鬼畜狼と蜂蜜ハニー里桜編 | ナノ


  剛の心。




―高橋side―

怖いものなんてなかった。
自分は、誰をも恐るヤクザの息子。将来は若頭で、自分を慕う組みのものも沢山いる。
都内一帯を締める組頭になるのだ。
そんな自分が、怖いものなんてないはずだったし、あるわけないと思っていた。
怖がられたことは多々あったが、自分が怖いと思った人間なんて剛は一人もいなかった。

今まで。
今までは。

昨日他でもない自分が嫌悪した柊に襲われるまでは。

『やめ・・・ろ・・・、』
いつも冷静沈着で、自分を嫌っている柊が、男である己を蹂躙する。
みっともなく、怖いと感じた。
何も怖いとおもうこともなかった、自分が、だ。
柊の狂気じみた視線に、喰われる≠ニ思ってしまった。
喰われ、呑み込まれるだなんて思ってしまったのだ。

今まで怖いものなんて、なかったのに。
昨夜の強行を思い出すと、知らず知らずのうちに震えが走ってしまう。
こんな自分、知りたくなかった。
知りたくもなかった。
こんな自分、一生知りたくなかった。


「剛…?お〜い、剛くん」
「・・・え・・・」
「どうしたの?ぼぉっとして。全然食べてないじゃない」

剛のお椀と、顔色を見ながら、宮根が言う。
昨日も精進料理だーなんて嘆きながらも、人一倍食べていた剛なのに。
今日は、未だに料理が残っている。


「具合でも悪い・・・?」
「いや・・・」
「昨日ので、疲れちゃった?」

クスッと妖艶に微笑む宮根。
昨日の・・・、と言われ、どきりと胸が跳ねた。

「ち、違う」

焦ったら、思ったより大声が出た。
周りの部員から視線を浴びる。
剛はなんでもねぇ・・・、と皆に詫び、俯いた。

宮根に昨日の・・・と言われて出てきたのは、宮根との情事ではなく柊との情事であった。
あれだけ傷つけられた情事の方を覚えているだなんて、皮肉だ。
宮根とは、確かに愛し合っていたし、脱童貞という記念すべきセックスだったのに。

今頃、柊との事がなければ宮根にもっと甘い会話も出来たかもしれないのに。
今はこんなにも重い気持ちでいる。

せっかく鈴を吹っ切れたと思ったのに。
吹っ切ろうと思ったのに。
吹っ切れた矢先、気になっていた保険医と恋人になり幸せ絶頂のところを嫌悪していた副会長である柊に襲われた。

昨日はなんて嵐のような日だったんだろう。
プラスマイナス、今の気分を表すとしたら、マイナスだ。


「昨日のは全然…、その、疲れてねぇから・・・」

しどろもどろに高橋は返す。

「そう、良かった。相性って大事だからね。もう嫌って言われたら、どうしようかと思っちゃった」
「そんなこと・・・」
「またやってくれる…?」

誘うように流し目をして、お椀を持っている剛の手の上に宮根は己の手のひらを重ねた。
剛も顔を真っ赤にしながらも、宮根を見つめ微笑んでいる。

(俺は・・・、)
罪悪感がないわけじゃない。
恋人になった数時間後、ほかの男に抱かれ、それを言えない自分に宮根には申し訳ないとも思う。
でも、こうして宮根と顔を合わせていると暗い気持ちも吹き飛んでいく。
好き、だからだろうか・・・。


