。
 しかし、モンスターボールに入るということはつまり、人の所有物になるということ。捕獲した“おや”の情報はそうそう消せるものではない。それは本来どこまでも自由なはずの彼らの生を、私という一人の人間に縛り付けるようなものだろう。
 人里で共に暮らす以上いずれ向き合わなくてはならないことだと理解しつつも、ぬるま湯のような平穏に今しばらく浸かっていたい甘い考えに負けてしまっていたのだ。
 ――さっと顔色を悪くしたマコトの変化をどう捉えたか、エミは少し語調を和らげると更に語り掛けた。

 「ねえ、マコトはなんでモンスターボールが嫌いなの?」
 「…嫌いだなんて一言も言った覚えないんだけど?」
 「でも嫌いでしょ?なんで?」
 「……。」

 口を噤むマコト。妙な所で鋭いこの友人は、今回ばかりはごまかされてくれる気はないらしい。
 手にした缶コーヒーを一気に呷る。いつもはそれなりに美味しいと思う苦みと酸味が、今日はやけに舌に残った。

 「…だって…怖いじゃない。あれは野生の生き物を小さな玉に押し込めて、一方的に人の所有物にする道具よ」
 「そうだねえ」
 「そうだねえって…一度モンスターボールで捕まったら、その後どこに行こうがずっと捕獲者の情報がついて回ることになるのよ。それって…」
 「うん。その繋がりがいつか大好きな人との絆の証になったら、きっとその子も嬉しいはずだよね。だからトレーナーは自分のポケモンをいっぱいかわいがって、大事にするんだよね」
 「………え?」
 「え?」

 微妙に噛み合わない話に一瞬フリーズするが、マコトは自分が無意識にポケモン側の立場で話をしてしまっていたことに気がついた。らしくもない失態に思わず天を仰ぐも、今は取り繕う言葉を探すことよりエミの主張する人間側の言い分を咀嚼するのに時間がかかっていた。
 …一方的につけた印を喜んでもらえるように可愛がる?大切にする?――なんて傲慢で身勝手で、いかにも人間らしい主張だろうか。
 しかし、今までの私ではまず間違いなく持ち得なかった視点であることも否定できない。捕獲によってつけられるボールマーカーが人からの呪縛ではなくて“繋がり”だなんて、今まで考えたことすらなかったのだ。

 「………………………。」
 「…ははーん。あたしわかっちゃったー。今のマコトにぴったりなたとえ見つけちゃった」

 何やら考え込んで完全停止してしまったマコトの様子に気を良くしたのか、ひょいと軽い足取りでベンチから立つエミ。
 姿勢悪く座ったままのマコトの正面にわざわざ向き直ってみせると、悪戯な笑みを浮かべて顔を覗き込んだ。

 「……なによ。エミは今の私と似たような奴に心当たりがあるっていうの?」

 じとりと、しかし微かに縋るような目で、マコトはようやくエミと正面きって目を合わせた。自分の中の何かが揺らぐような、心の奥がモヤついてざわめくこの不快な感情に付ける名前があるならその答えを知りたかった。
 …しかし。そんなマコトの思いをよそに、飛んできた回答は期待の斜め上へと盛大にかっ飛んでいた。

 「ずばり!結婚の口約束だけして指輪も渡さずうだうだしてる甲斐性なしのダメ彼氏!!いくじなし!!」
 「………はぁ!!?」
 「だってそうじゃん。一緒にいてほしいけど確かな繋がりを作るのは怖いんでしょ?つまり一生愛して連れ添ってく覚悟がないから居心地のいい関係のまま宙ぶらりんにしておきたいんでしょ?ほらサイテー!気を持たせて純情もてあそんではっきりしないのが一番ダメ!」
 「やけに熱弁ね!?あんた一体何があったの!?どこぞの野郎にもてあそばれたの!?」
 「最近そういうドラマ見たの!!」
 「あっそう!!心配して損したわ!!」

 “結婚”、“指輪”、“ダメ彼氏”、出るわ出るわ、野次馬根性を刺激しまくる単語のオンパレード。案の定どこからか集まってきてしまった暇なギャラリーが俄かにざわつきだしたが、最早そんなことはどうでもいい。
 さんざん好き放題に言われて流石に黙ってもいられず、言いたいだけ言って満足げにしているエミの肩をがっしり掴む。

