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『今夜相手の家族と食事会だから、2人共遅れないでよ!?』
突然の妊娠・結婚発表・そして、その日のうちに相手家族とのお食事会。
あまりの展開の早さに里桜の気持ちは追いつかない。
鈴も同じように混乱はしたが、母の結婚を受け入れようとはしていた。
「母ちゃんの相手誰かな…ねえ、にいちゃん」
「父さんが死んでもう長いから、母さんに彼氏が居ても可笑しくないよ」
そう、可笑しくはない。そう自分に言い聞かせているのに。
母が見知らぬ他人に取られてしまうようで嫌だった。
自分達には、母しか親はいないのに、その母が再婚、だなんて。
もし、母が再婚したら、自分たちはどうなるんだろう。
やはり新しくできた子供に夢中になり、自分たちのことなど見向きもしないようになってしまうのではないか。
そもそも、結婚前に未亡人の母に手を出して妊娠だなんて、どこのどいつだ。
再婚ですら唐突なのに、結婚を飛び越えて自分たちに弟か妹ができるなんて…ーー。
「僕達の知ってる人かな…優しい人なら良いな」
そうだねとは、けして里桜には言えなかった。
たやすく受け入れられない部分もあるのだ。
「にいちゃん?にいちゃんってば」
返事をしない里桜に、鈴はむぅ、とむくれる。
そこへ…
「おはよー」
前方から、自転車に跨った高橋剛(たかはしつよし)が手を振ってやってきた。
高橋剛。
鈴に思いをよせる友人の1人である。
スポーツ刈りで少し目つきの悪い高橋は、背が大きくがっちりとした体躯で声もでかい。
制服はいつもボタンはとめず、前ははだけさせている。
ちょっと不良っぽい出で立ちなので、周りからは距離を置かれがちだが、実際の彼は熱血漢でいい兄貴分で仲間思いである。
「剛、おはよう」
鈴がにこにこしながら駆け寄ると、剛は破顔し自転車から降りた。
高橋は、実に嬉しそうで、まるで、ご主人にあった犬のように顔が緩んでいる。
しっぽがあれば、ぶんぶんと振っているだろう。
でれりと緩んだその顔は…、不良という言葉からほど遠い。
その図は、わんことぽけぽけ飼い主だった。
ほんわかした剛と鈴の空気に里桜は、ふい、と顔を背けた。
里桜の些細な行動に高橋はおや…?と首を傾げる。
鈴と違って、高橋はヘタレだが人間の感情に聡い。
「鈴、どうした?里桜と喧嘩か?」
「違うよ」
「お母さんがおめでたで再婚するんだとさ」
里桜がやけっぱちに言うと、高橋は驚愕に目を見開く。
「そうか薫さんが再婚…えっおめでたって云ったか!?
薫さん、おめでたで再婚?」
「うん」
「……あの薫さんを射止めた男が居たのか!?」
確かに母は気が強いし、亡くなった父を思っていたが、母はまだ若い。
まだ妊娠も出来る年頃でもあるし、何より美人だ。
鈴と似て。
強気で勝気で思い込みが激しい母だが、真っ直ぐで優しく懐も厚い。子持ちであるが一人の女として、魅力は充分で看護師である母に癒やされている男も少なくないという。
「それ母ちゃんに云わない方が良いよ?
いくら剛がヤクザの跡取り息子でも、母ちゃん許さないから」
「そ…そうだな」
高橋は、薫の怒ったときの顔を思い出し、ぶるぶると震えた。
やくざの息子であり、抗争などで危険な目にあっている高橋でも、薫の剣幕には勝てない。
天音家では母である薫が一番強いのだ。
「処で、放課後、家に来ないか?
組の奴が『鈴さんに』って、ケーキ買って来たんだよ」
「ケーキ!?」
鈴は高橋に釣られ嬉々とした声を出す。
鈴は甘いものが好きなのだ。
(高橋め…、鈴をケーキで釣るつもりだな…)
「駄目だ〜今夜再婚相手の家族と食事会なんだ」
「…そうか。大変だな」
「剛、鈴にあまり甘いの与えないでよね?夕飯入らなくなるから」
「解った、そんときゃ加減して食わせるから」
「にいちゃん、余計な事云わないでよ!
って…携帯鳴ってるよ?」
指摘されて、どきりと里桜の胸が跳ねる。
この着信音が流れるのはたった1人。
鈴にいわれて、里桜は鞄から携帯を取り出す。
ディスプレイには『担任』の文字。
その文字を見た瞬間、先ほどよりも胸の鼓動は増した。
「担任?小早川からか?」
高橋が里桜の背後から、携帯のディスプレイを見る。
ディスプレイには、担任の名前しか書かれていないのに、まさしく当人を言い当てられてドキリとお化け屋敷のお化けにでもあったように心臓が跳ねた。
恥ずかしい。
すぐに里桜は、携帯をポッケに入れ、
「ちょっと寄るとこ有るから、鈴、剛と教室行ってて」
と一言告げる。
だらだら喋っているうちに校門にたどり着いたので、教室まではあと少しだ。
「にいちゃんは?」
「雑用頼まれてた」
里桜はそういって、鞄を小脇に駆け出した。
目指すは、数学準備室だ。
未だにピロピロとなり続ける携帯電話。
どうやら、里桜が出るまで切ってくれないらしい。
里桜は、校舎の隅までいくと、辺りに誰もいないのを確認し、携帯の通話ボタンを押した。
「もしもし…」
「おせぇ、何コールかけたと思ってやがる」
電話の主は、低い声で不機嫌そうにそう零す。
「出なかったらきればいいじゃないですか!」
「ああ?んだと?こら」
傲慢なその、態度。
その人、小早川疾風(こばやかわはやて)
この学校の数学教師であり、里桜のクラスの担任であった。
そして、
「ご主人様の命令にたてつくとはいい度胸だな、おい」
里桜にとっての…、ご主人様、でもある。
「おい、里桜、」
「…なに?」
「今どこだ…?家でたか?」
「校舎、だよ。もう学校…」
「んじゃ、早くきやがれ。逃げんじゃねーぞ」
「ちょ…」
ちょっと待て、そう里桜が言い終わらぬうちに、疾風は電話を切ってしまった。
里桜は苦々しい顔で、携帯をポッケに入れ、指定された場所へと足を向けた。
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