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初恋の人

俺がまだ幼かった頃から近所でも評判の美人だった名前さんは、俺が高校に上がる前に突然姿を消した。なんて言い方をすると失踪か何かかと思われるかもしれないが、本当はただの結婚だ。旦那さんが九州の生まれかなにかで名前さんはそちらに嫁ぐことになったらしい。

街中で似てる後ろ姿を見かけると思わず声をかけたくなってしまう。だって彼女は俺の初恋の人。

優しく「和くん」と呼んでくれる声が好きだった。俺がバスケで成績を残すと頑張ったねと頭を撫でてくれる白くて綺麗な手が好きだった。

名前さんの姿を見かけなくなって数年が経ったある日、近所の公園で名前さんに似た後ろ姿を見た。いつものように本人かもと少し期待してはどうせ違うのだろうと落胆して通り過ぎようとした。がしかし、今回ばかりは本物の名前さんだった。俺は自分の目を疑い、思わず持っていたカバンを落とした。

「名前さん…?」
「え…和くん?」
「うっそ!マジ!?名前さん!?」
「和くんなの?本当に?」
「超久しぶり!どうしたの!?」

真夏だというのに長袖のブラウスを纏った名前さんは、俺の顔を見て何故か涙ぐんでいた。

「なんでいんの?マジでビビった」
「ちょっと嫌になって逃げて来ちゃった」
「(逃げる?)…仕事?家?」
「うん、そう。家」
「なんかあったの?俺でいいなら聞くよ」
「和くんの声は優しいね…安心する」
「?」
「あ、そうだ何か飲む?部活の帰りだよね、そこの自販機でジュースでも買おうか?」
「いや、そんなんいいよ。それよりなんかあったんでしょ?聞くから」

古びたベンチの名前さんの隣に腰掛ける。不自然な長袖のブラウスに隠された腕に何があるのか、なんとなく察しはついていた。でもきっと言いにくいことだろうから無理には聞けなかった。

「その…名前さん、幸せなの?」

俺がそう聞くと、名前さんはついに涙を流した。大きくて綺麗な瞳からボロボロと涙をこぼして、もうやめたい、帰りたいと言った。

「おばさんたちには言ってないの?」
「言えないよ、私の結婚本当に喜んでた。結婚式も大々的にやったし、そう簡単には…」
「ねぇ、痣見えてる。殴られてんの?いつも?」
「いつも…なのかな、ここ何ヶ月かずっと機嫌が悪くて」

きっと一人で遠くに嫁いでいって、相談する相手も愚痴をこぼす相手もいなかったんだろう。俺の中の名前さんはいつも冷静で大人の余裕たっぷり、そんなイメージでしかなかったのに…今の名前さんは切羽詰まってちょっとでも触れたら壊れてしまいそうなほど脆く見える。

「親戚付き合いとかも面倒臭くて、子どもがすぐにできなかったことにも色々言われてね、旦那もそういうのがストレスみたいで子どもができないのはお前のせいだとか言い出すし」
「うわ、それマジなの?ありえねぇ」
「でも…今となってはできてなくて良かったかな。もしできてたら…こうやって逃げることもできなかったし」
「そうかもしれないけどさ」
「子どもができないストレスっていうのかな、その…子作りするのも結構無理やりな感じでね、つらくて」

子作りとはつまるところセックスだ。好き合って夫婦になったはずなのに…愛がないセックスなんてなにが楽しいんだろう。

「って和くんに言っても仕方ないよね。ごめん、こんな話聞かせて」
「いや、名前さんがそれで少し楽になるなら全然良いんだけど…俺ならもっと…」
「ん…なに?」
「俺なら名前さんのこと傷付けないし超優しく抱くのになって思って」
「そうだね、私も和くんみたいな優しい人と一緒になりたかった。和くんのご両親となら親子関係も問題ないだろうし」

名前さんは、それがどうにもならないことだとわかっていて言っている。あくまでも理想論、机上の空論として。だけど俺は本気だった。ずっと憧れて恋して触れたくてたまらなかった人が俺が良かったと言ってくれているのに触れずになんていられなかった。

華奢な肩を引き寄せて力いっぱい抱きしめた。名前さんは力ない声で和くんと俺の名前を呼んだ。

「きっと明日には迎えが来ると思うの。迎えっていうか…連れ戻しに、誰かしら来ちゃうと思う」
「うん」
「そしたら私はまたあそこで一人で戦わなきゃいけないの」
「うん」
「ここにずっといることはできない、けど…和くん、今日だけ一緒にいてくれないかな」
「いいよ。勿論。でも俺何するかわかんねぇ、正直」
「うん、いいの」

それはつまり俺に抱かれたいということなのだろうか。ふやけた頭ではそう都合よく解釈することしかできなかった。

俺は一度家に帰って着替えをしてから真ちゃんの家に泊まりに行くと嘘をついて自宅を出て名前さんと待ち合わせをしたホテルに向かった。

「こんなところに和くんと二人でいるなんて変な感じがするね」
「絶対ありえないと思ってた」
「でも覚えてる?和くん小さい頃私と結婚するって言ってくれてたんだよ」
「覚えて…るけど、名前さん本気にしてなかったっしょ。あっさりどっかに嫁いで行っちゃうし」
「ね。バカだよね。和くんを選んでたら…」
「もうやめよ、名前さん」

こんなこと言い合ったって所詮タラレバなのだ。口にしたところで虚しくなるだけで現実は何ひとつ変わらない。だから今だけは何もかも忘れてしまおう。

「キスしていい?」
「うん、して」

うんといっぱい甘やかして、ドロドロに溶かしてあげるから、もう俺なしじゃ生きていられないくらい溺れてくれたらいいのに。

何度も何度も唇と体を重ねた末に迎えた朝は虚しくて、名前さんは帰りたくないと泣いた。まだ高校生のガキで金も案もない俺には名前さんを留めておく術はなくて、結局力になれなくてゴメンと言って慰めることしかできなかった。

「名前さん、大好きだよ、愛してる」
「うん…和くんありがとう」
「つらくなったらいつでも電話して」
「うん、連絡する」
「また…会えるよね」
「会えるよ、きっと」

あの日、朝ホテルを出て別れた後名前さんからの連絡はなくて、あの夜のことは全て夢だったのではないかと錯覚してしまうほどだった。名前さんは泣いていないだろうか、幸せなのだろうか、考えてみても知る術なんてものは俺には無かった。


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