 「わっ。マコト?」
 「言わせておけばぺらぺらと…。あのね、私は私なりの覚悟であいつらと家族になるって決めたのよ。ボールになんて入れようが入れまいがそんなの私の勝手でしょうが」
 「じゃあボールに入るか入らないかもまめすけくんたちの勝手じゃないの?せっかくお話できるんだからちゃんと聞いてみなよ。トレーナーになってほしいって言ってなかったの?」
 「それは……ん!?あんたどうしてそれを」
 「なにが?とにかく、家族になるんだったらちゃんと目に見えて分かる形で安心させてあげないとかわいそうだよ。結婚もゲットもいっしょだよ。」
 「何その超理論。メチャクチャにもほどがあるじゃない」
 
 説得力があるようなないような。…いや、やっぱり無茶苦茶だ。独特すぎる超理論を真っ向から展開され、すっかり力が抜けてしまった。ポケモン側でも人間側でもゲット=結婚だなんてそんなアホなことがあってたまるか。
 第一その理屈でいくと大概のトレーナーが重婚しまくっていることになるうえに、新しい嫁候補(野生)に現嫁(手持ち)をけしかけて弱った隙に指輪(ボール)をぶん投げるとかいうとんでもなくアウトな図式が出来上がってしまう。軽く想像しただけでも泥沼地獄待ったなしだ。嫌すぎる。
 何だか急速に頭が冷えて、思わず深めのため息が零れ落ちた。エミと話していたら、色々小難しく考えていたのがいい意味でバカバカしくなってきてしまった。

 「はぁ…。でも、そっかあ。今の私とあいつらの状況に限って言えば的を射ていなくもない…のか……?」
 「そうそう。マコトたちなんてもう最初からあんなに仲良しなんだから、悩むことなんてなんにもないと思うんだけどなぁ」
 「…ねえ、エミ」
 「ん、なに?踏ん切りはついた?」
 「エミは、人間とポケモンは本当に家族になれると思う?」

 エミはこの街に来て初めてできた、ほぼ唯一の人間の友人。そんな彼女にふと聞いてみたくなったことをぽろりと口にすると、エミは大きな目を瞬いて何でもないことのように言った。

 「とーぜん!だってあたしもいつか、家族になってくれるポケモン見つけて一緒に暮らすんだもん!」
 「…そっか。……ふ、ふふ…あは。あははははははっ」

 純粋にポケモンが大好きで、ポケモンと共に歩む未来を疑いもしていないエミ。私なんかよりも余程トレーナーに向いているかもしれない。エミとまだ見ぬその相棒との珍道中を想像したら、平和で幸せすぎてなんだか笑えてきてしまった。…きっと、それが答え。

 ――かしゃん。
 心の奥底に未だしぶとく貼りついていた偽りの仮面が剥がれ落ち、木っ端微塵に砕ける音がした。

 「え、え!?マコト!?どうしたの!?とうとう壊れちゃった!?」
 「ええ、ある意味ね。……。はあーあ。ほんと私今までなにやってたんだろうなあ…。」

 要は幸せになるもならないも、結局のところ当人たち次第なのだろう。エミの超理論を借りるなら、指輪を渡す≒ゲットがゴールじゃない。大事なのはそこからだ。行く先に何か憂いがあるなら、一人ではなく力を合わせて乗り越えていけばいい。いわゆるパートナーになるとはそういうこと…のはず。
 
 「…ぷ、くく、あははは。なにそれ。我ながらあほらし」
 「えええぇ…!?あたし、マコトがこんなに笑ったの初めて見た…!」
 「あー、そうかもね。ありがとエミ、あんたのおかげで色々と吹っ切れたみたい」
 「ど、どういたしまして?なんかよくわかんないけど!」
 「ふふっ、わかんなくていいわよ。あんたはそのままでいてよね」
 「また笑った!どうしちゃったの?嬉しいけどさ!」

 いつの間にかクシャクシャに握り潰していたコーヒーの空き缶をゴミ箱に投げる。ジャストミート。なぜか散らないどころか揃ってこちらをガン見している野次馬ギャラリーから、まばらに拍手が上がった。こんなので喜ぶほど暇を極めているのだろうか?
 