「俺、テクニシャンだった?」
「ん〜、どうだろね・・・?秘密?」
「余裕ぶりやがって」
「年上だからね〜」
「昨日も聞いたぞ、それ」

宮根のこんな高橋を気遣う冗談が、剛のギスギスした心を少しだけ浮上させる。

「それで、大丈夫なんだよね?」
「何回目だよ、それ。大丈夫だって」
「保険医だから心配なんだよ」
「保険医だから?俺だからじゃないの」
「ふふふ・・・」

剛の顔には、疲れていても、笑みが浮かんでいる。
それを、柊が影から見ているのにも気づかないで。



「んっ・っ・・・、ふっ…」

激しい口づけ。
後頭部をしっかり押さえつけられ、何度も何度も舌が絡むように口づけられる。

夕食後。
自由時間。腰がだるかった剛は、友人が自主連を誘うのを断り、ひとりろうかを歩いていた。
ぼんやりと歩いていたのが行けなかったのだろうか。

曲がり角、出くわした柊に出会い頭にキスをされた。

深い深いキスを。
何か言葉を紡ぐ前に、舌は絡められ、言葉は封じられる。


「やめろっー」
「っ・・」

柊の胸板を思い切り突き飛ばした。
丁度、キスされたとき、舌を噛んでやったから、柊の口端からは血がたらりと流れた。

柊はシャツで口端から流れる血を拭いながら、睨んでいる剛を見つめる。

「昨日から、なんのつもりだ・・・」
「なんの…?」
「俺に、こんなことして・・・なんの・・・」
「昨日、言わなかったっけ?君を僕のもの≠ノしたいって」
「おまえの・・・、俺はものなんかじゃ・・・」

ものなんかじゃない。そう、叫びたいのに。
柊の冷たい視線に、剛は口を閉ざした。


「鳳凰が、もしかしたら、また僕らを支配しに来るかもしれない」
「は?」
「また、去年のようにあいつらがくるってこと。荒れるね。
そしたら、どうする?お前なんて、やられちゃうよ」
「な、何言ってやがる。そんなの、返り討ちにしてやる。去年だって…」
「去年だって?お気楽なもんだね。君、自分が強いと思っているの?あんなに弱かったのに」

柊は剛の耳元に顔を寄せて囁く。

「君は弱いよ。とっても、弱い…、権力化で気づかないだけかもしれないけどね。ねぇ、ぼっちゃん=v

甘く、冷たい言葉を。

普段の剛ならば、怒って反論し首根っこ捕まえて逆上でもするのに。
剛は、柊を前に逃げた。

走って走って、柊に背を向けた。
剛は柊を前に逃げ出したのだ。



逃げ出した先、剛はひとり部屋に戻り布団に潜っていた。
ひとり、また一人と部員が部屋に戻ってきて、布団に入り寝息を立て始める。
しかし、剛は中々睡魔が訪れず眠ることができなかった。

鈴も眠れないのか、窓辺に体を預けてぼぉっと窓を見つめている。
時間は既に23時になろうとしている。
今は虫の音くらいしかしない。


「眠れないのか?」

布団の中から、鈴を見る。

「うん。ごめん、起こした?」
「大丈夫だ。…心配事でもあるのか」
 
口から出たのは、そんな在り来りな言葉。
心配事なんて、自分の方があるくせに。

起き上がり、肩をコキコキと鳴らしながら、鈴に近づく。

窓辺、月明かりに照らされた鈴はやはり愛らしく可愛らしい。
今日女装姿も見たが、まるで本当の女の子のようでもあった。

こんな鈴ならば、好きだというのもわかるし抱きたいと思うのもわかる。
なにより、自分もずっと鈴を抱きたいと思っていたくらいだ。

鈴ならば、わかる。小峰も美人だから、鈴同様モテるのもわかる。
疾風が里桜を好きなのも、里桜はあれでいて、不器用でいじらしい性格をしているから、まだわかる。

だが、自分は柊と身長は対して変わらない。
なのに、何故柊は自分を抱いたのだろうか。

嫌がらせ・・・?
柊の狂気じみた瞳が、消えない。
グルグルと、鋭いあの瞳に思考は取られているようだ。


「なあ。鈴は『好き』って言葉をどう思う」

 唐突に言った言葉に、鈴はきょとんとしながらも、すぐに優しく微笑した。

「自分の事よりも、相手の幸せを一番に考える。大切過ぎてずっと一緒にいたい。甘くて優しい感情かな?」

甘くて優しい感情。
きっと、恋はそういう感情なのだろう。
甘くて柔らかくて、ずっとそばにいたいと思うような。
自分を犠牲にしてもいいと思うような、そんな甘い感情なのだろう。

じゃあ、柊は自分に恋をしていない。
柊は・・・、剛を疎ましく思ってる?
何故?気に食わないから?

柊よりも、鈴の方がずっと大人だ。
本当に愛している人間に愛していると言えるし、甘えるのだから。


「成長したんだな」
「何それ」
「いや〜お兄ちゃんは感慨深くなるな〜」
「誰が『お兄ちゃん』だよ」

剛の言葉に鈴が笑う。

知らず知らずのうちに、『兄』という言葉が出た。
きっと、知らず知らずのうちに恋心≠ェ兄弟愛≠フものに変化していたんだろう。
きっと。

まだ鈴の言葉や仕草に心揺れるけれど。
それでも、鈴への気持ちは少しずつだが変化していることに剛自身気づいていた。





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