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「ナマエ、そろそろ出るか」
「え、もうそんな時間?ちょっと待ってくださいね、あとこれだけ仕込んだら行きます」
「車呼んでくる」
「はーい」

今日はうちの母が食事でもと誘ってきた日だ。
いつも通り仕事をして一段落してから副長と一緒に屯所を出る予定にしていたのだが、作業に夢中になっているといつの間にか約束の時間が迫っていた。

「土方さんなんで正装してんですかィ?」
「うちの母親が田舎から出てくる用事があるからついでにご飯でもって誘われちゃって」
「へぇ、まだ続いてたんですねィ、旦那のフリ」
「うん…もうしばらくかな」

作業をしている私の手元を興味なさそうに覗き込みながら沖田くんが喋る。私はそれに相槌を打ちながら、いつまでこの関係でいるのか考えていた。

「ナマエ、出られるか?」
「はい、今行きます」

再び副長に声をかけられ、沖田くんにまた明日ねと告げて食堂を出た。前掛けを外し、あらかじめ誰も使っていない客間に用意していたワンピースに着替えて副長が待つ玄関へ。

「見慣れねェな、洋装ってのは」
「さすがに余所行きの着物に着替える時間はなかったので…それに副長もスーツですし」
「そうだな」

副長がタクシーの運転手さんに行き先を告げる。せっかくお袋さんが来るんだから良いところに行こうと言ってくれた副長に甘えて場所はお任せしていたのだが、行き先は想像していた何倍も高級な場所だった。

「え、副長…そんなとこ予約してたんですか?」
「ん?なんか問題あるか」
「うちの母がたまげるのではないかと」
「お前あれから全然実家に顔だしてねェだろ。たまには親孝行しろってことだよ。ま、会計は俺が持つから心配すんな」
「え!?私がお誘いしたのに良いですよそんなの、現金は持ち合わせてないけどカードきれば大丈夫だし」
「良いんだって。この間の件の礼として受け取れ」
「もう…副長そればっかりなんだから」

ほどなくして目的地へと到着した。副長の華麗なエスコートを受けながらお店に入ると母はすでに到着していたようで、オロオロしながらロビーで待っていた。軽い気持ちで誘っただけなのにこんな高級料理屋に呼ばれるとは思っていなかったのだろう。私もそうだよお母さん…と、心の中で苦笑いをした。

「お母さん、待たせてごめんね」
「いいんだよこっちが誘ったんだし。それにしてもこんなお店来たことないから私勝手がわからなくて…土方さん、良いんですかこんな良いお店に連れて来てもらっちゃって」
「お気になさらず。普段ナマエさんに散々世話になっていながら何も返せていないのでせめてもの礼のつもりです」
「まあ…本当よくできた人だこと」

お母さんがいる手前、副長はボロを出さないように努めてくれているらしくスキンシップがいつもより多い。エスコートも完璧で、まるでどこぞの姫にでもなった気分だ。

「今日結婚式だったんだよね?誰の?」
「あんたの従姉妹のお静ちゃん。とっても良い式だったわよ。白無垢もドレスも綺麗でね」
「へぇ、お静ちゃんもそんな年なのか」
「何言ってるの、あんたより年下でしょ。もう親戚中からナマエはまだ結婚しないのかなんて聞かれて…」
「それはそれは申し訳ないねぇ〜。残念ながらお宅の娘はまだ嫁にはいきませんよ。ね、副長」
「私はいつでも良いんですけどね」
「は?」
「ナマエさんとの結婚、いつでも良いと思っています」
「土方さん、本当ですか」
「以前お話しした通り職業柄彼女を危険に晒してしまうことになります。というかもう何度も危険な目に遭わせてしまいました。すみません。ですが…やはり一番近くにいることが彼女を守る最大の手立てではないかと思うんです。な?ナマエ」
「いや副長、酔ってるでしょ、やめてくださいよ」

この人はそんなに酒に強くない、けど…冗談でそんなことを言う人でもない。

「この子には父親がいませんから、何かと我慢させて苦労ばかりさせてきました。母親としては…幸せになってくれればそれだけでいいんです。お店の方は私と息子でなんとかしますから、いつか嫁にもらってやってください」
「はい。私なんかには勿体無いくらい素晴らしい女性ですが…誰かに渡す気なんてありません」

それから母と副長は楽しそうに談笑していたが私はとても笑う気になんかなれず、せっかくの高級料理もほとんど味が感じられなかった。副長の発言はどこまでま本気?そうすることが罪滅ぼしだと思ってるんだろうか。…真面目な人だからあり得るなぁ。私は副長と一緒にいられるなら死んでも構わないのに。

「土方さん、今日はご馳走様でした」
「とても楽しかったです。ナマエさんの幼少期の話、また聞かせてください」
「今度昔のアルバム持って行きますね」
「それは楽しみです」
「絶対だめ」
「ナマエ、たまには顔を見せに帰ってらっしゃい」
「…うん」
「それじゃ、おやすみ」

タクシーに乗って、宿泊先のホテルへと帰っていった母を見送り、私たちも帰る準備をする。

「ナマエ、ちょっと歩かねェか」
「良いですけど副長酔ってるのに大丈夫ですか?」
「酔ってねェよ。ほら行くぞ」

差し出された手を自然と握って二人並んで歩き出す。

「副長、なんであんなこと言ったんですか」
「あんなこと?お前を嫁にするってやつか」
「そうです。それしかないでしょ」
「てっきりガキの頃の話聞いたことに怒ってるのかと思ってた」
「本当はそれも嫌ですけどね。ってそうじゃなくて、結婚の話ですよ」
「ああ…なんつーか、俺とお前の関係が嘘だと知れればお前にはまた見合い話が来るだろ」
「そうですね」
「単純にそれが嫌なだけっつーか」
「嫌?なぜですか?」
「わかんねェよ。ただ…この間の伊東の件で、お前は俺の足手まといになるくらいならここで死んでやるって言っただろ」
「覚えてたんですか…恥ずかしいなぁ」
「正直…嬉しかった。今までの俺は、周りのやつらを危険から遠ざけることしか出来なかったんだ。だがお前は…俺と一緒に死ぬ覚悟をしてくれたから…それでいいんだと思ったんだ」
「それでいいって…?」
「無理に遠ざける必要なんざねェって。一番近くに置いといて、自分の手で守りゃ良いんだって。それができねェなら一緒に死ねば良い」
「随分物騒なプロポーズですね」
「中々味わえねェだろ」
「そうですね。どうせならシラフの時に聞きたかったですけど」
「酒なしでこんなこと言えるか」
「ふふ、確かに」

普通に繋いでいた手はいつの間にか指を絡め合う、本物の恋人のような繋ぎ方に変わっていた。体が熱いのは気温のせい、顔が熱いのはお酒のせい、そう思って私たちの間に芽生えかけている何かを誤魔化し平静を装うことで精一杯の夜だった。

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