 「よし。エミ、悪いけどもう一軒買い物つきあってくれる?」
 「え?いいけど、どこ行くの?」
 「フレンドリィショップ。あんたの言うところの結婚指輪を買いに行くのよ」
 「おおっ!やっと覚悟決めたんだね!いいじゃんいいじゃん、せっかくだからいっぱい買って重婚しよ!」
 「…ねえ。ノっといてなんだけど、やっぱりこの喩えとんでもなく誤解を生むからやめない?」
 「えーダメ?結構いい線いってると思ったんだけどなー」

 いつも通りエミとくだらない話をしながらボールを買う。キリよく10個買ったらおまけのプレミアボールがついてきたので、荷物持ちプラスその他諸々のせめてものお礼代わりにエミに渡しておいた。なんとなくだが、エミにもすぐにパートナーになるポケモンが現れるような気がしたからだ。

 「えへへ、白いボールってなんかオシャレだね。ありがと。
 まめすけくん達、ボール見てなんて言ってたか今度教えてね。グラエナくんにはちゃんと名前もあげなきゃだめだよ」
 「うっ…そうね、考えとく。っていうかあんた、いつから気付いてたのよ。一応トップシークレットのつもりだったんだけど」

 そう。結婚だ重婚だのすったもんだで有耶無耶になっていたが、さっきエミがさらりと気になることを言っていた。一応ばれないように細心の注意を払って生活してきたつもりだったが、エミは私がポケモンと話せることを一体いつから知っていたのだろうか?

 「ん?…あ、そのこと?えっとね、マコトがヒワマキに越してくるちょっと前、あたし見ちゃったんだ。でっかいジュカインとマコトが町をスルーして森の奥に入っていって、テングの親分さんたちとお話してるとこ」
 「…えっ」

 なんてことだ。エミが見たのはこのヒワマキで一人暮らしを始める前、先生に連れられてこの辺り一帯を仕切る親分ダーテングに挨拶しに来た現場だろう。テングの親分と先生は昔つるんでいた悪友同士だったらしく、手元を離れる私を心配した先生が親分に私のことをよくよく頼むと頭を下げていたのを思い出す。
 …思えばその頃の私には周囲に気を配る余裕などなかったし、先生もあの時ばかりは知り合いの縄張りということで気が緩み、警戒が疎かになっていたとしてもおかしくはない。

 「じゃあ、エミは最初から全部わかってて私に絡みに来てたってこと…?」
 「うん!マコトを見てすぐあの時の子だって分かったから、友達になりたいなと思って突撃しました!あ、誰にもバラしてないからそれは安心していいよ。」
 「でしょうね!ありがとう!」
 「どういたしまして!」

 なぜエミがこんな愛想のないやつの友達なんぞをやっているのかずっと密かな疑問だったが、今ようやく全てを理解した。…本日二回目の脱力案件だ。
 どうやら知らないうちに返しきれないほどの借りを作ってしまっていたらしい。不完全ながらも普通の人間に擬態しようともがいていた今までの生活は、他ならぬエミのおかげで成り立っていたといっても過言ではないのだから。

 「…エミ」
 「んー?」
 「なんか…ありがとうね。いろいろと」
 「えっ、なに?本当にどうしちゃったの?大丈夫?槍とか降る?」
 「はっ倒すわよ」
 「なんだ、いつものマコトだ。今日のお礼なら特盛オムライスでいいよー」

 感謝しているのは本当だが何だか少しムカついたので、よく伸びるほっぺを摘んで引っ張った。「いひゃい〜」なんて言いながら笑っている。
 とりあえず、腕の傷が完治したら真っ先にエミの好物をたくさん作ってご馳走しようと心に決めた。当のエミからすれば何のことやらだろうが、これは私の自己満足だ。


***


 「ただいまー…、…???」

 …エミと別れて家に帰ると、どことなくこざっぱりした印象のまめすけと、生まれたてのシキジカのように震える足の見知らぬ黒髪の男がリビングの真ん中で手を取り合って立っていた。
 状況的に男の正体は分かりきっているが、飛び込んできた映像のあまりのひどさに脳がバグって思考を放棄した。

 「………、お邪魔しました」
 『待て待て待てそっ閉じすんなコラ!!』
 『!?おいまめすけ、今離したら…!うわっ!?』

 見なかったことにして踵を返そうとしたら、まめすけがすっ飛んできて連れ戻された。急に手を離された黒髪の男…もう面倒だからグラエナでいいや、は案の定バランスを崩して盛大にすっ転んだ。普通に成人男性ほどのガタイがある分衝撃も大きく、家が若干揺れた拍子に棚から転がり落ちたトゲピーぬいをおまめが華麗にキャッチする。えらい。

