姉と弟の話



今江戸で風邪が大流行しているらしい。幸いにも屯所の中に罹患者はおらず、誰しもがどこか他人事のようにニュースを見ていた。

「すごいですね、このウイルス」
「あっという間に江戸中に拡散されちまった」
「女性は罹りにくいらしいですよ。症状的には普通の風邪と大差はないみたいですけどね」
「罹らないのが一番だがな。お前も気をつけろよ」
「副長こそ、男性なんですから。徹夜もほどほどにしてくださいね」
「はいはい」

昼食時、いつものように副長と少しだけ言葉を交わして仕事をしていると、いつもあるはずの姿がそこにないことに気がついた。今日のメニューは彼が一番好んでいるものだ。いつもなら、このメニューの日だけはいの一番に食堂にやってくるのに、今日はどうしたんだろう。

「副長、沖田くん知りません?」
「総悟?昼寝でもしてるんじゃねェの」
「そうなんですかね…」

お昼を食べ損ねたのなら、いつものようにこっそりおやつをねだりに来るかもしれないと、食堂で彼を待っていたのだが待てど暮らせどやってこない。おかしい、そう思った私は沖田くんの私室を訪ねた。

「沖田くん、いる?」

人の気配はあるものの返事はない。
悪いと思いつつそっと襖を開けると、布団にくるまってガタガタと震えている沖田くんがいた。

「え、嘘?風邪?」
「んん…姐さん…?」
「大丈夫?熱計った?誰にも言ってないの?」

沖田くんは私の問いかけにフルフルと首を振り、寒い…と一言。言葉を発するのもやっと、という感じでとてもつらそうだ。

前にもこんなことがあったなと思いながら、沖田くんにちょっと待っててと告げて部屋を出た。屯所中を巡って簡易ストーブや防寒着などを集めていると、副長から声をかけられた。

「総悟いたのか」
「熱出してるみたいで寒がってたので、他の部屋からこれ拝借してきました」
「例の風邪か?」
「恐らく。しばらく私がついてますから心配ないですよ」
「今他に手が離せそうなやついねェんだ。頼んだ」
「ひどくなりそうだったら病院に連れて行きますね」

それからしばらくして沖田くんの部屋に戻ると、先ほどより苦しそうな顔をしていた。部屋をできる限り温め、汗を拭って冷却シートを貼って防寒着を着せ、ゼリー飲料を飲ませる。

「沖田くん、他に欲しいものある?」
「特に…」
「流行り病に罹るなんて珍しいね」
「…馬鹿は風邪引かねェ、それだけでさァ」
「そうね」

枕元に腰を下ろし、柔らかい髪を梳くように撫でていると寝息が聞こえてきた。具合が悪いときは眠れるときに眠っていた方がいい。そう思い、睡眠を邪魔しないよう立ち上がろうとすると、沖田くんがとてもか細い声で「姉上」と言った。夢でも見ているのだろうか、閉じられた瞼の隙間からホロリと溢れた涙を見ると、どうしてもその場から立ち上がることができなかった。

つい失念してしまいそうになるが、この子は真選組の一番隊の隊長である前に十八歳の男の子なのだ。幼い頃に唯一の肉親であるミツバさんの元を離れ、早く一人前になろうと必死に頑張ってきたという。親代わりのような局長や、兄のような副長の存在がいつもそばにあったとしても、ミツバさんの存在はこの子の中でとても特別で大きなものだろう。そんなミツバさんを亡くして寂しくないわけがない。人に弱味を見せない沖田くんだから、きっと内に溜め込んでいる寂しさは人一倍だろう。

儚く綺麗だったあの人の代わりになれないことはわかっているけれど、少しでもこの子の心の支えになれるならと、そっと布団に入り、震える体を抱きしめた。縋り付くように身を寄せる沖田くん。涙は止まっているが、表情は未だに苦しそうだ。

しばらくの間沖田くんの背中をトントンと叩いていると、寝顔は随分と穏やかなものになった。そろそろ副長への現状報告もしなければならないが、やっぱりまだなんとなく後ろ髪を引かれる思いがして、寝顔を見続けた。

「…姐さん、姐さん。起きてくだせェ」
「あ…沖田くん。ごめん、寝ちゃってた」
「嫁入り前の女が他の男と同衾なんて良くありやせんぜ」
「憎まれ口叩ける余裕ができたならもう大丈夫かな」
「あんたの介抱のおかげだろィ。まあ感謝してる」
「沖田くん、あの…迷惑かもしれないんだけど、私のこと本当に姉だと思ってくれていいからね」
「は?」
「私はとっくに沖田くんだけじゃなくてここの人みんな家族みたいに思ってるから」
「いきなりどうしたんでさァ」
「言いたくなっただけ。あ、でもここの人たちは元々家族みたいなもんか…。そこに私が割り込んでるって考えた方が自然?」
「どうでもいいやい、そんなこと」
「え〜」
「俺ァとっくにあんたのことそう思ってるし。ま、あの姉上の代わりにするには色々足りねェが」
「はいはい自覚してます」
「あー腹減った。唐揚げ食いてェ。オムライスも」
「特製お子様ランチでも作ろうか」
「お子様じゃねェけどな」

すっかり元気になった沖田くんと共に食堂へ向かうと、約一日ぶりに顔を見せた沖田くんにあからさまにホッとしている様子の局長と副長がいた。ああ、やっぱり素敵な家族だなと思った。

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