 「まめすけナイス。で、そこで這いつくばってるのはもしかしなくてもグラエナね?」
 『痛たたた…はい。すみません、ご主人』
 「や、それはいいけど。大丈夫?」
 『何とか。分かってはいましたが、人間の体を急に使いこなすのは難しいですね』

 曰く、ラウラさんのところで髪型と毛並みを整えてもらい、家に戻ったらちょうどペリッパー便で服が届いたのでおまめの指導で擬人化の練習をしていたらしい。
 人の姿になったグラエナは、ごく短い黒髪に切れ長の藍の瞳が精悍な印象の青年だ。結構なイケメン…に分類されるのかもしれないが、全身からそこはかとなく滲み出る“昔ヤンチャしてました感”が何とも言えない威圧感を醸し出している。具体的に言うと、前に立たれると子供が泣く感じだ。

 『…言いたいことは分かるぜ、マコト。でも言うなよ』
 「分かってるわよ。でも…あ、そうだ」

 ふと閃いて引き出しを漁ると、出てきた。昔よくわからないテンションで買った、べつに拘ったり物知りになったりしないフレームだけの伊達メガネ。これで多少目元が和らぐことを期待して、グラエナにかけさせてみる。

 「あ、良くなった。似合う似合う。それグラエナにあげるわ」
 『?よく分かりませんが、いいんですか?元はご主人のものじゃ』
 『素直にもらっとけって。マコトが兄貴のためにわざわざ出してきてくれたんだからさ』
 『俺のため…分かりました。ありがたくいただきます』

 …メガネを装備させたことによって今度はインテリヤ〇ザ風味が出てきてしまったが、これはこれでいい。というか究極中身がかわいければ何だって問題ない。
 ひとまず私が満足したので擬人化の練習は一旦切り上げてもらい、元の姿に戻ったまめすけとグラエナをベランダに連れ出した。これ以上話が脱線する前にさっさと本題に入ってしまおう。

 「じゃーん。これなーんだ」
 『?…モンスターボールだろ?…は!?モンスターボール!?』
 「はいまめすけ、100点のリアクションありがとう。確認だけど、あんた達二人とも私にゲットされたいってことで良かったのよね?」
 『確かにそうは言いましたが…』
 『べつに俺達、お前に無理してほしいわけじゃねぇぞ。見るのも嫌なんじゃなかったのかよ?』

 気遣わしげな顔をして、さりげなくボールを私の視界から遠ざけようとしてくれるまめすけ。確かに過去のトラウマの話をした昨日の今日でこれでは、二人のために無理していると思われても仕方ないだろう。

 「えい」
 『『!?』』

 よって、実力行使。殆どのトレーナーがそうするように、有無を言わせずまめすけとグラエナにボールを投げつけてやった。これはあくまで私の意志で、私がそうしたくてやったことだと示すためだ。
 たちまち光に包まれて、ボールの中へと吸い込まれていく二匹のポケモン。特に抵抗らしい抵抗もなく、揺れはすぐに収まった。かちり、捕獲完了の音がそれぞれ鳴ったのを確認し、再び二つまとめて放り投げる。ぽーん、と、軽やかな開閉音が辺りに響いた。

 『ご主人…??』
 『っとと…マジでいきなりゲットしやがった。一体どういう心境の変化だ?』
 「今日買い出し中にたまたま会ったエミに、散々気を持たせておいてゲットもせずに連れ回そうなんてサイテーってめちゃくちゃ怒られちゃったのよ。それじゃ結婚の約束だけして指輪も渡さずうだうだしてる甲斐性なしと同じだって。好き勝手言ってくれるわよね」
 『ブッッ!?なんつーこと言うんだアイツ!!』

 エミがぶん投げてきた超理論を正しく理解したおまめは吹き出し、グラエナは人間特有の文化には詳しくなくても何となくのニュアンスは伝わったのか、微妙に渋い顔をしている。

 「でもまあ、あの子に言われて初めて気付けたこともあったわ。あんたたちをゲットすることで、いつかこれがトラウマの象徴じゃなくて家族の証だと思えるようになるならそれも悪くないなって。…もちろん協力してくれるんでしょ?」

 手の中のボールを改めて突き付けながら不敵にそう言ってやれば、突然のゲットに虚を突かれていたぽかん顔がみるみる喜色に染まっていった。感極まったまめすけが、竜の姿のまま突撃してぐりぐり擦り寄ってくる。

 『マコト〜〜!!なんか俺無性に嬉しいぜ、やっとまともに俺達を頼ってくれるようになったんだな!!』
 「ぅぐっ!?だからエミといいあんたといい私怪我人って言ってるでしょうが!!はーなーれーろー!!」

 流石に左腕が折れている状態ででかいドラゴンの相手は辛すぎる。グラエナのあにきに助けを求めようとしたが、いつの間にか巻き込まれないように距離をとって尻尾をぱたぱた振っていた。こいつ。仕方ないのでなんとか自力で引き剥がしたはいいものの、既にHPバーが赤ゾーンに突っ込んだような気分だ。

 「はー、ったく締まらないわね…っていうかそもそも話はまだ終わってないんだって。あんたたちの名前のことよ」
 『名前…ですか?』
 「そ。トレーナーやると決めたからにはそのへん妥協はしないわ。グラエナはたくさんいるんだし、あなただけの特別な名前があってもいいでしょ」

 ただ、そんなにすぐに思いつくようなものでもないのでしばらくはおまめに倣って“あにき”と呼ばせてもらうことにする。
 …私まであにき呼びが完全に定着してしまう前に、いい名前を考えられるように頑張ろう。

 『え、兄貴はともかく俺もなのか?今更豆以外で呼ばれても多分反応できないぞ』
 「まああんたはそうでしょうね。でも、まめすけって当時ちびナックラーだったあんたに私が見たまんまつけたあだ名じゃない。呼ぶ呼ばないは別として、ちゃんと今の姿に見合ったやつを改めて考えたいのよ」
 『へぇ。そういうことなら別にいいぜ。ほどほどに期待しとくわ』
 「そうして。正直そんなにネーミングセンスに自信があるわけでもないし」
 『だな。俺まめすけだもんな』
 「だまらっしゃい。いちいち一言余計なのよあんたは」

 もはや恒例になりつつあるまめすけとのじゃれ合いに興じながらも、名前の話をしてから途端に静かになってしまった…というか硬直してしまって動かないあにきの様子が気になった。
 …と思ったら、いきなり尻尾が千切れんばかりに揺れ始めた。どうやら今頃嬉しさがじわじわやってきただけらしい。人の姿はわりとイケメンだったのに、やっぱり中身がいちいち可愛いあにきをわしゃわしゃと撫でる。きっちり整えられた毛並みの撫で心地は抜群だ。

 『…ふふ。ああいや、すみません。名前を頂けるのもそうですが、これからは名実ともにあなたをご主人と呼べるのが何より嬉しいんです』

 今日も朝から色々ありすぎて、一瞬これが本当に現実か疑ってしまいました。と照れたように笑うあにき。今日に限らずここ3日くらい色々怒涛の展開だったことは確かなので、気持ちは分からないでもない。
 暫しふわふわツヤツヤの毛並みを堪能していると、こっちも構えと言わんばかりにしましまの尻尾に引き寄せられて頭の上を顎置きにされた。はいはいおまめも可愛い可愛い。愛ゆえに扱いが雑なのはお互い様だ、兄弟分なんてそんなものだろう。

 『さて、これでようやく最初の一歩か。思えば随分遠回りしちまったが…改めてよろしく頼むぜ、“相棒”?』

 感慨深げにそう言われて、はっとする。そうだ。元々私の10歳の誕生日を機に旅の相棒になる予定だったはずが、あれから紆余曲折ありはや6年。おまめの言う通り、まあ随分と遠回りをしたものだ。

 ――思い出すのはやはり、父さんのこと。かつて、砂漠の小さなオアシスで育った私達に広い世界を見せたいと願ってくれた優しい父さん。最期は人間の卑劣な罠にかかりながらも、『人を恨んではいけない』と遺して逝ってしまった父さん。悪意にまみれた汚い世界ばかり先に見てきてしまったせいで大分捻くれてしまった今の私が、その遺志に本当の意味で報いることができるかは分からない。
 でも、こいつらが傍にいてくれる限り、これから先の未来はそう悪いものではない。…今は、そう信じていたい。

 「相棒…相棒か。うん、悪くない響きじゃない。よろしく相棒、あにきもね」
 『おう。』
 『はい、ご主人。』

 新米トレーナー、マコト。彼女とその仲間達の旅路は、今ようやく始まったばかりだ。








(変化を恐るることなかれ)





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